12/30/2018

ジャンカルロ・シモナッチ「ジョン・ケージ ピアノ作品集」

仕事納めの日はとても慌ただしかった。幸い朝のオフィスの窓からはきれいな富士山を望むことができた。


4月まで一緒に仕事をしていてその後ロンドンに出向していた同僚がある事情でこの年末年始に一時帰国してきた。

仕事納めの金曜日の午後にお偉いさんとの年内最後の打ち合わせとご挨拶を終えてから、彼女とお互いの近況交換を兼ねて、白金高輪のサイゼリヤで安いワインを飲みながら2時間ほど楽しく過ごした。

その際、イギリスのお土産だとメイソン・ジンを使ったマーマレードをいただいた。

マフィンに少し多めにつけて食べてみると、なるほどジンの風味も感じられてとても美味しかった(日本ではちょっと入手は難しいようである)。



金曜日午前の慌ただしさで体調を崩しそうになったけど、幸い持ち直して土曜日からは冬休みに入ってのんびり横浜で過ごしている。

初日の夜は家にあったロベティアというスペインのシャルドネを僕のお手製のパスタとともに楽しんだ。手頃な値段でなかなかスモーキーなフレーバーが楽しめる。



今年も音楽はいろいろと巡りに巡った。その意味でもとてもいい一年だったと思う。

年越しに向けてはピアノ音楽に聴欲が向かってきたようで、いま気に入っているのはジャンカルロ・シモナッチによるジョン・ケージのピアノ作品集である。

ケージは極めて多種多様な作品を遺しているが、ここに収録されているのはなかでもある意味オーソドックスでストレートに記譜されたピアノ作品が多く、耳慣れない人には敬遠されがちなプリペアード作品やチャンスオペレーションに基づいた作品は、最後の3分の1を占める"Etudes Boreales"(北のエチュード)だけである。

人気の"In a Landscape"や"Dream"も収録されているし、僕が好きな"Seven Haiku"も入ってる。前半40曲まででケージのピアノ音楽の世界を楽しむことができる。

後半の「北のエチュード」は、ピアノ版、チェロ版、ピアノとチェロのデュオ版を網羅しており、録音が少ないこの作品の貴重な完全版。僕も初めて聴いたけど、じっくり聴いてみるとなかなかのものである。

全52曲で4時間近い作品集は、これまでケージを聴いたことがないという人にもおすすめの作品集だと思う。


お正月というのは必ずしものんびりできるわけではないのだけど、このお休みの間はこれを中心にピアノをしっかり楽しむことになりそうだ。


ということで、今年のろぐもこれが納めになります。いつもお読みいただいてありがとうございます。

来年も引き続きよろしくお願いします!


12/24/2018

クリスマスイヴの夕方に

年の瀬。いつの間にか、本格的な寒さがやってくるとインフルエンザやいろいろな風邪に対して敏感になるようになった。

予防接種やマスクよりは日常的な予防洗いが有効というのが、ここ数年で僕の身についたモットーである。小まめな手洗い、喉うがい、そして鼻うがい。鼻うがいはやりすぎると鼻によくないらしいので、基本的には通勤電車に乗った後と決めている。

あとはやっぱり日頃からの心身の健康だけど、心の健康はやはり厄介なものだ。趣味というか自分から楽しむことで気分がスッキリできるものがあることは大切だ。そういう事や時間が持てない人は本当に気の毒である。

仕事が趣味だと言って憚らない人もいるが、その場合はやはり総じてその仕事は当然うまく運んで世の中のためになっているはずなので、いまの日本の状況を考えればそう言える人はかなり稀有な存在に違いない。


クリスマスイヴまでの3連休を前に、子どもが木曜日の夜から突然発熱してしまい、年に一度の大繁忙期を迎えるケーキ屋のバイトで首が回らない妻に代わって、一段落ついたのかよくわからないまま大きな予定がなかった僕が、金曜日に子どもを近くのクリニックに連れて行った。

根岸台の閑静な住宅をそのまま病院にした診察室で、鼻に綿棒を突っ込んでもらったインフルエンザの検査結果は幸いにも陰性だった。風邪の飲み薬をもらって家に帰り、子どもを寝かせて僕は家のリビングから職場に置いてるPCを通して仕事に参加する。

ちょっとした想定外の出来事への対応もあったけど、そうした仕事の多くは関係する人たちとのコミュニケーションで解決できる。テキストのチャット画面で3,4人同時並行で会話ができるので、職場でバタバタするよりもよほど効率的に思える。

実はその夜、どうしても仕事関係の飲み会に参加せざるを得なくて、会社の近くまで出かけたのだがはっきり言って後悔した。2時間飲み放題で4800円...ひどい料理でどう考えてもお得ではないコースだった。交わされたやりとりも...。

3連休で子どもは順調に回復し、塾の冬期講習(といっても家ではろくに勉強もしないだろうから塾に行かせてプリントをやらせるようなものなのだが)に行ったりする間、僕がそれを迎えに行ったり、帰った子どもとリヴィングのクリスマスの飾り付けをしたりした。

わが家のクリスマスは日曜日の夜にチキンとスパークリングワインと妻のお店のケーキでお祝いをした。サンタさんはその日の夜中に子どもが欲しがったゲームではないプレゼントを持ってやってきた。

さすがに子どもももう気づいてはいると思うのだが、今年まではそうすることにした。来年からはリヴィングに大きなツリーを飾って、その下で家族でプレゼントの交換をしたいのだそうだ。


クリスマスイヴも妻はバイトに出かけ、子どもは冬季講習の後、野球チーム恒例の親子大会に興じ、夕方からは妻と子どもは野球チームの納会に出かけて行った。

僕はようやく自分の時間ができた感じで、昼に子どもを送り出した後は北風が吹く横浜を10キロほど歩いた。

いまは自宅で独りでろぐを書きながら、菊地雅晃の「・・・15分なら過去へも未来へも行けるよ・・・」をスピーカーで大きめの音量で聴いている。

ウッドベースから出せるいろいろな音の断片がリングモジュレータやフィルターを通して奏でられるのを聴いていると、解き放たれた音の感覚とそれらが織りなす中で瞬間的に表出する驚きや美しさに感覚が弄ばれるのが心地よく感じられる。これが僕の趣味。


明日から4日間で仕事納めになるわけだが、最終日は仕事をしないつもりなので実質的には3日である。片付けないといけないことは何だっけ...。

どれも大事な仕事なのかどうでもいい仕事なのかよくわからないけど仕事は仕事である。まあ3日もあればどうにでもなるだろう。


12/16/2018

ジョー・モリス「アット ザ コーネリアス ストリート カフェ」

クラシック音楽をしばらく聴き込むと、少しだけ耳が肥えたような気持ちになる。

実際この歳になるとそうそう変わるものではないと諦めてはいるのだけど、日頃混沌とした音楽に慣れている耳の機能が、整然とした音の流れで癒されるのだろうか。

ちょっとだけリセットされた気になって、また何かをきっかけに混濁の音のうねりに飛び込んでしまうのはやはり性なのだろう。

今月初日に、ジョー・モリスがデズロン・ダグラス、ジェラルド・クリーヴァー等と組んだトリオで、ニューヨークのレストラン&ライヴスポットであるコーネリア ストリート カフェに出演した際の模様が、KjrellyさんのYouTubeチャンネルで公開されている。

演奏されてからまだわずか2週間しか経ていない地球の裏側の演奏が、こうしてほとんど何の編集もない形で視聴できるというのは、技術の進化に負うところが大きい一方で、演奏家たちの考え方も大きく変わっているが故というところも大きいように思えるし、これこそが即興音楽というジャンルの真骨頂と言えるのかもしれない。

公開されているのはおよそ45分間のノンストップの即興セッションが2セット。いずれも僕にとっては久しぶりに聴くジョーの奔放なパフォーマンスだった。

以下がそのライヴ映像である。

セット1



セット2



ジョーはほとんどセットの一部始終をひたすらピッキングで弾きまくっている。本当にご機嫌な演奏。いつかこういうのを生で存分に楽しみたいものである。


(おまけ)寒くなると空気が澄んで朝日が濃くなる。上が12月13日木曜日の朝6時30分頃、東京港区にある会社から見た西側の都市、下が同じく東側の東京湾である。



今年もあと2週間。なんとか年内の納めは見えてきたけど、年明けからのいままでとはまた少し違う景色がいまから脳裏の水晶玉にほのかに浮かび上がるのが見え始めている。

日本酒の美味しい季節になった。皆様も心と身体の健康を大切に年の瀬を乗り切っていただきたい。

12/09/2018

ガブリエル・フォーレ「ヴァイオリン ソナタ第1番」

仕事の忙しさとかそれ以上にある種のやりきれなさが限界を超え始めたこともあって、なんとなく落ち着かない週末を過ごすうちに、本格的な冷込みが気配を現す。

日曜日は子どもの行事がダブルであってそれで1日が終わった。自分がやりたいと思うことはあまりできなかったけど、いい週末でもあった。

朝9時からあった野球の試合では、相変わらずバッティングの課題はあるものの、いろいろ自分の未熟さを悔しく思う一方で得意のバントを活かしてチームのいい流れに貢献できたりと、なかなかの活躍はできた。

試合の反省会も失礼して初めて使った配車アプリで来てもらったタクシーで自宅に戻り、午後は慌ただしくピアノ教室の発表会に参加した。

100名程度のこじんまりとしたホールで、グレンダ・オースチンの「ブルームードワルツ」という小品をソロで弾き、その後、レオポルド・モーツアルトの「おもちゃのシンフォニー」を妻と子の連弾で披露した。

練習し始めた頃はしばらくは一体どうなることかの家庭的な修羅場?が続いたが、何とか人様に聴いてもらえるだけの演奏にはなった。

野球や塾通いの一方で、細々と続けている程度なのだが、ロクに練習もしないくせに自分からはヤメたいとも言わない。

野球にも塾にもピアノにもそれぞれにすごい子はたくさんいる。ではいずれでもそれほどでもないけどそこそこできるというのは、どんな価値があるのだろうか。考えても答は出ないが、子どものいろいろな様を見ることができるのは豊かである。

音楽については、今みたいな状況は必ずしもよいことではないとは思うけど、できることなら自分で聴いて気に入った音楽をピアノに向かって音を探りながら演奏してみるとか、そうなってくれればいい展開になるのではと願うのだけど、考えてみればそこまで音楽を聴ける環境にあるわけでもない。

親からすれば当然のことのように考えてしまいがちな音楽というものの普遍性が、実はいろいろな前提が大きく違って来ていることを見逃してしまっているのだろうか。

昨年の発表会でも立派な演奏を聴かせてくれた中学生のお姉さんが、今年はショパンの「幻想即興曲」を弾いてくれた。

実はプログラムをもらってから、我が子のことはさておいて楽しみにしていたのが彼女の演奏であって、実際に聴いてみるとこれが他の演奏者とは抜きん出た内容で感銘を受けた。

聞けばご両親はともにさほど音楽には興味がないけども、その子は本当にピアノが大好きで毎日何時間も自分の部屋で電子ピアノにヘッドフォンをつないで弾いて、今の先生の教室に通いながらそのレベルに達しているのだと言うから驚きである。

同じ年代でも上をみればきりがないのだろうけど、そうして身近なところで音楽の才能を感じることがきできるというのは、実に貴重で嬉しい体験に違いない。


そんな状況に誘われてなのか、先週なぜか急に聴いてみたくなって久しぶりにガブリエル・フォーレのヴァイオリンソナタを聴いている。

初めて聴いたのは社会人になって間もない頃、ある縁があって当時話題だった若手女性ヴァイオリニスト アンアキコ・マイヤーズの演奏だった。

クラシックのことはほとんど知らなかった僕が室内楽という形式に興味を持ったのもこの曲がきっかけだった。楽曲についてはウィキペディアに驚くほど詳細な解説があるので、興味がある方は参照されたい。

全体を通して素晴らしい作品だと思うのだが、このソナタはピアノパートがとても魅力的でとりわけ僕が大好きなのが第1楽章である。この素晴らしさをうまく表現できる言葉が見つからない。美しさ、躍動感、情緒、雄弁...。

ヴァイオリニストもさることながら、あまりすごいピアニストが伴奏についてしまうと、ヴァイオリンが食われてしまうのではと思えるほどだ。

以下は韓国のヴァイオリニスト キム・ボンソリによる2016年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでの演奏。この曲は彼女のお気に入りのレパートリーらしく、キムの力強いヴァイオリンが聴ける素晴らしい演奏と思う。



他には日本人ヴァイオリニスト木嶋真優の素晴らしい演奏がアマゾンプライムで聴くことができるので、そちらもお試しあれ。

今日は疲れてしまったのでこの辺で。

12/02/2018

ルー・ゲア「ノー ストリングス アタッチド」

ろぐを書こうとサイトを開いて日付を確認したら、早いものでもう12月である。そう思うと、つい振り返ってしまいたくなるのだが、まあ概して嫌なことはなかったはずだと開き直って向き直る。

今回は溜まっていた音楽ネタの大物として、イギリスのサックス奏者ルー・ゲアについて書いておこうと思う。

僕が彼のことを知ったのは数ヶ月前。ウィスキーを呑みながらApple TVを使ってYouTubeで気ままに映像や音楽を流し視していた時に、たまたま彼の演奏に巡り逢った。





僕もフリー系を含め幅広い意味でのジャズという音楽を聴いてきたけど、今に至るまで彼の名前にはまったく馴染みがなかった。何かの記事で見かけたとか、誰かの話の中で耳に挟んだとか、そう言う記憶も一切ない。単にまだ経験が浅いということか。

サックスの世界でルーと言えば、間違いなく最初に名前が挙がるのはルー・ドナルドソン、次いで出るのはおそらくルー・タバキンだろう(カタカナでは同じルーでも綴りは異なるのだが)。3番目のルーについては、ゲアのことを知るまでの僕の頭のなかには名前のストックがなかった。

興味を持って調べたところ、ルーはヨーロッパ即興演奏の草分け的グループ"AMM"の初代メンバーとのこと。僕自身はその頃のAMMの音は聴いたことがなかったので、知らなかったのも仕方ない。

そういう経歴なので彼についてはフリー系の演奏家という記述が目立つが、実際に手に入れることができるいくつかの演奏を聴いてみると、ロリンズやコルトレーンをベースにサックスの腕を磨いた堅実なジャズプレーヤーであることがわかる。

"No Strings Attached"はルーが2005年に発表したテナーサックス1本のソロアルバムである。この時彼は66歳。先のYouTube動画にある演奏に近い内容で、彼の豊かな音色とフレーズにどっぷり浸ることができる。これを作品として遺してくれたことに大きく感謝である。

ルー・ゲアについて一番まとまった記述があるのは、おそらくジャズオーケストラの主催者であるマイク・ウェストブルックのサイトにあるこのページだろう。

マイクがルーとの共演のなかから選んだ彼のベストテイクで構成されたアルバム"In Memory of Lou Gare"も、聴き応えのある素晴らしい作品である。サイトには彼のオーケストラで演奏するルーの貴重な映像も視ることができる。

なお、今回の"No Strings Attached"を含むAMM時代のルーのいくつかの作品は、イギリスの音楽サイトCafe OTOからダウンロードで購入できる。

ルーは昨年の10月に78歳で他界したが、音楽人生においてはいろいろな遍歴があったようで、時には対立や袂を分かつこともあったようだ。晩年はイギリスで日本の柔術を教えたりして暮らしていたそうだ。

54年目の師走にふと振り返りかけた人生。いろいろと思うことはあるけれど結局は生きて行く限りは時の流れる方向をしっかり見ながら運転を続けるしかない。

高村光太郎の有名な詩の一節が浮かんだりもしたが、とてもそこまで誇れるものはまだ残せていない。