3/15/2009

マーグ財団の夜

一昨日の金曜日、勤めている会社に入って以来20年の付き合いになる男から携帯に連絡が入った。少し前にメールをもらって何やら話がある様子だったので、近々飲みに行こうということになっていたのだが、どうやらその誘いのようだ。

彼とは入社して3〜4年の期間はかなり頻繁に飲みに行っていた。いまも時折足を運ぶいくつかの行きつけの店はそうしたなかから巡り会ったものだ。技術職なのだが人との接点のところで機転のきく性分だからか、会社ではかなり忙しい職場に取り付かれる男で、そうこうするうちにだんだんと飲みに行く機会も減っていった。

僕がほとんど職場を異動することもなく時間が経過して行くなか、彼はいくつかの職場を移り歩き、やがて大阪勤務となってしまってからは、ほとんど飲みにいく機会はなくなってしまった。それでも不思議と最低限の消息は何らかの形でお互いに通わせ合っていたようだ。

2年前のこの時期、彼は再び東京勤務になった。もともと関西の出身同士なので独身寮でも気があったのだが、喜んで赴任して行った大阪勤務になった時とはうって代わって、こちらに戻ってきた時は決まりが悪そうにしていた。

それからも時折思い出したように連絡を取り合い「飲みに行こう」となるのだが、いつもなかなかタイミングが合わず実現しない。結局、それから彼と飲みに行ったのは今回が3回目だった。まあ考えてみれば悪くないペースではある。

前回に続いて今回も東京に戻ってきた彼がお気に入りだった西小山の「カフェカウラ」で一杯やることにした。マンションの1階にあるワイン好きのご夫婦がやっている小さなカフェで、美味しい料理と軽めのお酒、そしてやわらかい光加減が素敵なお店である。

彼との会話はいろいろな次元を行き交い、時に理屈っぽく熱くなることもあるのだが、一方ではかなり独特なボケとツっこみを交えて展開するので、僕にとってはとても楽しい一時になる。もちろん今回も例外ではなかった。

この日、彼の話の主題は「また大阪に戻ることになった」ということだったのだが、そんな話も最初のうちで、やがて会話は仕事のことから会社がこの先どうなるのかという話になりかけるのだが、辛気くさい話も面白くないので、時折お店の外を眺めては傘をさしている人を数えて、やっぱり今夜は雨やなあ、などとどうでもいい内容に転換したりした。

実際、傘をさす人の割合は短い間にも時々刻々と増減したので、いつの間にか野球かサッカーのテレビ中継に興じるように、帰りにビニル傘を買った彼が雨派で傘を持たない僕が晴れ派に分かれて、どちらが優勢かを競うようになった。

しばらくするとその遊びにも飽きたので、話がまた日本経済のこれからみたいな内容に戻って一気に白熱するかと思いきや、彼がお店の美味しそうなソーセージをフォークにさしたまま床に落とすという失態を演じ、今度はそれをお店の人に白状して謝るか気にせず黙って食べるかで飲み問答となり(それだけでお互いグラスワインが1杯ずつ空いた)、食べることを躊躇する彼に代わって、僕が自分のソーセージを半分彼に分けて、問題の1本は僕が引き取って平らげた。

この日はお天気が悪かったせいもあってか、お客はこの変な男性2人だけだった。お互い4杯ほど飲んだところで彼が先ずトイレに立ち、その後僕が続いた。お店のトイレに通じるドアの手前に大きなポスターが飾ってあり、それが前回来店した時の記憶を甦らせながら僕の目に飛び込んできた。

ミロが描いたというそのポスターには"Nuits de la Fondation Maeght"の文字がある。

直訳すれば「マーグ財団の夜」という意味だが、正確にはフランスにあるマーグ財団美術館で開催された「現代音楽の夕べ」というイヴェントを告知するものである。ポスターの下段には、日本のピアニスト高橋悠治がケージや武満の曲を演奏することなどが記されている。

これを見た僕がギョッとしないわけがない。僕にとって最も重要な音楽アルバムのひとつである、アルバート=アイラーのラストレコーディングのタイトルそのものだからだ。僕はもちろんCDも持っているが、大学生の頃に買った2枚のLPレコードはいまも手元に残してある。これはいずれ額に入れて家のどこかに飾るつもりでいる。

お店の人にその話をしたりするうちにさらに夜も更け、お腹も満たされて、今夜彼と再会した目的もほとんど果たされたように感じた。彼は少しぼやきながらも再び巡ってきた大阪勤務を喜んでいるのは明らかだったし、同じタイミングで僕の身に訪れるいろいろなことについても素直に喜んでくれた。

彼と飲む機会はまたしばらく遠くなることになるだろうが、それはまた楽しみにとっておけそうなことである。せっかく見つけたカフェカウラは、もったいないので僕が他の誰かと一杯やるのに使わせてもらうことにしよう。

快調に吹きまくるアイラー最後の咆哮とそれに熱狂するフランスの観客たち。この数週間後に訪れる謎の死については、誰にも何も言う資格はない。ただあるのはこの素晴らしい演奏だけだ。

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