10日間の夏休み。今回はずっと横浜の自宅を中心に家族とともに毎日を過ごした。帰省など泊まりがけで出かけることのない休暇は久しぶりだった。最初の3日間は兄も交えた4人で賑やかに過ごし、今週に入ってからの7日間は家族3人で近場に出かけたりしながら、のんびりとした毎日だった。
休暇の中日には子供を連れて鎌倉の由比ガ浜に出かけた。彼にとっては初めて体験する海。よく晴れた暑い日で、海はビキニ姿の若者や家族連れでとてもにぎわっていた。もちろん海に入って泳ぐというわけにはいかなかったが、妻に抱きかかえながら打ち寄せる波に足をつけて波の感触を体験させてあげた。海が好きな子供になってくれればいい。家族3人で少しこんがりと日に焼けた。
休み中はもっぱらジョン=ケージの音楽を聴いて過ごした。休みだからといって長時間のんびりと音楽が聴けるというわけではないが、わが子の元気な声やら近所を走り回る子供達の楽しそうな声、さらにはいつまでも続く蝉しぐれや暑い日が照りつける音、といったいろいろな音声があふれる中、休日という時間を実感しながら楽しむにはうってつけの音楽だった。
ケージの音楽は時を経るごとに僕にとって(そしておそらくは世の中においても)大切なものになってきている。気がつけば既に20枚近いCDが家にあるのだが、一番のお気に入りは、ヒルデガルド=クリーブとローランド=ダヒンデンのデュオによる"Prelude for Meditation"(HatArt)。美しさと緊張感、優しさと心地よさが絶妙にバランスする音楽はそうそうあるものではない。残念ながら現在は廃盤のようだが、この演奏はこれからも何らかの形で世の中に響き続けるだろうと思う。
ケージを初めて聴く人には、ステファン=ドラリーによる"In a Landscape"がおすすめ。こちらは一時期それなりの人気盤だったので、まだ比較的入手は容易なはずだ。そして最近のものでは、コントラバス奏者ステファノ=スコダニービオの"Dream"がとてもよかった。これらの作品に重なって収録されている、"Dream"そして"Ryoanji(龍安寺)"などは僕のお気に入りだ。
ケージと彼の作品が教えてくれることは多い。無理をしないこと、意志を貫くこと、自分を偽らないこと、権威を信じないこと、無駄を省くこと、早いだけが時間の価値ではないこと、などなど。自分自身、あるいは自分の周囲にある様々なこと、そしてもっと広く現在の社会のことを考えても、いろいろなことに対するひとつの答えをケージの中に求めることができる。
ちょうどタレントの薬物事件が世の中を騒がしているが、それにも通じるものもあると感じる。あの人にとっては、タレントとしての顔の対極に現れたのが今回の事件で明るみになった姿だったのだと思う。そのどちらもが本当の彼女なのであり、そのことはさほど驚くには当たらない。
誰にでもそして何事にも多少の無理はつきものだが、自力でバランスをとれなくなるポイントがその人や事物の限界なのである。我慢は大切だがそれがその先もたらすことをよく考えることは、誰にでも大切なことだ。もちろんそれはとても難しいことなのだが。
休暇中の夜は、少し前にわが家を訪ねてやって来た飲み友達が祝いの品に持って来てくれた一升瓶「極上吉乃川(吟醸)」を少しずつやった。非常にまっすぐなお酒で、最初口にしてみた時は日頃親しんでいる安酒にありがちな面白みに欠けると感じたのが、飲み続けても嫌みや飽きが出てこないところが素晴らしく、これが酒たる所以のひとつだろうなと感じた次第。
こういういいお酒はあまり長く置いておけるものではないのだが、栓を開けてしまえば一気にカウントダウンが始まるので、いただいたのは嬉しかったのだが、開けるタイミングを見計らっていた。兄は日本酒を飲まないので、休暇4日目の月曜日の夜に封を開けて、日曜日の今夜まできっかり7日間で一升がきれいになくなった。休暇ならではのペースである。
暑い夜が続き、エアコンのある2階のリビングで家族3人で川の字になって寝るのも楽しいものである。ケージの音楽が低く流れる薄明かりの涼しい部屋で、妻と子供の寝顔を眺めながら極上の酒を常温で気兼ねなく呑む。平凡かもしれないが忘れられないほど素晴らしい1週間だった。
この機会を与えてくれた家族を始めとするいろいろな人に感謝しなければならない。
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