4/23/2017

グレイトフル・デッド30年間の旅をひとまず聴き終えて

先々週のことになるのだが、グレイトフル・デッドの"30 Trips Around the Sun"をとうとう最初から最後まで聴き終えた。

通勤の行き帰りを中心に、時には子どもが習い事を終えるのを待つ合間に、あるいは夜お酒を呑みながら、また後半の1ヶ月間は前回ご紹介したカプシチンスキーの本を読みながら聴くことも多かった。時にはもちろん他の音楽も聴いた。

1965年の事実上最初のシングル"Caution (Do not Stop On Tracks)"に始まり、1966年のサンフランシスコのフィルモアから1995年のソルトレイクシティのデルタセンターまでの30回のコンサート、そして最後のコンサートとなった1995年シカゴのソルジャーフィールドでのアンコール曲"Box of Rain"まで、全577曲73時間を聴き終えるのに、ほぼ60日かかった。

聴き終えたのは先々週水曜日の出勤の時だった。何とグレイトフル・デッドとして最後の演奏となった"Box of Rain"の、本当に最後の音が終わったその時に、僕が降りる駅で電車のドアが開いたのだった。

作り話でも大げさでも何でもなく、ホームに降りた時の足取りは明らかにおぼつかない、まさに雲の上を歩いている様な感覚だったのを今でも覚えている。

聴いている途中、すべてを聴き終えた後は一体どうなるのかなと考えたこともあった。もうしばらくデッドはいいやとなるか、また夢中で最初から聴くのかなとか。実際には聴き終えたその日の仕事帰りには、すぐにまたこのセットを聴いた、やっぱり(笑)。

僕が舞い戻ったのは、1991年のマジソンスクエアガーデンのコンサート。なぜならこのライブには、僕が初めてデッドの音を聴いた"Wake Up to Find Out"と同じく、サックスのブランフォード・マルサリスが参加していたから。

これを最初に聴いた時は本当に驚いた。聴いてすぐに、これってブランフォードだよなあとわかったけれど、そういう素材が選ばれていることを全く知らなかったので、僕にはまさにサプライズの出演、興奮で読んでいた本の内容は頭に入らず、本を閉じて音に聴き入った。

以後、いまのところはいろいろな年を気の向くままに再訪し、デッドの素晴らしさを噛み締める毎日が続いている。いまこれを書きながら僕がいるのは1979年10月のマサチューセッツ州である。

30年間4人の中核メンバーと数人のコアメンバーで変わらずバンドを維持しながら、音楽という文化を発展させ続けたこれらの記録は、やっぱりとてつもなく大きな大きな業績なんだという実感が日に日に強くなっている。

面白いことに2回目になるとそれぞれのライブが、初めて聴いた時よりもまとまりのあるものとして、いい意味で短い時間のように感じられるということ。それでも30年分のライブセットが持つ層の厚さは、やはり通常のボックスセットとはまったく次元が異なり、飽きるということを感じさせないまさに圧巻のものである。

僕はこれからもデッドを聴き続けるだろうけど、このセットは間違いなく僕にとってデッドの年表となっていくことだろう。ここから彼らの時代の様式を感じ取り、そこに他の様々な作品が加わることでよりデッドの年表は確かなものとして出来あがっていくことになるだろう。

そうしたなかでこれまでに集めたデッドのCDもまたいずれ聴くことにはなるだろうし、時には他の音楽も聴いてはいるけど、まだこの30年間の記録は僕のiPodに当面居座り続けることになりそうだ(実際記録容量の3分の2をこの作品が占めている)。

気がつけば桜の季節が終わり、あっという間に4月も最後の週になった。今月は会社帰りに吞みに行く機会が比較的多かったけど、まあなんとか29年目の会社での年度を新たに始められたように思う。これはあとそう何度も繰り返されることはないのだろうけど。

0 件のコメント: