1/05/2014

セカンドディケイドへ

あけましておめでとうございます。

えぬろぐはめでたく10周年を迎えました。ほぼ一定のペースで更新を続けながらこんなに長く続けられるとは、自分でも正直意外です。やっぱり凝り性なんでしょうねぇ。文章を書くことはそれなりの人生の足しになったという実感もあり、この蓄積を糧に何かを始めるきっかけになればと思います。

本年も引き続きよろしくお願いいたします。


年末年始は妻の実家がある広島で過ごした。今年は比較的暖かなお正月でのんびりと過ごすことができた。2人の子どもがいる義理の妹家族もやって来て、子どもは従兄姉と朝から夜遅くまで遊んで楽しそうだ。妻もほとんどの家事を両親がやってくれるので、年末年始の慌ただしさなどどこ吹く風でくつろぎまくりの日々に大満足である。

じいちゃんばあちゃんと戯れる子どもを眺めているのは楽しいものだが、時折ふと自分の両親のことを思い浮かべては妙に複雑な気持ちがこみあげてきて切なくなる。そのことが目の前にいる義理の両親や妻に申し訳ない気がしてどうにもこうにもきまりが悪い感じになる。仕方のないこととはいえこれに慣れるにはまだ少し時間がかかるのかもしれない。

大晦日は恒例?となった、僕の兄のマンションで飲み明かし、久しぶりに午前3時頃までビール、ワイン、日本酒、ウィスキーといろいろな酒を呑んだ。兄の趣味である写真をいろいろと見せてもらいながら、やっぱり続けることと深めることは大切だなと酔っぱらった頭で納得した。

お正月2日の午後に、兄に車を出してもらって家族3人を呉から江田島へのドライブに連れて行ってもらった。カーステレオでポップスが流れる車に揺られる海岸線の道。呉では基地に停泊するたくさんの潜水艦を眺めたり、新しくできた第2音戸大橋からの眺めを楽しんだりした。

江田島での目的地は「がんねムーンビーチ」という海水浴場に設定してくれていたのだが、行ってみるとこれがずいぶんと寂れたところで、ここが本当に海水浴場なのかと思った。小さい頃に両親に連れられてきた記憶があるという妻も「え...ムーンビーチってこんなだったっけ?」と驚きを禁じ得ない。

子どもだけはそんなことはお構いなしにさっそく冒険を始め、浜辺にうち上げられたボールを蹴っ飛ばしたり、貝殻なんかを拾ったり、岩場を探検したりして楽しんでいた。瀬戸内海の島々が浮かぶ海の眺めは美しい。僕が横浜の海と同じくらい愛する景色である。

アーテコハウス」というお店らしい建物があるのだが、外装は古いし周囲も雑然としていて、これはもうてっきりつぶれちゃったんだろうなあと思って、窓から中をのぞいてみると(失礼)なんとなく比較的最近まで人がいたような生々しい気配があった。店内の奥には明らかにそれと分かる楽譜がいっぱい並んだ本棚...。

あとで横浜に帰って調べてみると、この浜辺とお店について興味深いことがいろいろとわかって、妙にこの場所に親近感を持つ様になった。今回は省略するが、また広島に行った際には少しそのことをこの目で確かめてみたいと思っている。

3日の午後に僕は単身横浜に帰ることにしていた。義父が好きな箱根駅伝の復路の中継を視ていると「東海道山陽新幹線 運転再開」というテロップが流れた。携帯でちょっと調べてみると有楽町駅付近の沿線火災の影響で云々とある。

まあたいしたことではないだろうと思って、少し早めに広島駅に行ってみると結構列車が遅れていて大事らしいことがわかった。自分が乗る予定の列車の定刻までまだ1時間半ほど時間があったので、駅ビルのASSEで串カツと酒をやってその後コーヒーを飲んだ。

幸い列車は定刻に出発したのだが、その後新大阪駅までのろのろ運転が続き結局そこまでで予定の時間より2時間遅れの3時間を要した。そこからはほぼ通常通りの走行に戻ったが、新横浜に到着したのは午後9時半近かった。JRの規定により特急料金は全額払い戻しとなるのでまあちょっとしたお年玉だと思って諦める。

しかし、やっと着いたと思ったら、今度は横浜アリーナであったらしい男性アイドルグループのイベント帰りの人混みも合流して、横浜線のホームは大変な状況だった。いままでならそういうことには激しく眉をひそめていたのだが、いまや人のことは言えないなと思うとなんとかガマンすることはできた。

4日の朝は大さん橋までウォーキング。6時前の港はまだ暗かったが、薄明に浮かぶベイブリッジはやっぱり清々しかった。これに始まり、この日1日はかなり奔放に暮らした。午前中は年末に買った新しいアンプで、日頃iPodとイヤフォンでばかり聴いている、フリーのお気に入りをしっかりした音量で聴きまくった。

昼はこのところ食べていなかった「花月」のげんこつラーメンを食べに蒲田まで出かけた。生絞りニンニクを2片惜しげもなく絞り込み、ご飯と一緒に味わった。たまに食べるとウマいのだが、まあ次に食べるのは半年後くらいでいいかな。

午後はまた家に帰ってコーヒーを飲みながら音楽を聴き、夕食をどうしようかと思って野毛の方に行ってみることにした。

野毛を一周して以前から気になっていた「魂屋」を探した。やっと探し当てたのだがやはり入る勇気が出ない。情けないと思ったが店の場所がわかっただけでもいいかと引き返し、結局ぴおシティの「石松」でもずく納豆とマグロブツをつまみに小ビールとコップ酒をやった。ここもいつもよりはのんびりした雰囲気で、立ち呑みとはいえ居心地がよかった。

少しいい気分になってくると、やっぱりせっかくここまで来ているのにという気持ちが込みあげ、悔いのないようにと「魂屋」まで引き返し、店頭に流れる「オレンジノート」に吸い寄せられる様に薄暗い扉を押し開けてなかに入った。

ビールとフライドポテトを注文して、カウンターの角でモニターの正面に座ってそこに映るももクロちゃんたちを眺めていると、お店の常連らしい女性のお客さんがお父様を連れて来店して隣に座った。

そこから3人と店のお手伝いをしているマスターのお子さん(いま8才だそうです:もっぱら女性のスマホでパズドラやって遊んでました)も交えて、ももクロの話ではなく(笑)、正月の雑煮の話とか、ご親族で揉めている納骨とお墓の話とかわけのわからない他愛もない会話を楽しんでいるうちに時間が過ぎて行った。残念ながら美味しい名物料理は楽しめなかったけど、またちょくちょく行ってみることにしようと思う。

休暇の最終日の今日は家の周囲の植栽の整理と掃除なんかをしながら過ごした。昼は元町に出かけて「フィッシャーマンズワーフ」で名物のシーフードのトマトソースパスタを食べた。途中、隣の席に男性の独り客が座ったのだが、ハンバーグを注文する際に「肉は何?牛肉?変な肉は使ってないの?合成肉とか」などと自己中なことを言うのが気に障った。彼のハンバーグはなかなか出て来なかった。

夕方にこのろぐを書きながら、年末に運良く手に入れたポール=ラザフォード、デレク=ベイリー、バリー=ガイによるフリーインプロヴィゼイション史上に残る名作"ISKRA 1903 CHAPTER ONE 1970-1972"を聴いている。帰りのノロノロ新幹線の中でもずっとこれを聴いていた。

ラザフォードが命名したユニット名"Iskra"とは、ロシア語で「閃光」のこと。レーニンが革命前に書いた論文のタイトルから採ったらしい。1970年から約2年間に渡る活動を後日にEMANEMレーベルが集大成したのがこの作品。即興演奏の優れた作品はいくつも聴いて来たつもりだったけど、やはりここに収められている内容は噂に違わぬ素晴らしいものである。作品の詳細はリンク先の解説を参照していただきたい。

CD3枚に3時間半にわたって収録されたこのユニットの奇跡の記録を、2014年の自分のテーマ音楽であるかの様な気分で楽しませてもらっている。かなり入手が難しい状況になっているが、いつか必ずダウンロードの世界でも復活することは間違いない。それにしてもやっぱりスピーカーで聴くのはいいもんだなあ。

今年もこんな調子で始まったが、やっぱり何かをあらためて何かを始めたいという気持ち(力ではない)はどこからともなくわいてくる。あとはそれを具体的な行動にしていかないと。魂屋の扉を開いた様に。年末に誓ったジャンプへの想いを忘れずに頑張ってみようと思う。

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