ももクロがフジテレビNEXTで月イチで出演する音楽番組「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」に、憂歌団の木村充輝さんと内田勘太郎さんが出演した。職場のモノノフ仲間が録画した番組をディスクに焼いてくれた。
憂歌団を一生懸命聴いてライヴに通ったりしたのは、社会人になった1988年の頃。確かダウンタウンのコント番組にゲスト出演したのを視たのがきっかけだったと思う。
ライヴは渋谷にあったクラブクアトロで演ったのを最前列で拝むことができたのを始め、渋谷公会堂とあと一か所、確かON AIR EASTだったと思うんだけど。考えてみれば全部渋谷だね。あの頃は毎週のようにCD探したりジャズ喫茶行ったり友人と呑みに行ったり、渋谷にはよく通った。
いつ頃まで聴いてたのかな。持ってたCDもいつしか手放すなかにぽつぽつ入り、子どもが生まれた頃にかなりまとめて処分したなかにあって、値がつかないということで返品されてきた2枚だけが、しばらく押入れの箱のなかに眠っていた。
ももクロの番組を録ってくれた男は、憂歌団をその番組で初めて視たということで、僕の手持ちのCDをお礼がてら貸してあげることにして、日曜日の朝に捜索ひと仕事。
1986年の新宿シアターアップルでのライヴ盤"Best of UKADAN Live"と、1990年の"Good time's rollin'"。本当に久しぶりに聴いたけど、どちらも素晴らしいアルバム。メジャーなアーチストとして確立した時期のものだけど、このゆとりと気楽さはなかなかできるものではない。
いま思えば「生聞59分」も残しておいたらよかったと後悔するが、どうやらそれを含め大半の作品はiTunes Store等で手に入るらしい。
ももクロちゃんたちと一緒に木村さんと内田さんが演奏する番組を視て、なぜかうっすらと涙腺が。この2つの個性が一緒に画面に収まって笑い合いながら憂歌団の歌を唄っている、不思議な光景だった。
「ももクロが紅白を卒業」というニュースが流れた先週。
最初は何のことなのかさっぱりわからなかったんだけど、事情を知ったうえで考えてみて、やっぱり僕はももクロに関するこの手の話題があまり好きではないんだと悟った。
ももクロが出られないのが悔しいということより、なんでわざわざ卒業なんていうのかとか、そもそも紅白歌合戦ってとか。笑顔のど真ん中はそこなのか。
路上ライブとか、あかりんとか、紅白とか、国立とか...。いろんな喜怒哀楽はあっても、それは芸とは一線を画したところに留めるべきことであって、それを表に出してどうのこうのと取り上げるのは、僕はあまりいい気がしない。
芸能人としてしのぎを削る彼女たちの心情はともかく、僕にとってのももクロはやっぱりアイドルではなくアーチスト。素晴らしい楽曲や歌やダンスや演技があればこそだし、それがなければモノノフは辞めるだろう。
憂歌団と共演した番組の最後で披露してくれた「灰とダイヤモンド」は、本当に素晴らしかった。あの気味悪いニュースのもやもやを僕のなかからキレイに吹き飛ばしてくれた。
あらためてこのグループのことが好きになったように思います。
(おまけ)
めっきり寒くなった先週、とうとうコートを引っ張り出しました。金曜日の朝6時半に会社の窓から見下ろした東京は、すっぽり低い雲に覆われてました。
土曜日は2週間ぶりに自転車で南本牧埠頭へ。埠頭の開発はどんどん進んでいて新しいコンテナヤードから船への積み込みが始まっていました。
日曜日に子どもの野球ごっこに訪れた蒔田公園で見上げた空。キャッチボールしたりバットを振る練習したり、近所の美味しい中華料理屋「翠葉」さんで腹いっぱい食べて、バッティングセンターに行ったり。野球三昧の1日でした。
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