10/03/2010

「てっぱん」と「慟哭」

10月になった。気候は普通に初秋である。もちろん真夏日も熱帯夜もない。2、3日晴れては雨が降るという、この時期お馴染みの天候が続いている。

週末のウォーキングは相変わらず朝5時半に家を出ているが、ずいぶんあたりは暗くなり空気も冷たくなった。まだ半袖だが、歩き始めてしばらくすると身体がほてり、かといって汗をだらだらかくわけでもなく、ちょうどいい感じだ。朝日が昇る横浜港は格別だ。

NHKの朝の連続ドラマも新しいお話に替わった。前作「ゲゲゲの女房」は久しぶりにかなり好評だったようで、僕も最終回までほぼ毎回しっかりと楽しませてもらった。しかしながら、「ゲゲゲ・・・」に続く新しいお話「てっぱん」が、これまたとても面白そうで楽しみなのである。

主人公のあかりちゃんが明るくて元気でカワイイし、トランペットとお好み焼きを道具に、尾道と大阪という舞台で展開する設定は、僕にはとって親しみがもててとてもいい感じである。第1週目を終えて、これは毎回見逃せないなと早くも期待を寄せている。いまの僕には家族以外には貴重な平日の楽しみだ。

夜が涼しくなったこともあって、ベッドを処分して小さなテーブルとラグマットだけになった1階の寝室に布団をひいて、家族3人で寝ることにした。やはりリヴィングで寝るのと違って、寝室だなあという感じがして落ち着いて眠れる。

そして、もうひとつうれしいのは、妻が子供を寝かしつけてくれる間、僕にはリヴィングでゆっくり音楽を聴ける時間ができたこと。決して長い時間ではないが、じっくりと聴くことができると「音楽鑑賞」という、いまや使うのが小恥ずかしい言葉にも深みがでる。

こうなってくるともうやっぱり「フリーな気分」である。この手の音楽はスピーカの前で聴く方が、味わいが断然深くなる。

9月最後に買ったCDは、鈴木勲、原田依幸、トリスタン=ホンジンガーによる2009年の作品「慟哭」だった。ディスクユニオンのブログで知ったものだが、評判通りの素晴らしいセッションだった。

原田のピアノ演奏を聴くのはこの作品が初めて。非常に粒の細かいキレイな音を弾き出す人だ。鈴木の演奏は素晴らしいが、音がいまどきのピックアップサウンドなのがちょっと残念である。久しぶりに聴いたホンジンガーのチェロはさすがなものだ。

やや大袈裟なタイトルがつけられた3つのセッションが収められていて、いずれも秀逸なフリーインプロビゼーションを楽しませてくれる。こんな演奏が身近に楽しめる東京や横浜は恵まれた場所だと思う。

フリーという言葉は、最近では「カロリーフリー」とか「アルコールフリー」の様に食べ物や飲み物の成分について使われたり、「ストレスフリー」の様にやや概念的なところでも使われるが、とにかく煩わしさがない気軽さや気持ちのよさを表す言葉としての使われ方が多い。

「フリージャズ」のフリーも考えてみればまったく同じだなといういことに、あらためて気がついた。もちろん僕はいまでもそういう意味だと思っているが、フリーな演奏とはもっと気持ちよく行われるものであって、気軽にたのしめるもののはずだ。何の煩わしさからの解放かと言えば、安定や固定といったものからの逃れたいということ。新しいものとは本来そういうものだ。

一時期フリージャズに政治的な意味合いを持たせたことが、少しこの手の音楽のイメージを汚してしまったところがあるように思う。何とも残念なところである。

即興演奏をするのに極度に感情的になる必要はないし、ましてや怒る必要もない。音が大きく音数が多く旋律が複雑であれば、それは怒りの表現であるとは、あまりにも単純な解釈である。音のあり様は自由であっていいし、それが音楽の始まりでもある。部屋の隅に立ててある僕のベースが何かを待っている様な感じがする。

素晴らしい作品です。是非聴いてみてください。

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