8/19/2007

DJ KRUSH「MiLight—未来」

 夏休みといっても、とても慌ただしく忙しい1週間だった。前半は主に金融機関を中心に、父親の財産整理に関する手続きをして回った。後半は実家の荷物を整理することと、満中陰(いわゆる「四十九日」)の仏事と納骨というふうに休みなくイベントが続いた。和歌山は連日気温が35度前後で、夕立も含めて雨が降ることはなかった。

財産の関係で、兄と二人で和歌山市内にある金融機関をいくつも回った。こんな経験は一生でも珍しいことかもしれない。手続きの進め方はもちろんのこと、応対の仕方や、お店の雰囲気など各社各様で興味深いものだった。ほとんどマルチ商法の事務所のような地場の証券会社、ベテラン窓口行員の頑張りが有難い地方銀行、品格を感じさせる女性受付につい目がいってしまう大手証券、サービスのサの字も感じられない応対の農協、今日日「新入社員」というバッチをつけた若手男子の接客がものの10分で崩壊し、頼もしいキャリア女性に代わった信託銀行、などなどである。

暑い1日の作業が終わって、兄や僕の妻と飲むビールはやはり格別の味だった。やはり僕の一番のお気に入りは、和歌山駅地下にある「酒処めんどり亭」である。あそこの串揚げの安さと美味さ、のれんを分けて座るカウンターの雰囲気は最高である。もし実家を含め和歌山にあるすべてを清算してしまったら、この愛すべきお店に足を運ぶこともなくなるのかなと思うと、少し残念な気もする。まあそれはまだ先のことだとは思うのだが。

仏事はひたすら訳が分からぬままに過ぎた。このためにいろいろと骨を折ってくれた兄には申し訳ないのだが、死者を送ることになぜあの様な手間と金をかけねばならないのか、理解できるものではなかった。行事の前夜、お墓に入れる骨壺(和歌山では火葬後は大小2つの壷に骨を分け、大きい方を四十九日にお墓に納骨し、小さい方を数年後に本尊のお寺に納骨する習慣がある)を見るのは今日限りと思い、骨壺を開けて父の骨を手に取ってみた。あの日火葬場で見たのと同じきれいに灰化したもろい骨がそこにはあった。

すべての予定を終え、今回は事情あって僕は一人で川崎まで帰ってきた。新幹線のなかではぐったりしてしまった。1週間ほとんど音楽を聴いていないことに気がついた。iPodにある音楽のリストを眺めて、先ずは父のことを考えながらキース=ジャレットの"Bridge of the Light"を聴いた。これで少し疲れが落ち着いた僕は、ちょっとだけ眠ったようだった。

その後、何か新しいものを感じさせてくれる音楽が聴きたくなり、たまたまiPodに収められていたものから今回の作品を選んで聴いた。久しぶりに耳にしたKRUSHの音楽は神妙な力強さで僕の気持ちのなかにしっかりと入ってきた。

1996年に発表されたこの作品では、いつもの様に多彩なゲストとKRUSHのコラボレーションが楽しめる構成になっているのだが、ここでは「未来」をテーマにそれぞれの音楽を展開すると同時に、各トラックの前か後に各ゲストが自分の言葉で「未来」について語る短いトラックを収録するという趣向が凝らされている。

既に録音から10年以上が経過しているのだが、卒業生のタイムカプセルよりもはるかに真剣なメッセージがこめられていて非常に聴き応えのある内容になっている。もちろん演奏トラックの内容も現在のシーンから考えても超一流のものばかりである。最初から最後まで「新しい音楽」を満喫できる72分間である。

最近、こういったクラブミュージックのシーンにはご無沙汰してしまっているので、何がどうなっているのかはよくわからないのだが、少なくとも一頃の様な勢いは失っている様に感じている。多様化するのは好ましい一面もあるが、音楽の本質とは関係のない方向に展開することは、結果的に音楽そのものの内容にそのツケが還ってくることになる。複合化して生まれる新しい価値もそれを支える本質的な土壌の探求がなければ存在し得ないのである。

和歌山から戻ってまた明日からは仕事である。今夜は「新しい音楽」を肴にゆっくりビールでも飲んで、ひと時を過ごそうと思う。

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