9月最後の日の夜。台風の接近で外は本格的な荒天になってきた。こんな時だけだからと、これを書いているBGMの音量はいつもより大きめ。
親の世代からすればずいぶんと世知辛い。僕の勤める会社では今年度に入って大規模な希望退職の募集があり、それに応じた人たちの退職がこの週末にあった。
僕はいまの会社に勤めて25年目であるが、これまでにも2回ほどこういうことがあった。しかしその当時は、僕自身がその対象(多くの場合こういうことには年齢の条件がつく)ではなかったわけだが、今回はまさにど真ん中の世代である。
「希望退職」というのはなかなか微妙な言い回しだ。
「希望する人にある条件で退職してもらう」ということなのだが、あくまでもその従業員自身が「退職を希望する」というだけでなく、企業の側も人件費を減らさねばならないので、従業員の誰かに退職してもらうことを「希望している」のである。
個人とその家族、職場の同僚や上司、そして会社という人格の、いろいろな意思や意図が混じり合いぶつかり合いすれ違う。そこには本当にいろいろなドラマが生まれる。
今回はそれなりに大規模な募集であり、僕が直接知る人だけでも20名前後の人が今回会社を去ってゆくことになった。そのうちの何人かの人とは、そこに至るまでにいろいろな話もした。結構しんどい場面もあった。
4月からの半年間、いわゆる企業の上半期において、このことは毒性のあるガスのように、つねに仕事に向かう(そしてそうでない時でも)僕自身の心に重く立ち籠めた。
金曜日の夜には、大手商社で管理職を務める音楽仲間が出張で上京していて、短い時間だが最寄りの駅でビールをやった。その後、妻が以前務めた会社の同僚で僕とは呑み友達でいる男と「えびす村」で酒を交わした。
土曜日は、昼間に家族で赤レンガ倉庫の広場で始まった「オクトーバーフェスト」を覗きにいって、ドイツビールをやり、夜は美幌町で歯科医を務める幼馴染みとスカイプで一杯やった。
それぞれに楽しく充実したひとときだった。だけど誰と酒を飲んでも、酔いのまどろみのなかに、会社を去っていった人たちのことがしっかりにじみ出てくる。
歯科医の幼馴染みとは、このことについてかなり具体的な話をした。彼は職業柄そう言う意味での会社生活というものに馴染みが薄いところもあったから。
彼はいつものように素直に興味を示し素直に感想を述べた。それは彼らしいまっすぐなもので僕の心を明るく照らした。そこから話は自分たちのこれからの人生のことや、子どものことや職業のことなんかに拡がっていった。
スカイプを終えてからまだ少し残った酒をちびちび口に運んだのだが、さっきまで彼と話したようなことを彼らももっと深く長い時間にわたって考えたに違いない。はっきりした結論が出ないままあの日を迎えた人も多かったことだろう。
彼らは皆これからも働くことを希望している。非常にあっさり雑駁な表現だが、いい仕事に出会いいい人生を続けていってもらいたい。それは僕自身のことでもある。
「労働讃歌」は、ももクロの音楽で僕が大好きな曲の一つだ。西武ドームで生に感じて一層好きになった。サビで讃えられる労働の本質は素晴らしくいい表現。そう、働くことでその人は輝き、生きていると知るんだ。
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