またノーノの時間が巡ってきた。なぜこうなるのかはわからないけど、これが自分の人生と理解するしかない。
このところ相変わらずいろいろあるんだけど、その成り行きとして、突然脳裏に甦った"...Sofferte Onde Serene..."の旋律。
これをこのろぐで取り上げるのは2回目だと思うけど、人生の段階・ステージというものの意味合いというか、奇遇ということを思い知る。
日本語では(どなたが訳されたのかは不詳であるが)「苦悩に満ちながらも晴朗な波…」という表題が知られている。ノーノと(マウレツィオ・)ポリーニの共同作業によるピアノ作品。
日曜日の日中、たまたま家に僕一人だけだったので、かなりの大音量で聴いてみたけど、いま持ってるスピーカーはたぶんこれを聴くには能力不足なんだろう。結婚した頃に買ったゼンハイザーのヘッドフォンと、iPodに入れた音源の組み合わせの方が、よっぽど説得力があった。
今回はこの作品と対をなす、ギドン・クレーメルによる”La lontananza nostalgica utopia futura”も、久しぶりにじっくり聴いてみた。
作品の演奏時間や音の重ね具合の複雑さから、こちらの作品の方が前作を踏まえたさらなる発展性を持っているのだと感じたけど、やっぱり1970年代のポリーニが持つノーノ作品への姿勢というのかな、「全身全霊とはこういうことだよ、君」という感覚は凄まじい。
ヴァイオリンの表情の豊かさはこの作品でも存分に現れているんだけど、一方でピアノの音色がもつ美しさと凶暴性もやっぱりすごいものである。
ノーノの音楽はいい。「前衛三羽烏」はもはや死語だろうが、僕にはブーレースやシュトックハウゼンよりも、ノーノの音楽が親しみやすく愛着深い。
子どものキャッチボールにつきあった森林公園からみた晩秋の月。「苦悩に満ちながらも晴朗な月…」僕にはそう見えた。
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