11/30/2008

自宅のジャズ喫茶

前のろぐにも書いたように、以前に使っていた4GBのiPod nanoに自宅でBGM代わりに聴く音楽を整理し直してみた。

今回の整理に当たっては、1)対象をジャズに限定する、2)いわゆる名盤といわれるものを中心にしつつ、最近のマイブームも少し反映させる、3)収録に際してはオリジナルアルバムの体裁を尊重する、という3点をポイントにした。

要するに、何を聴くかを選んだり操作するのがいちいち面倒なので、このように音楽を収録したiPodをアルバム単位のシャッフル再生にして、再生ボタンを押すだけでジャズの名盤が次々に流れてくるという、さながらジャズ喫茶の様な気分を味わえるという仕掛けにしたかったのである。

このアルバム単位のシャッフル再生というのは、僕がいま通勤などで愛用しているiPod touchやiPhoneなどでは出来ない。このことを不便に感じている人は多いようで、ネット上にもヘルプを求めるスレがいろいろ出ているがどうやらまだ解決はないようだ。ご存知の方がいらっしゃれば是非とも教えてください。

ポイントの1)については、従来はクラシックやロックなども少し入れてあってのだが、たまにその種の音楽を聴きたいと思っても、数少ない収録曲が聴きたいものとは限らないので、それならばどうしても聴きたいときはその都度CDをかける様にすればいいと思った。

ポイントの3)は要するに未発表テイクを省いたり、全集ものをまるまる収録するのではなく、ちゃんとオリジナルアルバム単位に分けて収録するということである。これについてはこれまでも何度かろぐに書いてきた通り、やはりその音楽が作られた時代のアーチストやプロデューサの意図を尊重することが、その音楽を楽しむうえで一番必要なことだと思うから。

さて、こうして4GBのiPodに82枚のジャズアルバム合計638曲が厳選(?)された。これが完成したのは2週間前のこと。以来、家で食事などのたびにこれをアルバムシャッフルで演奏しているのだが、まだようやく半分を過ぎたところの351曲目である。

ちなみにいま流れているのはキース=ジャレットの"Standards Live"から"Too Young To Go Steady"である。このアルバムは何度聴いてもいいものだ。

こうすることで音楽の聴き方にメリハリが出たのか、このところまたまた音楽CDの購入ラッシュになっている。内容は広い意味でいろいろなジャズが中心になっているのだが、おそらくは、僕がジャズを聴き始めた頃の音楽をまとめてみることで、いま自分が興味のあるいろいろな音楽の位置づけの様なものが、頭の中でクリアになっているのだと思う。

ちなみに、今しがたキースのアルバム演奏は終了し、次に流れてきたのはコルトレーンの"Giant Steps"である。うーん、なんとも楽しいものだ。

キースのあの作品が発売されたのは1985年だから、もう23年も前のこと。あの頃の僕はまだデレク=ベイリーもポール=ブレイもデイヴ=ホランドも知らなかった。

そしてコルトレーンのは、高校生の頃に和歌山市の図書館でLPレコードを借りて聴いた、初めてのコルトレーン体験だった。こちらは1959年の発売で僕が生まれる5年前のことだ。来年でちょうど発表50周年になるんだなあ。

いろいろな思いが頭を巡る。今日はこのまま熱燗でもやりながら少し時間を超えた旅でもしてみようか。

Keith Jarrett
"Standards Live"

11/23/2008

壱源のバラッド

今年の秋は連休が多い。月初の文化の日に続いて、勤労感謝の日も3連休である。9月と10月にハッピーマンデーが導入されているのだから、まあ当然と言えばそうなのだが。

先月、会社で受診した健康診断の結果でちょっと気になる結果があった。僕はどうやら生まれながらにして脈が乱れがちな体質のようだ。いわゆる不整脈である。会社の成人病検診で生まれて初めて心電図を採った35歳のときにそのことを知った。以来、心電図を受診するたびにその結果が出て「要精密検査」となる。

6年半前には専門病院で精密検査を受け、その際にどうやらあまり心配する必要のないものだということが判明し、以来ほとんど気にしたことはなかった。それがなぜか今回は結果が気になり、気にすればするほど胸が重い感じがしたので、前と同じ病院で再度診てもらうことにしたのだ。

忙しい中、わざわざ会社を休んで行ったのだが前回と同じ先生が応対をしてくれた。彼が僕に言ったのは一言「あんまり気にし過ぎるのはよくないよ」ということだった。

ただ以前にも増して僕は身体のことを気にするようになった。お酒を少し(あくまでも少しかもしれないが)減らし、脂分の少ない食事を心がけるようにした。会社でお昼に食べていた中華弁当や揚げ物の弁当をやめ、家でもそういう食事を意識するようになった。これには妻も同意してくれて、近頃は味付けも含めかなりヘルシーなよるご飯が続いている。薄味はいいものだ。

脂といえばラーメンである。こればかりはやはり食べたくなる。そこをなるべく我慢する。カップラーメンはあまり食べることもなくなりそうだ。お店のラーメンはなるべく週末に続かないようにして行くつもりだ。なじみのお店には申し訳ないのだが。

連休初日、渋谷にCDを見に出かけた。といっても半分のお目当てはラーメンである。まあたまにはいいだろうということで、心躍る思いで北海道ラーメンの「壱源」を目指した。しかし、お店はなくなっていた。張り紙さえされていないお店の跡を前に僕はしばらくじっとそこに立っていた。家に帰ってネットの情報で先月18日に閉店したことをようやく知った。運命のいたずらとはこういうことか。とても残念である。

お店に何があったのかはわからない。薄暗い簡素な店内の雰囲気とは裏腹に、とても暖かいお店のお母さん、奥のカウンターで作業するご主人と若い店員さんの顔が浮かぶ。飲食店に限らず、作った人の顔が浮かぶ仕事というのは、とてもかけがえのない大切なことなのだなと思った。仕方なく近くにある「博多金龍」で替え玉をして食事を済ませた。スープはなるべく残した。

最近はCDを買うにしてもネット経由が多いのだが、やはりショップはたまには覗いてみたくなる。ネットの侵攻は着実に進んでいる。最近驚いたのは、ディスクユニオンが中古品を含めた店頭在庫CDのネット検索ができるサービスを始めたこと、そしてドイツのECMレーベルの諸作品がiTunes Storeで配信されるようになったことだ。

いずれも僕個人としては「とうとうここまできたか」とある意味で感慨深いものがある。前者はCDの流動性を高めることの、そして後者は音響というものに対する業界の認識の鈍化を象徴するものだと思う。自分は音質にはわりとこだわりの少ない方だと思う。「音が良い」というのはあくまでもライフスタイルの問題で決まるのだから。

渋谷のディスクユニオンに立ち寄る。奇しくもECM中古盤の大放出というのをやっていた。そのなかでながらく中古で探していた作品を見つけることができた。ポール=ブレイの「バラッズ」。ジャケットを一目見ればECMのかなり初期の作品であることがわかる。カタログナンバーは1010番だから、単純には10番目の作品ということになる。

この作品には2つのピアノトリオによる演奏が収録されている。ブレイとドラムのバリー=アルトシュルは同じで、ベースがゲイリー=ピーコックとマーク=レヴィンソンに分かれる。録音は1967年とあるから、ECMが創設される少し前のものだ。よって作品には同レーベル作品にお馴染みのマンフレッド=アイヒャーのクレジットはなく、代わりにすべての楽曲を提供したのがアネット=ピーコックであるということと、意味深なメンバーのスナップ写真が掲載されている。

このCDはミュンヘンのECMからは正式にはCD化されておらず、ユニヴァーサルミュージックの日本法人の企画ものとして日本で復刻されているものだ。だから今の時点ではかなり貴重なのである。先に書いたクレジットと写真の持つ意味については、復刻盤のライナーノートにちょっとしたエピソードが載っている。

ブレイの音楽に対しては好き嫌いははっきり分かれるところだと思う。家に帰ってさっそく聴いてみたのだが、もう前半の"Ending"だけで完全にノックアウトされてしまった。本作品が"Open to Love"や"Fragments"と並んで彼の重要作品であることに個人的には異論はない。ブレイが1960年代後半の時点で、これほどまでに美しく緊張感のあるピアノトリオ演奏をしていたのは驚きである。キースが現在のECMの表看板だとすれば、ブレイは創業当初からある隠れメニューといったところだろうか。

しばらく探していたこの作品に出会ったその日に、なじみのラーメン屋がなくなってしまったことを知ったことは、おそらく今後この作品を聴く折にふれ思い出させることになるのだろう。まあそれも悪くないかもしれない。

ポール=ブレイ
「バラッズ」

11/16/2008

パス イット オン

このところ週末はあまりいい天気にならない。この土曜日も午前中はまだよかったのだが、午後になると雨が降ったりした。日曜日はずっとどんよりした曇り空で、時折雨が落ちた。近場を少しうろうろしたりしたが、家の中で片付けや整理をして過ごすことが多かった。

僕は少し前から気になっていた、ハードディスクに入れてある音楽の整理をした。こういう作業でも「音楽の整理」と呼ぶのだから、以前とはずいぶん様変わりである。ホコリで手が汚れたり、重い箱をさげて腰が痛くなったりすることはないが、代わりに目と肩が疲れてしまう。

気になっていたのは、マイルスと(ビル=)エヴァンスそれぞれのボックスセットのデータを、正規のアルバムに組み直すという作業。そう言われてわからない人には何のことやらと思われるだろうが、今の時代ならではの整理上の問題の一つである。それといわゆる名盤といわれるジャズのアルバムを、まとめてディスクに収録する作業である。

ボックスものはある期間の作品について録音順に収録されているもので、実際に発売されたアルバムとは曲順が異なりアルバムとして聴くには非常に不便である。ジョーヘンやクリフォードのボックスセットをアルバム単位にまとめ直してみて、やはり本来こうあるべきだよなと納得していた。マイルスとエヴァンスのセットは収録作品が多いので、ちょっと面倒な作業になる。

以前にも書いたかもしれないが、やはり未発表テイクと呼ばれるものには、そうなった理由があるのだから、そこにプレミアム性を見いだすことはできるとは思うが、それは実際のところはあまり大したものではない。たくさんのCDを持っていろいろと聴くようになると、ますますそういうことはどうでもいいように思えてくる。

おかげで、マイルスのプレスティッジ時代、エヴァンスのリヴァーサイド時代の名アルバムについて、今一度その存在を確認することができた。これからはまたアルバム単位でこれらの作品をじっくり聴くことになるだろう。さらにそれらと同時代のジャズの名盤10名ほどを新たにiTunesのライブラリに加えた。キャノンボールの「サムシン エルス」、ウォルター=ビショップJr.の「スピーク ロー」、ポール=デズモンドの「テイク テン」等々。またこのろぐにもそれらの名前が出てくることになるかもしれない。

さて、今回は最近購入したCDの中からデイブ=ホランドの最新作を紹介しておきたい。

前作「クリティカル マス」も良かったのだが、今回の作品はECM時代から続いてきたバンド編成に大きな変化があった。それはピアノが加わっていることであり、その席を務めているのはなんとマルグリュー=ミラーである。

デイヴの音楽はコンポジションとインプロヴィゼーション両方の観点から、非常に優れた内容のものであるが、テンションの高い音楽である反面で難しさや近寄りがたさのような要素が感じられないわけでもなかった。今回、ピアノが加わったことで、その辺りについて少し柔らかさや親しみやすさを増しているように僕自身は感じている。

デイヴの心境にどの様な変化があったのかはわからないが、僕はこの編成で演奏される音楽にとても強い好感を持った。収録曲は従来から演奏されてきたオリジナル曲も多く、その意味ではピアノ入りのセクステット(6人編成)での新しい表現を楽しんでいるようにも思える。

アルバム後半に収録されたサム=リヴァースに捧げた"Rivers Run"、そしてエド=ブラックウェルに捧げたアルバムタイトル曲"Pass It On"は、このアルバムの大きな目玉である。特に前者はドラマチックでスリリングな展開が見事な作品である。ちなみにサムは1923年生まれで現在85歳(!)ということになるが、彼のウェブサイトを見る限りは未だ現役で、自身のオーケストラとトリオを率いて活動しているようだ。これは知らなかった。あれだけの吹きまくりを続けて、現在もなおご存命でなおかつ現役で演奏されているというのは、信じられないことである。

これを機会に過去のデイヴの作品をいくつかiTunesに入れ聴き直してみたりもしている。やっぱり僕自身が一番お気に入りのベーシストとして、すごい活動を続けているなあと、しみじみ感じ入ってしまった。今回の作品はこれまでの彼の音楽にちょっと距離を感じていた人にも、彼の世界を楽しんでもらえると思う。是非とも聴いてみてください。

 デイヴ=ホランド セクステット
「パス イット オン」

11/09/2008

世の終わりのための四重奏曲

寒くなってきた。今日も寒い一日だった。空はずっと暗いままだった。

世相も暗い。やはり経済のせいだろう。秋口に不景気が叫ばれ始めるというのは雰囲気が悪いものである。季節も経済も同時に冬になっていくわけだから、関係ないとわかっていても、妙に実感として気分がシンクロする。

仕事で市場経済の分析などということをなまじやっている自分が言うのも変かも知れないが、そもそも景気というのは経済のメカニズムが半分、人々の心理が半分というものだと思う。その意味では不景気は経済の病なのであり、「病は気から」というのも半分当たっているのだと思う。

世相が暗くなると思うのは、日本人はやっぱり先行きが大変とかそういう悲観論とか終末論みたいなものが好きなんだなあということ。それともう一つは、和の精神という一方で妬みとかひがみは、結構強いなあということ。具体的に何を見ていてそう感じるのかはまた別の機会にしたい。

そうは言っても、今日の経済が現状況に至ったのにはかなり明確な原因がある。いわゆるサブプライムローンに代表される、現在の金融システム運営の危うさがそれに当たる。日頃、そんなこととはほとんど無縁の生活をしているのに、いい迷惑だと感じている人もいるだろう。しかし忘れてはならないことがある。「カネは天下の回りもの」とはそういう意味ということだ。

先の金曜日の夜に、NHKの教育テレビで放映されている「芸術劇場」で、オリビエ=メシアンの生誕100年に因んだ内容のものがあった。前半が彼の代表作「世の終わりのための四重奏曲」の演奏、そして後半が9月に川崎のホールで行われた彼のオルガン作品の演奏会からの映像という内容だった。

メシアンについては、一度このろぐでもオルガン作品集を紹介したことがあると思う。元々が即興音楽だということもあるのかもしれないが、彼のオルガン作品には、本来そこに込められている宗教的なものよりも、ジャズやその後のフリーインプロヴィゼーションなどの即興音楽に通ずる音楽性を僕は感じる。だからメシアンの音楽はいわゆる現代音楽の中でも、他とは違う親しみ易さがあるようだ。

今回の放映された演奏も素晴らしい内容だった。「世の終わりのための四重奏曲」は自分でもCDを持っている。といっても、まだ入社して3年前後の頃に、音楽好きだった当時の上司からもらったものである。当時その人は、間違って自分が既に持っているCDと同じ演奏が収録されている廉価版CDを買ってしまったのだと言っていた。

少々変わった編成の四重奏だが、その理由も含めてこの作品に関する背景説明は、インターネットのいろいろなところに情報があるのでそれらを参照されたい。考えてみれば、ピアノとクラリネットを含めた編成というところが、ジャズのユニットに共通するところがあるのも親しみやすさに関係があるのかもしれない。

冒頭、不景気の話を書いた後にこの作品を紹介すると、何か「この世の終わり」を掛け合わせた終末論のように受け取られるかもしれないが、そういうつもりではない。そもそも作品の原題"Quatuor pour la fin du temps"の邦訳として「世の終わりのための四重奏曲」がふさわしいのかどうかということも、よく言われることであって、僕自身もこれには少し疑問を感じている。どうして「時代の終わりのための四重奏曲」ではなくて、「世の終わり・・・」なのだろうか。

やはり日本人は「世の終わり」が好きなのか、それは単に人の注目を集めるためだけなのか。今の世の中の状況についても、同じことを感じる。これは時代の変わり目なだけであって、世の中の終わりなどではないのだ。

まあそれはともかく、非常に素晴らしい音楽作品なので、まだ聴いたことのない方は是非ご一聴を。CDとして発売されているものであれば、きっとどれもそれなりにいい演奏だと思う。

11/03/2008

3連休の疲れ

文化の日を含んだ3連休。いずれも自宅からそれほど遠いところではないものの、僕らはいろいろなところに出かけ、いろいろな人やモノに出会った。いろいろなおいしいものも食べた。楽しい連休を過ごすことができたのだが、少し疲れてしまったようだ。

買ってからもう長い間ほとんど聴かずにおいてあった、フリー系の打楽器奏者アンドレア=センタッツォが主催するレーベル、"ICTUS"活動30周年を記念したCD12枚組のボックスセットの音源を、iPodに収録した。いままで大きな箱がずっとすぐ手の届くところに置かれていたのだが、どうも内容に向かう気になれずにいた。これから少しずつこれらの音源を聴いていくつもりだ。

ということで今回は簡単だがここまでにしておく。気候はどんどん寒くなってきている。風邪も流行っているようだ。皆さんも体調にはくれぐれもご注意されたい。