このところ大層な勢いで自宅の片付けを進めている。結婚していまのアパートに越してきて10年間が経過した。そもそも50平米もない小さな2LDKの間取りだから、そんなにモノはないハズだと思うのだが、いろいろな物陰に要らないモノがキノコのように群生しているのは、どこの家もだいたい同じ事情だと思う。
少し前にも書いたが、モノを捨てることに抵抗を感じるようになった。時代がそうなりつつあるのか、単に僕が年取ったからそう感じるだけなのかもしれない。もともと周囲からは比較的物持ちのいい性格だと見られているようだ。だけど自分が浪費家ではないと言い切る自信はない。
気がつけば景気が悪いこともあって、社会全体がお片づけモードである。それも今回はかなり大掛かりな大掃除である。余計な人を片付ける、余計な部門を片付ける、余計な制度を片付ける、余計な会社を片付ける。そうしたことに合わせて余計なモノが大量に片付けられようとしている。
片付けているつもりの人がいつのまにか片付けられてしまうなどということもよくあることだ。自信たっぷりの人ならいざ知らず、世の中で自信を持って仕事をしている人はいまは少数派だと思う。そんな状況だから人は少しずつ疑心暗鬼になっていくのだと思う。
何事もそうだと思うが、何かを片付けろと言われても正しくそれを成し遂げるのは意外に難しい。片付けというのは一種の自己否定だから自分でそれをやるのは難しいのだろう。だからといって人にやってもらえばいいというものではない。余計にややこしい作業である。
ディスクユニオンが買取強化キャンペーンをやっているので、先週CDやDVDの整理をして数十点のメディアに泣く泣く見切りを付けて送り出した。それらは現在まだ査定中だが、それなりの値段がつくとの自信はある。
今日がキャンペーンの最終日ということもあって、外出がてらさらに十点ばかりのメディアに見切りをつけてお茶の水に向かうことにした。3月だというのに寒い日曜日だ。
途中、川崎駅のホームでカメラを持った鉄道マニアが大勢集まっているのに遭遇した。彼らのお目当ては、今月で廃止されるブルートレーン「富士」の姿だった。川崎駅は通過となるのだが、撮影する条件としては悪くないのだろう。鉄道警察による構内整理が出るほどのにぎわいだった。
面白かったのは、通過直前までは比較的のんびりと待っているふうだった彼らが、直前の列車が走り去るとにわかに緊張を高めて一斉に目的の方向に注意を向けたこと。このとき一瞬にしてあたりの空気が変わったのに続いて、通過電車の去来を告げる構内放送で緊張が一気に高まった。事情を知らない一般の人々までその方向に注意を向け、なかにはカメラや携帯電話で写真を撮ろうとする人までいた。
富士号がかなりのスピードでホームに滑り込んできて、走り去るまでわずか十秒間ほどの出来事である。ネームプレートを掲げた勇姿を収めるチャンスなど普通のカメラならわずか1、2秒しかなかったはずだ。
列車が通過すると、マニア達はそそくさとホームを後にして散り散りとなって行ってしまった。名残惜しいが実質的により優れた代替え手段がいくつもある以上、廃止は仕方ないということだろう。ここでも片付けが進んでいる。それは必要なことであって決して悪いことではない。
心なしかお茶の水の街も人が少ないように感じた。それでもディスクユニオンは元気に営業してくれていた。今回はCDとDVDあわせて11点を引き取ってもらったが、査定金額は8880円となかなかのものだった。また誰かの耳を楽しませてくれるのであればその方がいい。
査定を待つ間、お茶の水駅前にあった「博多天神」でラーメンを食べた。久々に食べる博多ラーメンはやっぱり美味しかった。もちろん無料の替え玉を楽しんだのは言うまでもない。これなら500円を払う価値は十分にある。満足だ。
いいなと思う音楽はいろいろあるのだが、それについてはまだ次回。
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