朝晩かなり涼しくなった。シャツの上に着るもののことを考える季節になりつつある。まだ秋冬の流行を街中で感じるには少し早いようだが、妻に届いた通販カタログはどれも冬一色だった。
夏の間はしまってあった冬用のコートやジャケットをベランダに吊るして日射しと風にあててやった。安い服でも数を揃えてある程度大切に着てあげるとずいぶんと長持ちするものである。
そしてもう一つ、しまっていたわけではないのだがこのところあまりまじめに手にすることがなかったものについて、何の気まぐれか思いつきか、はたまた何かにすがりたい気持ちなのかはわからないが、今月に入ってから久しぶりに少し時間をかけてその環境を整えている。
いざそうしてみると実はいろいろと細かな調整やら準備が必要になり、また必ずしもそればかりに没頭することもないので、意外にも結構時間と手間がかかるものである。
ようやくこれだと思えるある種の納得感に近い手応えが感じられる様になったのは、支度に手をかけて3週間ほど経ったこの3連休の真ん中日曜日のこと。そういう実感が得られるとやはりそれなりに気持ちがいいものだ。間を詰めてそればかりやればもっと早くそうなったのかと考えてみるが、たぶんそういうことではないのだと思う。
これが何にあるいはどこに向けた支度なのかはわからない。先のことを考えているようでもあり単なる気まぐれの様でもある。秋冬物の準備の様に近いうちに必ずやそれが必要になるという確信は深いところに淡い期待の様に潜んでいるかどうかという程度かもしれない。
環境が整ったら今度はもう一度自分の内側にあるものにしっかりと向き合うことになる。そろそろごまかしている余裕は無くなってきたようだ。いや、初めからそうだったのだろうが、それに気づけるほどいまの(少なくともこれまでの)時代は人を追い込まない。
つまりは自分が甘かったということになるのだろうけど。
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