4/30/2017

強羅・明星ヶ岳・明神ヶ岳・おんりーゆー

やっと待ちに待った連休です。最初の土日は強羅温泉に宿泊して、翌日、宮城野から明星ヶ岳、そして尾根伝いに明神ヶ岳を登って、最乗寺に降りる登山を楽しみました。

前回、明神ヶ岳を訪れた時はあいにくの荒天で何にも見えない山頂でしたが、この日は晴天に恵まれて明星ヶ岳の大文字から尾根伝いの登山道にかけて、富士山の絶景を楽しみながらの登山となりました。





午前10時に明星ヶ岳登山口から入って、午後3時に最乗寺に降りるまで5時間で2つの頂を巡るルート。明星への登りも、明神からの下りもそれなりにハードでしたが、子どもも小さな身体で脚を目いっぱい使って頑張りました。

強羅駅から最乗寺まで、高低差含めた総工程は15キロ以上あったと思います。久しぶりの山ハイキングでしたが、いい天気に恵まれて楽しく疲れました(笑)。

下山後は最乗寺下にある「おんりーゆー」さんで疲れを癒しました。

明日から1週間お休みなんて夢のようです。のんびりします。さよならお仕事。




4/23/2017

グレイトフル・デッド30年間の旅をひとまず聴き終えて

先々週のことになるのだが、グレイトフル・デッドの"30 Trips Around the Sun"をとうとう最初から最後まで聴き終えた。

通勤の行き帰りを中心に、時には子どもが習い事を終えるのを待つ合間に、あるいは夜お酒を呑みながら、また後半の1ヶ月間は前回ご紹介したカプシチンスキーの本を読みながら聴くことも多かった。時にはもちろん他の音楽も聴いた。

1965年の事実上最初のシングル"Caution (Do not Stop On Tracks)"に始まり、1966年のサンフランシスコのフィルモアから1995年のソルトレイクシティのデルタセンターまでの30回のコンサート、そして最後のコンサートとなった1995年シカゴのソルジャーフィールドでのアンコール曲"Box of Rain"まで、全577曲73時間を聴き終えるのに、ほぼ60日かかった。

聴き終えたのは先々週水曜日の出勤の時だった。何とグレイトフル・デッドとして最後の演奏となった"Box of Rain"の、本当に最後の音が終わったその時に、僕が降りる駅で電車のドアが開いたのだった。

作り話でも大げさでも何でもなく、ホームに降りた時の足取りは明らかにおぼつかない、まさに雲の上を歩いている様な感覚だったのを今でも覚えている。

聴いている途中、すべてを聴き終えた後は一体どうなるのかなと考えたこともあった。もうしばらくデッドはいいやとなるか、また夢中で最初から聴くのかなとか。実際には聴き終えたその日の仕事帰りには、すぐにまたこのセットを聴いた、やっぱり(笑)。

僕が舞い戻ったのは、1991年のマジソンスクエアガーデンのコンサート。なぜならこのライブには、僕が初めてデッドの音を聴いた"Wake Up to Find Out"と同じく、サックスのブランフォード・マルサリスが参加していたから。

これを最初に聴いた時は本当に驚いた。聴いてすぐに、これってブランフォードだよなあとわかったけれど、そういう素材が選ばれていることを全く知らなかったので、僕にはまさにサプライズの出演、興奮で読んでいた本の内容は頭に入らず、本を閉じて音に聴き入った。

以後、いまのところはいろいろな年を気の向くままに再訪し、デッドの素晴らしさを噛み締める毎日が続いている。いまこれを書きながら僕がいるのは1979年10月のマサチューセッツ州である。

30年間4人の中核メンバーと数人のコアメンバーで変わらずバンドを維持しながら、音楽という文化を発展させ続けたこれらの記録は、やっぱりとてつもなく大きな大きな業績なんだという実感が日に日に強くなっている。

面白いことに2回目になるとそれぞれのライブが、初めて聴いた時よりもまとまりのあるものとして、いい意味で短い時間のように感じられるということ。それでも30年分のライブセットが持つ層の厚さは、やはり通常のボックスセットとはまったく次元が異なり、飽きるということを感じさせないまさに圧巻のものである。

僕はこれからもデッドを聴き続けるだろうけど、このセットは間違いなく僕にとってデッドの年表となっていくことだろう。ここから彼らの時代の様式を感じ取り、そこに他の様々な作品が加わることでよりデッドの年表は確かなものとして出来あがっていくことになるだろう。

そうしたなかでこれまでに集めたデッドのCDもまたいずれ聴くことにはなるだろうし、時には他の音楽も聴いてはいるけど、まだこの30年間の記録は僕のiPodに当面居座り続けることになりそうだ(実際記録容量の3分の2をこの作品が占めている)。

気がつけば桜の季節が終わり、あっという間に4月も最後の週になった。今月は会社帰りに吞みに行く機会が比較的多かったけど、まあなんとか29年目の会社での年度を新たに始められたように思う。これはあとそう何度も繰り返されることはないのだろうけど。

4/16/2017

リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」

久しぶりに本を読んだ。ポーランド人ジャーナリスト、リシャルト・カプシチンスキの「黒檀」。

この本はある日突然、僕のアマゾントップページのおすすめ欄に現れた。理由は簡単で、僕が過去に読んだ「オン・ザ・ロード」「楽園への道」と同じ、河出書房の世界文学全集の一巻だから。

この全集は僕ができることならすべて読んでみたいと思っている数少ない書籍である。まだ3冊しか読んでいないけど、僕にとっておそらくはハズレがないと確信しており、それはこの作品を読んでますます揺るぎないものとなった。

タイトルに魅かれて何気にクリックした先にあった商品説明やレビューに目をやって、これがアフリカについて書かれたものであることがわかり、それ故に僕はこの作品に大きく惹かれることになった。

その頃、僕は仕事で少しアフリカに縁があった。といっても僕がアフリカに行ったわけではなく、会社のお偉いさんがアフリカで開かれたある会合に参加することになっており、僕もその準備に携わっていた。

海外の案件は3年前から一緒にやっていた女性が主に担当し、自分は必要に応じてアドバイスをする立場にある。その件を手がける中で、彼女が子どもの頃にアフリカに住んでいた経験があることを知った。驚くと同時にある種の羨ましさを強く感じた。

僕にとってのアフリカは、主に音楽を通じて得た知識しか持たないものだけど、単なるイメージ(サバンナの動物たちや民族の衣装やダンスなど)の蓄積が大きくなってきたある時から、ずっとアフリカの真実の様なものを知りたいと思っていた。

アフリカで一体何があり、なぜ貧困やら争いやら疫病が蔓延しているのかとか、一つひとつの国はどういう成り立ちで互いにどういう関係なのかとか、そうしたことに対してただ「植民地」とか「奴隷貿易」とかの言葉が、漠然と思い浮かぶだけだった。

カプシチンスキのこの作品が、僕のその感情に何らかの答えをもたらしてくれそうな気がした。

アフリカに関連した仕事は、彼女が現地まで同行してくれたこともあって会社としても大きな成果を収めることができた。それを機に僕の彼女に対する尊敬の念も大きくなった。

4月で彼女の所属が変わることもあって、この3年間の仕事に何か感謝の印をと考えてふと思い浮かんだのがこの本だった。

人様に贈る以上は自分が中身を知らないわけにはいかないもの(いくら内容の素晴らしさに確信があったとはいえ)。それで僕も近くの公民館にある図書室でこれを借りて読んでみることにした。

文学全集の作品だがこれは小説ではなく、筆者がメディアに連載したルポルタージュのアフリカ見聞録をまとめたものである。

内容はとても素晴らしかった。レビュー等にもあるように、確かにどのルポから読み始めてもいいのかもしれないが、僕はやはり最初から順番に巡ってゆくことをお勧めしたい。

笑いや悲しみ、驚きや恐怖に満ちた様々な冒険を通じて、アフリカの歴史や風俗文化についての28編の物語は実に味わい深く愉しみ甲斐のある文章になっている。僕が知りたいと思っていたことは十分に教えてもらえた。

そして、それらを振り返って綴られる最終章がもたらしてくれる大きく深い感動の素晴らしさ!作品のタイトルが全編を通してたった一度だけここに現れるのだが、それが実に見事な効果を伴っていて、この作品が紛れもない文学であることの証となっている。

単にアフリカにとどまらず、現代のどの社会においても人間誰しもが受け継いでいる普遍的な刹那さや宿命に通じるものを湛えている。アフリカは悲劇や哀れみの対象だけではなく、人間の純粋さと力強さの象徴でもある。

残念なことにこういう本はますます店で探すのが難しくなってきている。読みたいと思った人は迷わず図書館をあたってみよう。僕の切なる願いは、1日も早くこうした名作が電子書籍として世に流通することだ。

4/09/2017

桜雨の週末

新しい年度が始まった。

子どもは無事に新3年生になり、新しい担任の先生とクラスも決まったようだ。

僕の新しい年度の仕事は入社式に始まり、お偉いさんが出席する様々な会社の年度初めのイベントに参加しているうちに1週間が終わった。

3年間僕の向かいに座って一緒に仕事をして来た同僚も、その仕事は続けるものの、ひとまず元いた職場の所属に戻ることになり、火曜日の夜にそこの上司と3人で新橋の酒処で一杯やった。

自分の甲斐性の無さというか、あんまり上司って柄じゃないんだよね、僕は。

だから彼女にはちょっと辛い思いもさせてしまったこともあったのだろうけど、一緒に酒を呑んでいろいろな話をすることで、なんだか初めて打ち解けられるようになった様に感じた。3年間ありがとう、これからもよろしく。

金曜日は、事業所のキックオフイベントに参加して、ちょっと早目に直帰した。自宅近くの小学校の桜も満開で、まだかろうじて青い空をバックに撮れる機会はもうないかなと思って、桜を見上げてスマホで撮ってみた。


週末は満開の桜にはあいにくの空模様だった。

子どもの野球練習も2日間とも中止。雨で気分もどんよりしがちだったけど、家でやる決まりのお勉強を少しやった後は、Apple TVで普段はさせていないゲームをさせてあげた。子どもの目はもうキラキラである。

お昼にチャーハンを作って2人でたらふく食べた後はバッティングセンターへ。


この日は150球に向かい、まだ振り遅れとか球の勢いに圧されることもあるものの、ホームランのターゲットに50センチくらいのところまでボールを飛ばす一打もあったりで、まずまずの練習になった。

ということで、そういう空模様だったにもかかわらず、それなりに楽しく過ごすことができて、気分はほんのり明るい春模様だった。

子どももいろんなことができて楽しかったらしく、夜寝るときに3人で寝たいと言い出し、まあ今日はそうしてあげるかと川の字に寝て消灯し、握った子どもの手の力が緩くなって寝息が聞こえて来たのを見計らって起き出して、いまこれを書いている次第。

昨年の夏から飼っているカタツムリのうきちゃんも、今週になって冬眠から覚め、活発に活動し始めた。今年はパートナーを見つけてあげられればいいな。

4/02/2017

騒つき

年度の変わり目で会社は騒つき落ち着きを失う。僕の職場でもボスや僕の部下をはじめ多くの人が動く。期待を込めてのことなのだろうけど、もはやこの時期の風物詩の程度の感覚しかない。僕はとりあえずいままでのまま。

暖かくなって、家で木々や草花の手入れなんかをして新芽や花を目にすると、寒さの中ではなかなか湧き出てこなかった、何かを始めようという気分が出てくる。

ホームセンターの草花コーナーが一番魅力的になるこの時期はいい。ラヴェンダー、ゼラニウム、フォーエバーなんかの苗を買って庭に植えてみた。花はいい。

家を建てたときに植栽のアレンジをお願いした人が植えてくれた、庭木としては面白みのないコニファーを、背丈が伸びない様に頂部の枝を切り、枯れた枝葉を丁寧に空いてみた。やっぱり面白みはない。何か他のものを植えようかな。

それから、最近すっかり自分の夜のお楽しみの場所となっている狭い4畳半の和室を片付けたりもした。子どもが寝た後にお酒を持ってそこに忍び込む。最近はエビスビールの「華みやび」を最初の1本にしている。春らしい味わい。

その部屋で週末はいつもよりも長めに楽器をいじってみたり、マウンテンバイクの素晴らしい技と度胸を記録した映像を愉しんだり、お気に入りの「ドキュメント72時間」の録り溜めをじっくり視たりするうちに、仕事では忘れている感覚を取り戻す。

お酒もちょっと多めかな。久しぶりに家で飲みながら日付が変わる。

デッドの30年の旅はようやく1990年代に入り、いよいよクライマックスである。高かったけど自分には価値のある買い物だった。

春の騒つきを自分なりにアレンジしてなんとか愉しむ。一緒に騒ついても得るものは少ない。これは自分が進む道に現れるわだちの様なもの。ペダルを漕いで進むのは自分だ。


(おまけ)

午後5時半ごろに職場を去る際にエレベーターホールの窓から見た夕日。太陽に向かって延びる飛行機雲。


雨が降った土曜日。野球の練習が中止になったので、近所のバッティングセンターへ。ずいぶんバットに当たる様になったし、球が飛ぶ様にもなって来たかな。

実際の試合ではこんな風にストライクばかり投げてくるわけじゃないから、球を見る目といい球が来たら確実に打てる様に頑張ろう。


日曜日はまだ風が少し冷たかったけど、自転車でシンボルタワーまでひとっ走り。タワーの周囲にある緑地には所々でタンポポが花を咲かせていた。