9/07/2008

黒夢

まだ独身だった1997年頃、テレビの歌番組を視ていて気に入った曲があった。黒夢の「ナイト アンド デイ」という作品。静かな切ないメロディを持ったバラードだった。歌う清春の姿がまたカッコよかった。僕は住んでいたアパートのすぐ近くに当時あったレンタル店に行って、その歌が収録されたアルバム「ドラッグ トリートメント」を借りた。

黒夢というとヴィジュアル系といわれる人たちで、僕の興味とはほとんど無関係な音楽をやっているのだと思っていた。独特の奇抜な衣装に厚い化粧、そして派手なヘアスタイルの前髪の間から、怖そうで無関心な眼差しがこちらを伺っている、そういうものが頭に浮かんだ。しかしアルバムを一聴した僕はその考えを変えなければならなくなった。聴こえてきたのは強力だが自分にはずいぶんとしっくりと来るパンクロックだった。

確か秋の深まった頃だったと思うのだが、その年の年末に僕は少し体調を崩してしまい、予定していた実家への帰省を取りやめて、初めて独りでお正月を迎えることになった。たぶん体調の程度はそれほど重かったわけではなく、それよりもむしろ実家に帰らない口実が欲しかったのだと思う。

大晦日に渋谷に出かけ、フェアウェルセールでにぎわうディスクユニオンやタワーレコードでたくさん買い物をした。なにせ往復で3万円近くもかかる交通費がそれで浮いたのだから。最後に行ったタワーレコードで、大晦日恒例のダブルポイントをもらってカードが一杯になったので、それを使って結局気になっていた「ドラッグ トリートメント」を買ってしまった。

以来、僕は彼等の音楽のファンになった。意外に思われるかもしれないが、それ以降に出たライヴアルバムとラストのアルバム「コークスクリュー」の3枚のCD、そしてライヴの映像を収録したビデオを買い、それらはいまも僕の手元にある。ライブアルバムに付録でついていたポスターは、結婚してそのアパートを出るときまで部屋のドアの内側に貼ってあった。

こういう音楽は自分が演じているような気持ちになって聴きまくることが多く、自ずと内容は身体にしみ込んでゆくことになる。結婚してからは徐々にそれを聴くこともなくなったのだが、なぜかCDラックには2枚のスタジオアルバムが箱に仕舞われることなく置かれていた。

このところの忙しさや何となく仕事や会社に抱くやるせなさからか、2週間程前に急に彼等の音楽のことを思い出し、それこそ薬の代わりになればいいという思いで聴いている。10年前のいろいろな記憶をよみがえらせつつ、僕の疲れた心は彼等の音楽で奮い立たされた。クスリの効き目は抜群だったと言えるだろう。

僕のお決まり聴き方はこうだ。「ドラッグ トリートメント」を1曲目の"Mind Breaker"から7曲目の"Spray"まで通しで聴いて、その後12曲目の"Needless"に飛んで続く"Like A Angel"になだれ込む、そして最後に「コークスクリュー」収録の名曲"少年"を聴く。ここまで約40分ノンストップで彼等のギグを楽しむのだ。僕のいまの通勤時間にはこれがちょうどいい。

先々週や先週の会社の行き帰りはずいぶんとこれに世話になった。これを聴いている間、自分がどういう様子にあるのか、時によく覚えていないまま降車駅に着いたことに気づくこともあった。

彼等の人気の秘密はヴィジュアルよりも、やはり卓越したメロディーメイカーである2人から生まれる音楽の素晴らしさにあると思う。パンク調に入った後期においても激しいサウンドスタイルの中に美しく誇り高いメロディが息づいていて、それはいま聴いても決して色褪せるものではない。清春の歌詞は直情的に人の心をわしづかみにする。これに冷めてしまってはこの音楽を楽しむことはできないだろう。

もう一つ素晴らしいのはサポートメンバー、とりわけドラムを務めるそうる透氏の存在は強力だ。正確で揺れることのない強烈なビート、そしてそれをキープし続けるスタミナはライヴ映像からもしっかり伝わってくる。ドラッグトリートメント収録の歌詞が掲載されていない曰く付きの作品、3曲目の"Drive"から切れ目なしに続くパンクビートの嵐はもうひたすら圧巻である。

この音楽の僕にとっての中毒性のひとつがここにあり、僕がこのアルバムにひき込まれた大きな理由に彼のドラミングがあるのは間違いない。このスタイルはツェッペリンのジョン=ボーナムとともに僕にとってのロックドラムの一つの理想かもしれない。

おかげで少しは落ち着いてきたので、またいろいろと他の音楽を聴き始めている。今度これの世話になるのはいつのことかわからないような気がして、今回のろぐに書き留めておいた。

黒夢「ドラッグトリートメント」


黒夢「コークスクリュー」

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