母のこと。
僕が34才だった1999年の3月2日に、僕の母は亡くなった。死因は癌だった。前年の5月に突然入院し、夏に一度退院したが、最後の正月を家族全員で実家で迎えてすぐに病状が悪化し、再び入院した。入院の直前、そして亡くなる2日前にモルヒネで眠って死の準備をする直前に、母は同じことを僕に言った。「みんな仲良くしなさい」
結婚すること、そして子供を産んで育てることは、自分で選択することができる。そこには理屈の入る余地がある。しかし、親との死別は選択することはできない。そこに理屈はないのだ。医療の進歩で高齢化が進もうが、そのことは何も変わりはしない。そのことを忘れてはいけないと思う。先の世代に別れ、新しい世代を創り育てる。これは本来当たり前のことだ。自分とは何かについてはこだわったり考えたりすることは人生では重要だが、おそらく一生かかっても答えは出ない。時代をつなぐことは、何かもっと本質的な人間の使命なのだと思う。
ロバート=フリップはギタリストである。プログレッシブ・ロック・グループのキングクリムゾンを率いて先進的な音楽を追求し続けている人だ。僕は彼をとても尊敬している。彼は一方で、というかその音楽性と表裏一体の関係といえると思うのだが、音楽ビジネスに関して独特の姿勢を持っている。Disciplin Global Mobileは彼が主催するレーベルで、これが発足するに至った経緯は、一言でいえば、それまでのレコード会社との訣別である。詳しくは同社のサイト内にあるので是非とも参照してみていただきたい。音楽ビジネスはアーチスト中心に自律的に運営されるべきであり、たとえお客様である聞き手といえども、アーチストのクリエイティビティを阻害するものであってはならない、ということだろうか。立派な表明だと思う。これは決して音楽に限ったことではない。顧客第一主義というのは、一見きれいな言葉でありビジネスの基本なのかもしれないが、必ずしも本質ではないということだ。作り手がいなければ、客にもなれない。客面だけではなにも生まれない。
そんなフリップ氏が、1990年代後半から取り組んでいるユニークなソロギタープロジェクト「サウンドスケープ」の一連の活動は、数枚のアルバムにまとめられている。この音楽はとても言葉では表現できない不思議なものである。これがギター?しかもソロ演奏?と誰もが耳を疑う。そしてこれは音楽なの?というおきまりの問いも。サウンドスケープとして最初に発表されたアルバム「1999」のライナーノートには、収録されたアルゼンチンの会場で起こったハプニングについて書かれている。「金を返せ」と騒ぎだした一部の観客に関するフリップ氏のコメントは、実にアーチストらしく素晴らしいものだ。
この「ブレッシング・オブ・ティアーズ」は、彼の母をはじめとする数名の魂に捧げられたものだ。他のサウンドスケープ作品がかなりアブストラクトな側面を持っているのと異なり、本作は全編悲しさや寂しさ、そして希望に満ちた美しい音楽に溢れている。僕は時々母のことを考えると、このCDを聴く。ライナーノートはフリップ氏のこんな言葉で結ばれている。
There is only one father in the world,
there is only one mother in the world,
but there are many children.
I have not lost my mother, but I miss her company.
僕の母が遺した「仲良くしなさい」の意味は、これらの言葉にも見事に重なるように感じられる。
Discipline Global Mobile
Robert Fripp's Diary