7/07/2007

山と階段

蒸し暑さは少し感じるものの、夕方以降は急に涼しさを感じる土曜日だ。早いもので骨折から12日目の夜を迎えた。

おかげさまでいまのところ日々順調な回復を続けている。直後にはまったくできなかった、仰向けの姿勢のまま床に就くこともいまはゆっくりとなら問題なくできる。寝返りをうつのにもほとんど痛みを伴うことはなくなった。それに伴って、痛み止めの薬も最近は1日1回で過ごせるようになり、今日は朝から薬も飲まず午後少し外出する際に病院でもらった痛み止めの貼り薬を、患部付近に貼って出かけ、それで効果は十分だった。

来週の半ばにもう一度病院で診てもらい、そこで異常がなければあとはしばらくは胸にサポータを巻きながら生活をし、自然に治癒するのを待つことになる。3連休が過ぎたあたりからは、お酒も普通に飲めるようになるだろう。ただ、これからは外で飲むのはいままで通りとしても、家で飲むお酒は少し控えめにしようかと考えている。骨を折ったこととは直接関係しないのだが、寝る前に飲むお酒はやはりいろいろな意味で心身によくないと思うようになった。

いま考えてみると、階段で足を滑らせたとき、僕はお酒のせいというわけではなく、何かいろいろな要因が絡まって、意識が少し空虚な状態になっていた様に思う。いま憶えているのは、自分が降りようとしている階段を見下ろして、こけたら危ないなあと一瞬思ったこと。にもかかわらず階段を2、3段降りたところで、僕の足は見事に滑ってしまった。ちょうど右足を前に出したときに、左足が前に滑ったのである。お分かりのように、そうすると両足が前に飛び出し、宙に浮いた身体はそのまま階段に落下した。その際、階段の角で左脇近くの背中を打ったというわけだ。

足を滑らせたのはもはやどうしようもなかったとして、浮いた身体をどこにぶつけたかは運命のわかれめだったのかもしれない。あれがもし後頭部だったらと思うと、いまでもゾッとするし、腰をぶつけてまたヘルニアが再発するというのも有難くない話である。そう考えると、肋骨の骨折程度で済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。骨折の話を聞く度に、自分はこのまま一生骨折と縁もなく終われるのかなあ、と考えたこともあったのだが、その時は意外なほどあっさりと訪れた。人が命を落とす瞬間も、やはり同じように訪れるのかもしれない。


そう思わざるを得ない出来事が少し前にあった。僕の妻がいま僕がいる会社に入社したときの同僚で、数年前からアメリカの関係会社に出向している男がいた。僕らが結婚した頃、妻の同期入社の人たちが集まるバーベキューや飲み会に僕も何度か招かれたことがあり、僕はそうした機会を通じてその男とも面識を持つようになった。まあ仲間内ではなんというか天真爛漫で純朴で、少しヌケたところというか頼りなさげなところも感じさせる、ちょっと三枚目的な性格で皆に愛されていた。

予定では、この6月一杯で出向期間を満了し、日本に帰ってくることになっていたのだという。米国西海岸での滞在の記念にと思ったのか、もともとそういう趣味があったのかは知らないが、6月半ばの週末に彼は仲間3人と有名なヨセミテ国立公園内にある岩山「ハーフドーム」の登頂に出かけた。ここはその名の通り、ドームを縦に半分に切ったような形をした巨大な岩山で、垂直に切り立った壁面を麓から見上げた写真は、ヨセミテの風景写真の定番といってよい。彼はその登山中に不覚にも岩山の斜面で足を滑らせて滑落し、そのまま帰らぬ人となってしまった。

いまのご時世、イメージ検索をすればハーフドームの観光写真はいくつでも見ることができる。写真家アンセル=アダムスの作品で一躍世界に有名になったヨセミテの風景は、普通だったら僕らの心に何らかの癒しや啓示を与えてくれるものであるが、さすがに彼の訃報に触れてからは、しばらくそうした写真を直視することができずにいた。こんなところを滑り落ちたのかと少し考えただけで、その先の思考は強引にでも断ち切らねばならなかった。

ヨセミテの岩山と新宿の飲み屋の階段を同じに扱うのは、少々不謹慎と思われるかもしれない。でもこんな経験をした僕には、不注意で怪我をしたり命を落としたりすることは、どこでも起こりうるのだということを身をもって感じた。


 ジャズピアニストのポール=ブレイの新作"In Mondsee"が、ECMから発表された。新作といっても録音されたのは、2001年の4月というからそれから6年間ゆっくりと寝かせてCD化されたというところが実にECMらしい。因みに今年はブレイの75歳の年にあたるのだそうで、本作のリリースもそれを記念した作品としてのものであることが、同社のウェブサイトに記載されている。

内容は、オーストリアのモントゼーにある有名なピアノを使って行われたソロ演奏。ピアノソロと言えば、1972年にECMからリリースされた"Open to Love"がブレイの大傑作であるわけだが、その30数年後にリリースされた今回の作品もまた、ソロピアノの世界に大きな標を残す作品になることは間違いないだろう。10のインプロヴィゼーションで構成された1時間の作品は、何度も繰り返して聴いても尽きない深い味わいを予感させてくれる。ブレイの演奏は、彼独特のリリカルな表現をベースにしながら、時にジャズらしい力強さや、スタンダード曲のモチーフらしきものを織り交ぜたりしながら、自由に時空間を広げていき、その展開には思わず時間と我を忘れさせてしまう。これは非常に素晴らしいものだ。

このところピアノといえばキースを中心に聴くことが多かった僕だが、今回の作品は久しぶりにキース以外のピアノに深く感動させてくれた。しかし、"Open..."がリリースされたときのブレイの年齢がいまの自分と大体同じとは。。。まだ数回しか聴いていないこの段階で取り上げるのもどうかと思ったのだが、この作品に収められた演奏が秘める価値の永続性を信じ、それを不慮の事故で命を失ったあの男の魂を弔う音楽としてささげたたいとも感じた次第である。

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