10/24/2010

ミンガスの喜怒哀楽

前々回のろぐで取り上げたヘンリーの作品を聴いているうちに、同じ様な野太いベースの演奏をもっと聴きたくなった。そのとき心に浮かんだのはミンガスだった。

手持ちのミンガス作品を思い浮かべるとほぼ同時に、いま自分が求める音楽はこれだとばかりに主張してきたのが「ミンガス プレゼンツ ミンガス」(原題は"Charles Mingus Presents Charles Mingus")。これまでにも何度も聴いてきたが、iPodでヘビーローテーション的にじっくりと繰り返し聴いたのは初めて。

彼の音楽は玄人筋にもファンが多いが、人によってある程度好みが分かれる音楽ではないかと思う。特にこの作品はタイトルが示す通り、ミンガスの音楽が持つ重要なエッセンスを盛り込んだ代表作には違いないのだが、いろいろな評論のおかげで音楽そのものとは別の側面で語られることが多いのではないだろうか。そしてそのことが結果的に、ミンガスに対するイメージを狭くしてしまっているところがあるのではと、僕個人は感じている。

よく言われるのが、"Original Faubus Fables"に示される政治的側面だ。この楽曲は確かにミンガス音楽のそれを代表する最たるものであるが、だからといってアルバム全体のコンセプトは政治作品ではない。

それから、"What Love"の半ばで繰り広げられるミンガスとドルフィーの「対話」もよく聴きどころとして引き合いに出されるのだが、決まって、「グループ脱退を決めたドルフィーを咎める(あるいは慰留するとかいう人もいるが)ミンガスと、それを退けるドルフィー」というエピソードがまことしやかに言われる。

オリジナルのライナーノートで、プロデューサーのナット=ヘントフ自身がそう書いているので、さもありなんであり、まあ上手いことを言ったものだとは思うが、あまりそういう先入観を持たせて聴き手のイマジネーションを狭めるのは、個人的にはちょっとどうかと思う。

実際、この作品についてふれたいろいろな文章で「欧州行きを決意したドルフィーと、残留を懇願するミンガスのやりとりはあまりにも有名」とか書かれているのを見るたびに、何か虚しいものを感じる。ああいうタイトルなのだから、巷に溢れる恋のやりとりぐらいに聴いておくのがいいのではないか。

一方で、あまり語られないのが、この作品におけるグループの編成である。ジャケット写真でベースを背景にしたミンガスが、ピアノの前に座っているというのに、実際はミンガス、ドルフィー、カーソン、リッチモンドというピアノレスのクァルテットである。

この編成で収録されたミンガスの作品は、これが唯一のものらしいが、その下敷きになっているのは、収録当時のジャズシーンをにぎわせていたオーネット=コールマンのクァルテットであることはあまり知られていない。

もちろん演奏内容はコールマンの様式とはまったく異なるが、インタープレイやアドリブを大胆に織り込んだスタイルは、ミンガスの新しい時代を開くものになっている。ベースがリードするアドリブ主体の音楽というスタイルは、僕個人としてはとても共感できるところが大きい。このカッコ良さこそミンガスミュージックの醍醐味だろう。そしてそれはミンガスというベーシストにしかできないスタイルでもある。

ちなみに「フォーバス」を除く3曲のタイトルには、音楽的な意味合いがある。非常に興味深いものなので、詳しくはナットのライナー(あるいはそれをまる写したにわか評論家の解説でも)をご参照いただきたい。

それにしても4曲目の長いタイトルは、ミンガス自身が「別に深い意味はない」と語ったそうだが、音楽とは関係なしにその意味するところについてはつい考えてしまう。楽曲の冒頭でミンガスが語っている様に、この作品は「すべての母親に」献上されているのだが、もちろん答えはわからない。彼が一体どこでそんなインスピレーションを得たのかわからないが、不思議なタイトルである。

この作品が録音されてから今月20日でちょうど50周年になる。僕自身がアナログ盤を初めて買って聴いたのが25年前。そのときもそこそこは感心したが、いまこうして聴いてみて受けている感動の方が大きい様だ。

いまの僕には、4つの楽曲でミンガス自身の「喜怒哀楽」が、そっくりそのままその順番に表現されていると感じる。アルバムタイトルはまさにそういうことを意味しているのだろう。これも余計な一言かもしれないが。

ミンガスというベーシストが、僕のなかで一層大きな存在になった。

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