梅雨があけたようだ。わかっているが、暑い。少し前ならこういう気候を楽しんで外出することもあった。近頃はそれができない。太陽の下に不用意に出て行くとおかしくなりそうである。特に今年はそう感じる。それでも夏はいい。
この1週間は妻が北欧に出張した。僕は独り生活を楽しむことになったわけだ。渋谷にCDを買いに出かけてみた。開放的な服装の女性が目に付く一方、男性の服装はどうも垢抜けない。あれがいいのだというのもわかるのだが、どうも僕にはあのだらんとした感じがダメだ。
最近、渋谷で食べるものといえば道玄坂「壱源」の味噌ラーメンと決まっている。にんにく少々と一味唐辛子を多めに振る。味噌と油のコクがかための縮れ麺によく絡む。
この季節の常として「冷たいラーメン始めました」と手書きの張り紙が、店先に出ている。あれを見るたびに僕が思うのは「無理しちゃってぇ」ということだ。ラーメンを真剣に作ろうと思っている人からすれば、冷やしラーメンはこの季節の頭痛の種だと勝手に思っている。手間はかかる、水は使う、客が注文する理由は単に「暑いから」だけでも要望には応えなければならない。大体、一度あっためたものを何でまたすぐに冷やすのか。環境にやさしくない(おかしいかな?)。
家に独りでいると夜の時間がゆっくり流れるように思う。真夏の夜に久しぶりに音楽をゆっくり楽しめる。以前から少ししっかり聴いて見たかった「琵琶」の音楽CDを2枚買い求めた。一つは、現代の琵琶の巨匠、鶴田錦史の最後の録音となった3曲を収録した「琵琶劇唱~鶴田錦史の世界」(写真上)、そしてもう一つが、彼女の弟子、中川鶴女の最近の演奏3曲を収録した「琵琶散華」である。
最初に買ったのは後者の方だったが、聴いているうちにどうしても前者が聴きたくなり、あらためて買いに行った次第である。両方に共通して収録されているのが、鶴田作の弾き語り「壇ノ浦」である。言うまでもなく平家滅亡の戦を物語りにした作品である。
最初は純粋に琵琶の演奏だけを聴きたいと思っていたのだが、中川の「壇ノ浦」を聴いて僕は琵琶弾き語りの素晴らしさに圧倒されてしまった。「鶴田錦史の世界」には鶴田の演奏は入っていない。演奏するのは3人の弟子たち(そこに中川はまだいない)によるいわゆる三面琵琶である。鶴田は歌(語り)のみである。
最後の録音に際して錦史が選んだのは、いずれも平家の興亡に関連する3つの自作「俊寛」「壇ノ浦」「義経」であった。鶴田錦史はこの収録の1週間後、1993年10月25日に亡くなったのだそうだ。まったく重要なタイミングで録音が行われたものだと感心する。
鶴田錦史という人は、もう芸の道一筋の人だと思っていたのだが、そうでないことを作品のライナーノートを読んで始めて知った。20代までは琵琶一筋だったのが、世の理不尽な壁に突き当たり、突如として水商売の経営に乗り出す。54歳になって武満徹と出会うまでそれは続き、その間、琵琶にまったく触れないことが何年もあったという。これには僕も大いに驚き、そして大いに元気付けられた。
それにしてもここに納められた音楽の素晴らしさはどうだ。まだ十数回しか聴いていない者にとても言葉で書けるようなものではない。演奏自体が持つ時間と空間の拡がりは、すぐに琵琶音楽の歴史が持つ時間と空間の壮大な拡がりへと変貌する。聴くものはただただそれを受けとめるだけ、耳を傾けるだけだ。僕はいつしかiPodに入れて外でも聴くようになってしまった。
20世紀の後半、欧米の方向に大きく触れることになった日本の文化だが、ここに来てそれがまた本来の伝統に回帰してきているように思う。僕もこの作品との出会いを大切に持ってこれからを生きたいと思う。
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