久しぶりにかなり強力なジャズCDに触れることができた。今回はこれを紹介したい。
内容は、サックスのデイヴ=リーブマンとピアノのリッチー=バイラーク、そしてベースのロン=マクルーアにドラムのビリー=ハートからなるユニット「クエスト」が、15年ぶりの再結成により演奏した記録である。録音されているのは6曲、2005年11月の欧州ツアーから前半3曲がスイスのバーデンにおける演奏、後半3曲がその前日に行われたフランスのパリでの演奏だ。
Questとは「探求」と言う意味である。このユニットはリーヴマンとバイラークの双頭ユニットととして、確か日本側の企画で誕生した。1981年から数枚のアルバムがいろいろなレーベルを通じて発売されている。デイヴは1970年のデビューから現在に至るまで、ほぼ一貫してコルトレーンミュージックの継承者としてコンスタントに演奏活動を続けている人だ。一時期、ソプラノばかりを吹いたこともあったが、基本的にはトレーンと同じくテナーとソプラノを中心にした強力かつ自在な演奏が魅力である。
今回の作品でも、コルトレーンに所縁の作品が2曲"Ogunde"と "Dark Eyes"収録されており、デイヴはいずれもテナーで挑んでいる。また冒頭のモンクの"Round Midnight"は、リッチーとの息のあったデュオ演奏。リッチーはやさしく美しい側面と鬼気迫るハイテク演奏を自在に使いこなし、この難しいコード進行の作品を見事に演奏している。僕も昔、この曲を演奏したことがあるが、これだけこの曲を自分のものとして扱えたらさぞかし楽しかっただろうなあと感心するばかりである。
3曲目に収録された2人のオリジナルをつなげたメドレー"WTC|Steel Prayer"が、これまた非常に素晴らしく感動的な演奏である。いずれもタイトルどおり9.11の悲劇をテーマにしたものだが、ジャズという自由を根底にした芸術家らしく、悲劇を乗り越え美しい愛に昇華させてゆく展開には、思わず聴き惚れてしまった。そして、最後の2曲オーネットの"Lonly Woman"とビリーのオリジナル"Redemption"も事実上メドレーとして演奏されている。前半ではデイヴが木製の横笛を披露、後半ではソプラノに持ち替えて4人の壮絶なインタープレイが炸裂する。
2~3週間前に、ここは最近少しご無沙汰していたアランのお店「ジャズロフト」 (jazzloft.com)から、最近のお勧めCDに関するメールをもらったのだが、今回の作品はその中から出会った。発売元は僕のお気に入り、スイスのhathutである。ここの作品は若干入手するのが難しい。僕の知る限りで最も確実なのはアランの店だ。何せ彼のところはレーベルのサイトに特約店として掲載されているほどなのだから。そうでなければ、東京近郊の方はディスクユニオン各店で、あるいはタワーレコードの基幹店(関東なら渋谷店か新宿店、関西ならなんば店か梅田店)であれば出会えるのではないかと思う。
毎回プレス枚数が限定されて少ないのがhathutの特徴だが、今回の作品にはジャケットに枚数の記載がなく"2007,1st edition"とある。さすがに彼らもこれには自信があるようだ。ともかくこの手の音楽に一度でも共鳴したことのある方なら、間違いなくお勧めの内容である。熱い男達の汗が全編にみなぎる快演、必聴!
David Liebman 公式サイト
5/26/2007
5/22/2007
パット=メセニー「トラヴェルズ」
このところBlogger.comの調子がいまひとつである。今回もそのおかげで少し更新が遅れてしまった。毎週末の更新を心待ちにしていただいている皆様には、お詫び申し上げたい。
ここしばらくは、難しい音楽から遠ざかっている、というより意図的に遠ざけているといった方がいいだろう。前回のデクスターや前々回のライもそういう傾向の現れだと思うし、それ以外には以前取りあげたウィントン(=マルサリス)のライヴ盤を何度も聴きなおしたりしていた。これなどは捉えようによっては、難しい音楽に入るのかもしれないが、高度な技術に裏付けられた音楽であっても、僕にとっては聴く側に緊張を強いている音楽とは思えない。彼が聴衆に求めているのは、あくまでも"enjoy"そして"relax"である。
そして今回とりあげるメセニーのライヴ盤。これについては、2週間ほど前にまったく久しぶりにラックから取り出し、少し聴いてからすぐにiPodに入れることに決めた。以後、ほとんど毎日欠かさずこれを聴き続けているように思う。僕にとってはいろいろと想い出深い作品である。
メセニーについては、ブラッド=メルドーとのデュオ作品を少し前にとりあげた。最近ではあの続編も発売されたようで、再び彼の活動が精力的になってきた様に思う。しかしながら以前にも書いた通り、僕にとってのパットは、ある時点で終わってしまった。
「トラヴェルズ」と題された本作品は、1982年に行なわれたメセニーグループの全米ツアーの模様を収録したものである。収録されているのは、彼らを代表する名曲に加えて、ツアー中に生まれたと思われる新曲も含まれている。パットのシンセギターの代表的演奏となった冒頭の"Are You Going With Me?"はもちろん見事であるが、僕には少し曲調が飽きてしまっているので、同じギターシンセの名演なら後半に収録されている"Song for Bilbao"がお気に入りだ。この曲は、先頃亡くなったマイケル=ブレッカーのアルバムでも演奏されている。
変則チューニングのアルペジオが美しい"Phase Dance"やそれに続くラテン調の"Straight on Red"もカッコいい。最後を飾る"San Lorenzo"は実は簡潔なテーマを、緩急と強弱の演出で見事なダイナミクスを表現する作品だ。技巧やスケール感で魅了する作品の混じって、旅のなかの静的な一コマを象徴するカントリー調のバラード"Goodbye","Farmer's Trust","Travels"も素晴らしい感性に溢れている。それは紛れもなくアメリカのフィールドを象徴する音楽だ。
そんなふうにどれもこれも素敵な演奏ばかりなのだが、なかでも僕の一番のお気に入りは何と言っても2曲目に収められた"The Fields, The Sky"だ。この作品では単音中心の演奏とは別の意味で、パットの素晴らしいギターワークを存分に楽しむことができる。一応、グループでの演奏になっているが内容はパットのギターの独壇場である。その見事さは正確で力強く、明瞭で美しい。僕はこの翌年の来日公演でこの演奏を生で見ることができたのだが、そのときに受けた衝撃はいまでも忘れられないでいる。
この作品の後、グループはECM最後の作品となる最高傑作"First Circle"、そしてGeffin(現在はNonsuchに権利が移っている)レーベル移籍第1弾となる、こちらも傑作"Still Life"を発表してゆくわけだが、この2枚組のライヴ盤は、彼らがそうした作品の前にこれまでのグループでの音楽活動をいったんまとめてみよう、という思いがあった様に感じられる。
この音楽が僕の心の中に深く残り、それがいまこの時期に再び蘇ってきている理由の一つに、それらが持っているハンドメイドな感覚とでも言おうか、人の手のぬくもりやそれに伴うゆらぎ、あるいはゆとりという意味での遊びの感覚に溢れているという点がある様に思う。
これに続く以降の作品になると、グループの音楽はアンサンブル面での完成度を追求し、それはそれで見事な作品になっていくのだが、一方で何かの約束事に束縛された様な、息苦しさにも似た感覚を帯び始めた様にも、僕には思える。特に"Letter from Home"以降のグループのアルバムは、正直言っていまとなってはあまり聴きたくない作品になっている。もう熟れすぎてしまっているように感じるのだ。そしてそのことは、最近になって発売されたグループとしてのアルバムを聴いても、あまり変化がないように僕には思える。
先の土日で、連休以降2週間ぶりに父親を見舞った。定期的に面倒を見てくれている叔母からは、小康状態という印象を受けていたのだが、やはりここ最近でまた痛みのレベルが強くなってきており、病気が確実に進行していることは目に見えて明らかだった。2日間の短い滞在だった。日曜日の別れ際、父は言った、「お父さんも頑張るけど、もしアカンかったらその時はしゃあないで」。
僕はその言葉を振り払えないまま病院を後にし、特急電車と新幹線を乗り継いで帰路についた。耳からは今回のパットの音楽を繰り返し流し込み、なんとか心のバランスを保つことができたのかもしれない。
ここしばらくは、難しい音楽から遠ざかっている、というより意図的に遠ざけているといった方がいいだろう。前回のデクスターや前々回のライもそういう傾向の現れだと思うし、それ以外には以前取りあげたウィントン(=マルサリス)のライヴ盤を何度も聴きなおしたりしていた。これなどは捉えようによっては、難しい音楽に入るのかもしれないが、高度な技術に裏付けられた音楽であっても、僕にとっては聴く側に緊張を強いている音楽とは思えない。彼が聴衆に求めているのは、あくまでも"enjoy"そして"relax"である。
そして今回とりあげるメセニーのライヴ盤。これについては、2週間ほど前にまったく久しぶりにラックから取り出し、少し聴いてからすぐにiPodに入れることに決めた。以後、ほとんど毎日欠かさずこれを聴き続けているように思う。僕にとってはいろいろと想い出深い作品である。
メセニーについては、ブラッド=メルドーとのデュオ作品を少し前にとりあげた。最近ではあの続編も発売されたようで、再び彼の活動が精力的になってきた様に思う。しかしながら以前にも書いた通り、僕にとってのパットは、ある時点で終わってしまった。
「トラヴェルズ」と題された本作品は、1982年に行なわれたメセニーグループの全米ツアーの模様を収録したものである。収録されているのは、彼らを代表する名曲に加えて、ツアー中に生まれたと思われる新曲も含まれている。パットのシンセギターの代表的演奏となった冒頭の"Are You Going With Me?"はもちろん見事であるが、僕には少し曲調が飽きてしまっているので、同じギターシンセの名演なら後半に収録されている"Song for Bilbao"がお気に入りだ。この曲は、先頃亡くなったマイケル=ブレッカーのアルバムでも演奏されている。
変則チューニングのアルペジオが美しい"Phase Dance"やそれに続くラテン調の"Straight on Red"もカッコいい。最後を飾る"San Lorenzo"は実は簡潔なテーマを、緩急と強弱の演出で見事なダイナミクスを表現する作品だ。技巧やスケール感で魅了する作品の混じって、旅のなかの静的な一コマを象徴するカントリー調のバラード"Goodbye","Farmer's Trust","Travels"も素晴らしい感性に溢れている。それは紛れもなくアメリカのフィールドを象徴する音楽だ。
そんなふうにどれもこれも素敵な演奏ばかりなのだが、なかでも僕の一番のお気に入りは何と言っても2曲目に収められた"The Fields, The Sky"だ。この作品では単音中心の演奏とは別の意味で、パットの素晴らしいギターワークを存分に楽しむことができる。一応、グループでの演奏になっているが内容はパットのギターの独壇場である。その見事さは正確で力強く、明瞭で美しい。僕はこの翌年の来日公演でこの演奏を生で見ることができたのだが、そのときに受けた衝撃はいまでも忘れられないでいる。
この作品の後、グループはECM最後の作品となる最高傑作"First Circle"、そしてGeffin(現在はNonsuchに権利が移っている)レーベル移籍第1弾となる、こちらも傑作"Still Life"を発表してゆくわけだが、この2枚組のライヴ盤は、彼らがそうした作品の前にこれまでのグループでの音楽活動をいったんまとめてみよう、という思いがあった様に感じられる。
この音楽が僕の心の中に深く残り、それがいまこの時期に再び蘇ってきている理由の一つに、それらが持っているハンドメイドな感覚とでも言おうか、人の手のぬくもりやそれに伴うゆらぎ、あるいはゆとりという意味での遊びの感覚に溢れているという点がある様に思う。
これに続く以降の作品になると、グループの音楽はアンサンブル面での完成度を追求し、それはそれで見事な作品になっていくのだが、一方で何かの約束事に束縛された様な、息苦しさにも似た感覚を帯び始めた様にも、僕には思える。特に"Letter from Home"以降のグループのアルバムは、正直言っていまとなってはあまり聴きたくない作品になっている。もう熟れすぎてしまっているように感じるのだ。そしてそのことは、最近になって発売されたグループとしてのアルバムを聴いても、あまり変化がないように僕には思える。
先の土日で、連休以降2週間ぶりに父親を見舞った。定期的に面倒を見てくれている叔母からは、小康状態という印象を受けていたのだが、やはりここ最近でまた痛みのレベルが強くなってきており、病気が確実に進行していることは目に見えて明らかだった。2日間の短い滞在だった。日曜日の別れ際、父は言った、「お父さんも頑張るけど、もしアカンかったらその時はしゃあないで」。
僕はその言葉を振り払えないまま病院を後にし、特急電車と新幹線を乗り継いで帰路についた。耳からは今回のパットの音楽を繰り返し流し込み、なんとか心のバランスを保つことができたのかもしれない。
5/13/2007
デクスター=ゴードン「モンマルトル コレクション」
久しぶりの「連休」だった。土曜日には電車にも乗らず、近所をぶらぶらしたり昼寝をして過ごした。日曜日も川崎の街まで少し出かけては見たが、母の日商戦でにぎわう街にどこかついていけない自分がいた。それでも、アパートのベランダで育てている植物の面倒を見るためのいくつかの小道具を買って帰った。
植木鉢を耕すのにちょうどいい小さなスコップ、それから一昨年植えたブドウが今年は元気よくツルを伸ばしているので、それを這わせるネットを買った。あとは、うまくできれば夏にビールで乾杯しようと、枝豆の種を買った。これらは家に帰って早速活躍した。
いま住んでいるところから歩いて5分ほどのところに、最近になってインド人によるインド料理のお店が開店しているのを、連休前に発見していた。先週日曜日の夜に続いて、今日のお昼も妻と一緒にそこで飯を食った。本格的なインドカレーとナン、それにチャイがセットになったランチが650円で楽しめる。最近、近所でインド人の家族を見かけるようになったのは、これと関係があるのだろうか。店はとても混んでいたが、なんとか注文をさばいている。
チキンのカレーとマメのカレーをそれぞれ注文し、テーブルの真ん中に2つ並べてシェアして食べた。食事はシェアして食べる、これは大切な習慣だ。どんな料理でも大きなお皿に盛り付け、みんなでつっつきながら食べる、家族が何人いても、あるいはお客様が何人来ても、こうした習慣を大切にしたいと思う。
夕食は土曜も日曜も妻と家で酒を飲んだ。スーパーで買ったお刺身と泡盛だったり、パスタとフレシネだったりした。泡盛のボトルを買ったのは久しぶりだった。こういうのは旨くていいのだが、つい飲みすぎてしまう。このところの日々がああいう状況だっただけに、ついつい酒がすすんでしまう。
酒にあう理屈抜きに楽しめる音楽は何かなと考え、これも久しぶりに取り出したのが今回の作品である。デクスターの演奏に耳を傾けることは、ここ2,3年はなかったかもしれない。彼の演奏は長いキャリアを反映して非常に数多く残されている。僕も有名なものはひと通り耳にしたが、一番のお気に入りはブルーノートの諸作を抑えて、このモンマルトルのライブ盤である。
この演奏が行われ収録されたのがいまからちょうど40年前、そしてそれがCD化されて僕が初めて耳にしたのが約20年前である。CD2枚にぎっしりと収められた12曲は、コペンハーゲンの短い夏の盛りの一夜に繰り広げられた、熱い演奏から選りすぐられた名演ばかりである。
僕がこの演奏を好きな理由は、ライブ盤というものは数多くあれど、この作品ほど自然にジャズクラブの様子を音楽で伝えてくれるものはないと感じているから。別の言い方をすれば、ストレートなジャズの醍醐味を理屈抜きに味わえる、そんな魅力がこの作品にはある。
サックスによるジャズの醍醐味といえば、コルトレーンやロリンズというのはもちろん代表なのだろうが、彼らの作品にはアルコール片手に気楽に楽しむというのとはちょっぴり違う世界が出来上がっているのも事実だろう。聴き手はそれぞれの世界に入り、それぞれのいい意味での「孤独」な世界を楽しむのだ。
デックスのこの作品はそういう意味とは少し性格が異なる。僕はこの作品をアルコールなしには楽しむ気になれない。ビールでもなんでもいい、一杯の酒と冒頭の"Sonnymoon for Two"のご機嫌な演奏で、酒好きのジャズ好きならあっという間にデキあがってしまう。あとはわが家が居心地よいジャズクラブに早変りするのを素直に楽しめばよい。時折メンバーから繰り出されるご機嫌なフレーズに、ふと自分の脇に目を向ければ、にっこり微笑む隣の客の顔が目に浮かぶ、本当にそんな気分にさせてくれるのだ。
自分と向き合うことをなんとなく避けたい気持ち。独りになるのはなんとなく避けたい気持ち。そんななかで、僕は久しぶりにこの作品を訪れた様に思う。放っておけば自分の中に湧き上がってくる気持ちを、この連休は少しだけ遠ざけておきたかったのかもしれない。
植木鉢を耕すのにちょうどいい小さなスコップ、それから一昨年植えたブドウが今年は元気よくツルを伸ばしているので、それを這わせるネットを買った。あとは、うまくできれば夏にビールで乾杯しようと、枝豆の種を買った。これらは家に帰って早速活躍した。
いま住んでいるところから歩いて5分ほどのところに、最近になってインド人によるインド料理のお店が開店しているのを、連休前に発見していた。先週日曜日の夜に続いて、今日のお昼も妻と一緒にそこで飯を食った。本格的なインドカレーとナン、それにチャイがセットになったランチが650円で楽しめる。最近、近所でインド人の家族を見かけるようになったのは、これと関係があるのだろうか。店はとても混んでいたが、なんとか注文をさばいている。
チキンのカレーとマメのカレーをそれぞれ注文し、テーブルの真ん中に2つ並べてシェアして食べた。食事はシェアして食べる、これは大切な習慣だ。どんな料理でも大きなお皿に盛り付け、みんなでつっつきながら食べる、家族が何人いても、あるいはお客様が何人来ても、こうした習慣を大切にしたいと思う。
夕食は土曜も日曜も妻と家で酒を飲んだ。スーパーで買ったお刺身と泡盛だったり、パスタとフレシネだったりした。泡盛のボトルを買ったのは久しぶりだった。こういうのは旨くていいのだが、つい飲みすぎてしまう。このところの日々がああいう状況だっただけに、ついつい酒がすすんでしまう。
酒にあう理屈抜きに楽しめる音楽は何かなと考え、これも久しぶりに取り出したのが今回の作品である。デクスターの演奏に耳を傾けることは、ここ2,3年はなかったかもしれない。彼の演奏は長いキャリアを反映して非常に数多く残されている。僕も有名なものはひと通り耳にしたが、一番のお気に入りはブルーノートの諸作を抑えて、このモンマルトルのライブ盤である。
この演奏が行われ収録されたのがいまからちょうど40年前、そしてそれがCD化されて僕が初めて耳にしたのが約20年前である。CD2枚にぎっしりと収められた12曲は、コペンハーゲンの短い夏の盛りの一夜に繰り広げられた、熱い演奏から選りすぐられた名演ばかりである。
僕がこの演奏を好きな理由は、ライブ盤というものは数多くあれど、この作品ほど自然にジャズクラブの様子を音楽で伝えてくれるものはないと感じているから。別の言い方をすれば、ストレートなジャズの醍醐味を理屈抜きに味わえる、そんな魅力がこの作品にはある。
サックスによるジャズの醍醐味といえば、コルトレーンやロリンズというのはもちろん代表なのだろうが、彼らの作品にはアルコール片手に気楽に楽しむというのとはちょっぴり違う世界が出来上がっているのも事実だろう。聴き手はそれぞれの世界に入り、それぞれのいい意味での「孤独」な世界を楽しむのだ。
デックスのこの作品はそういう意味とは少し性格が異なる。僕はこの作品をアルコールなしには楽しむ気になれない。ビールでもなんでもいい、一杯の酒と冒頭の"Sonnymoon for Two"のご機嫌な演奏で、酒好きのジャズ好きならあっという間にデキあがってしまう。あとはわが家が居心地よいジャズクラブに早変りするのを素直に楽しめばよい。時折メンバーから繰り出されるご機嫌なフレーズに、ふと自分の脇に目を向ければ、にっこり微笑む隣の客の顔が目に浮かぶ、本当にそんな気分にさせてくれるのだ。
自分と向き合うことをなんとなく避けたい気持ち。独りになるのはなんとなく避けたい気持ち。そんななかで、僕は久しぶりにこの作品を訪れた様に思う。放っておけば自分の中に湧き上がってくる気持ちを、この連休は少しだけ遠ざけておきたかったのかもしれない。
5/09/2007
ライ=クーダ「マイ ネーム イズ バディ」
ろぐの更新間隔がずいぶんと空いてしまった。読んでいただいている皆様にはご心配をおかけしてしまった。お詫びしたい。
最初に言っておくと、父親の容態は現時点では小康状態が続いており、いろいろな問題はあるものの自分で食事をしたり、人と話をしたりするには何の問題もない。この一ヶ月ほどの間は詳しい検査を受けていなかったので、先の月曜日にCTなどの撮影を行い、間もなくその結果を医師から教えてもらう段取りになっている。
多少言い訳がましくなるが、ろぐが滞った経緯を含め近況をご報告しておきたい。4月の最終土曜日から始まったいわゆる「大型連休」に入ってすぐに、妻と僕は父親の様子を観に和歌山に行った。今回は会社から借りたノートPCを持参していたので、余裕があれば連休中に一度はろぐの更新ができるかなと思っていた。
ところが、帰郷する2日前に受けた注射で一時的に非常に気分がよくなっていた父が、勝手に自宅への一時外泊の手続きを進めてしまい、兄や僕らが和歌山に到着したその日の夕方には、もう福祉タクシーを呼んで家に帰るのだと言い張った。自宅への一時外泊は、ガン患者のケアにおいて非常に重要な意味を持つ。たとえ末期の状態でもよほどの事情がない限り、医師側もできる限りそれが実現できるような手配をしてくれるのが普通である。
痛みの発作が再発した場合に備えての緊急用の薬―貼り薬や飲み薬などいくつかが渡されたが、その多くはモルヒネ系のいわゆる麻薬である―をいくつか手渡され、僕らが病院を出発したのは夕方6時頃だったと思う。車椅子の父を乗せた福祉タクシーには兄が乗り込み、妻と僕は、病院の近所のスーパーで当面必要そうな買い物をして後からタクシーで追いかけた。
父を責めるわけにはいかないが、この外泊はかなり無理があった。先ず、それまでの度重なる帰郷である程度片付いていたとはいえ、自宅で父親を迎え入れる準備など何もできていなかった(もちろん僕らの心の準備も)。もちろん自宅には介護ベッドもナースコールもない。加えて、その2日前に受けた注射の効果は早くも失われており、父の意思とは裏腹に痛みの発作が再び起こり始めていた矢先だったのだ。
僕らが実家に着いて玄関を開けると、すぐになかから兄の悲痛な叫び声が聞こえてきた「早く来てくれー!」。あわてて応接間に駆けつけてみると、苦しそうな父親がソファーに座るとももたれるともいいがたい状態で寄りかかっている。口からはしきりに「痛い」と「寒い」を繰り返した。
その日は比較的暖かな気候だったのだが、父をいつもの部屋に運んだ僕らは、電気毛布やエアコン、石油ストーブを動員して部屋を暖め続けた。僕らにはパンツ一丁でも汗だくになる温度だったが、それでも父は寒がった。痛みに加えて、痩せ細って身体の脂肪分がほとんどないので、体温調節などの代謝機能が弱って新しい環境になかなかなじめずにいるのだろう。これは予想外のことだった。
結局、その日の夜遅くにかなり効果の強い貼り薬を処方し、漸く落ち着いた父はそのまま翌日に朝遅い時間まで眠り続けた。僕は兄と応接間にマットを敷いて寝た。この家ができて25年ほどになるが、もちろんこんな経験は初めてである。
2日目には少し状態が落ち着き、好物の茶粥やお刺身などを口にできるようになった。寒さを訴えることもなくなり、部屋の窓をあけて外の風を感じるのが気持ちいいといえるまでになった。山の斜面に開かれた宅地で、車がないと買い物にも不便な土地柄で、いろいろな苦労もあったが、実家の部屋で父が気持ちよさそうにしている姿は、そうした苦労を報いて十分余りあるものだった。
それでも薬の作用からか時折言うことが理にかなっていないこともあった。夕方頃になると、以前僕らが母親とともにこの家で4人で暮らしていた頃に、父が家で部屋着として使っていた着物を着たいと言い出したり、食堂で僕らと一緒に食事をしたいなどと、無理難題ばかりを言い始めたりもした。父からすれば、そうしたことこそが家に帰ってきたことの確実な証であり、病気を克服して自分の人生を取り戻すことの象徴なのだろう。
3日目の早朝になると再び発作が出始め、痛みや息苦しさを訴えるようになった。このまま僕らに任せていて家にいることに、いろいろな意味で限界を感じたのだろう、昼前には病院に帰ると言い出した。一応、外泊許可はその翌日までとなっていたのだが、僕らもそろそろ限界かなと感じていたところだった。
当然のことだが父は機嫌が非常に不安定になり、僕らにも当り散らしたりした。結局、身体の状態から車椅子でタクシーによる移動は無理と判断し、事情を説明して救急車で搬送してもらうことにした。これまでの経緯から、目の前の父が今すぐに命にかかわる状況ではないとわかってはいるのだが、サイレンの音を常に頭上に聞きながら、救急車のなかで酸素マスクをつけて横たわる父を見つめていた僕の目には、うっすらと涙が浮かんだ。
こうして連休中で最も大変だった3日間が過ぎた。病院に運ばれた父は比較的落ち着きを取り戻し、すぐに眠り始めた。それを見届けた僕と兄は夕方には病院を引き上げ、実家に戻った。途中、スーパーでいろいろな食材を買い込み、家に帰って留守番をしてくれた僕の妻とともに3人でビールを飲んだ。後味の悪さと安堵感が入り混じった不思議な味だった。
父が病院に戻ったのは月曜日だった。僕はその後土曜日の朝まで実家にとどまり病院に通った。その間にもまたいろいろなことがあったのだが、それはまたいずれ機会があれば書くことにしたい。ともかく連休とはいえほとんど休んだという実感がないままに9日間が過ぎたというのが正直なところだ。いまさらだが介護というのは、情が基本にあることはその通りだと思う一方で、いまの世の中の仕組みはそれだけでは実が伴わないというのが現実だ。
滞在の途中、以前からこのろぐにもちょくちょく登場する同郷の2人が、和歌山市内まで出てきてくれて、つかの間の楽しいひと時を提供してくれた。僕らが通った小中学校がある県中部の町では、学校や町そのものの統廃合といった問題がさらに現実味をもって進んでいるらしい。僕自身はそれを単純に地域間格差だなどとは思わないが、これも情だけでは何にもことが起こらない問題なのだと思う。
8日ぶりに川崎に戻った。雨が降った日曜日はほとんど一日中ごろごろしていたが、目の下のクマが取れる気配はなかった。ろぐの更新を試みたのだが、ブログのシステムを運営しているGoogleのトラブルでそれができなかった。その状況は結局数日間続き、昨夜になってようやく会社側がトラブルを認め復旧作業に取り掛かったようだ。
職場の仲間には悪いと思ったが、たまたま仕事の予定が少なかった今日の水曜日に休暇をとらせてもらい、先ずはシステムが復旧したところでこのろぐを書いた。
この間、iPodを持っていたにもかかわらずほとんど音楽を聴くことはなかった。ヘッドフォンは癒しには向かないものだ。行き帰りの新幹線の中で聞き始めたライ=クーダの新作が心地よかった。ジャケットとタイトルにある通り、バディという名の猫の目を通してつづられる様々な世相が、ライ本来の音楽であるアメリカンルーツミュージックに乗って次々に展開するご機嫌なアルバムだ。
ジャケットは本の形式になっていて、各楽曲に関する本人の解説が掲載されている。歌詞とともにじっくり読んでみるとなかなか面白い内容になっている。参加ミュージシャンも豪華絢爛である。まあ言葉はこのくらいにして、是非とも音楽そのものを楽しんでもらいたいものだ。
昨日から真夏のような気候になっている。今日も昨日以上に気温が高そうだ。いまからコーヒーでも飲んで、半袖のTシャツで久しぶりに少し街をぶらぶらしてみようと思う。いろいろなものを目にするたびに、父のことを気にすることになるとは思うが、それもいいだろう。忘れるよりはずっといい。
最初に言っておくと、父親の容態は現時点では小康状態が続いており、いろいろな問題はあるものの自分で食事をしたり、人と話をしたりするには何の問題もない。この一ヶ月ほどの間は詳しい検査を受けていなかったので、先の月曜日にCTなどの撮影を行い、間もなくその結果を医師から教えてもらう段取りになっている。
多少言い訳がましくなるが、ろぐが滞った経緯を含め近況をご報告しておきたい。4月の最終土曜日から始まったいわゆる「大型連休」に入ってすぐに、妻と僕は父親の様子を観に和歌山に行った。今回は会社から借りたノートPCを持参していたので、余裕があれば連休中に一度はろぐの更新ができるかなと思っていた。
ところが、帰郷する2日前に受けた注射で一時的に非常に気分がよくなっていた父が、勝手に自宅への一時外泊の手続きを進めてしまい、兄や僕らが和歌山に到着したその日の夕方には、もう福祉タクシーを呼んで家に帰るのだと言い張った。自宅への一時外泊は、ガン患者のケアにおいて非常に重要な意味を持つ。たとえ末期の状態でもよほどの事情がない限り、医師側もできる限りそれが実現できるような手配をしてくれるのが普通である。
痛みの発作が再発した場合に備えての緊急用の薬―貼り薬や飲み薬などいくつかが渡されたが、その多くはモルヒネ系のいわゆる麻薬である―をいくつか手渡され、僕らが病院を出発したのは夕方6時頃だったと思う。車椅子の父を乗せた福祉タクシーには兄が乗り込み、妻と僕は、病院の近所のスーパーで当面必要そうな買い物をして後からタクシーで追いかけた。
父を責めるわけにはいかないが、この外泊はかなり無理があった。先ず、それまでの度重なる帰郷である程度片付いていたとはいえ、自宅で父親を迎え入れる準備など何もできていなかった(もちろん僕らの心の準備も)。もちろん自宅には介護ベッドもナースコールもない。加えて、その2日前に受けた注射の効果は早くも失われており、父の意思とは裏腹に痛みの発作が再び起こり始めていた矢先だったのだ。
僕らが実家に着いて玄関を開けると、すぐになかから兄の悲痛な叫び声が聞こえてきた「早く来てくれー!」。あわてて応接間に駆けつけてみると、苦しそうな父親がソファーに座るとももたれるともいいがたい状態で寄りかかっている。口からはしきりに「痛い」と「寒い」を繰り返した。
その日は比較的暖かな気候だったのだが、父をいつもの部屋に運んだ僕らは、電気毛布やエアコン、石油ストーブを動員して部屋を暖め続けた。僕らにはパンツ一丁でも汗だくになる温度だったが、それでも父は寒がった。痛みに加えて、痩せ細って身体の脂肪分がほとんどないので、体温調節などの代謝機能が弱って新しい環境になかなかなじめずにいるのだろう。これは予想外のことだった。
結局、その日の夜遅くにかなり効果の強い貼り薬を処方し、漸く落ち着いた父はそのまま翌日に朝遅い時間まで眠り続けた。僕は兄と応接間にマットを敷いて寝た。この家ができて25年ほどになるが、もちろんこんな経験は初めてである。
2日目には少し状態が落ち着き、好物の茶粥やお刺身などを口にできるようになった。寒さを訴えることもなくなり、部屋の窓をあけて外の風を感じるのが気持ちいいといえるまでになった。山の斜面に開かれた宅地で、車がないと買い物にも不便な土地柄で、いろいろな苦労もあったが、実家の部屋で父が気持ちよさそうにしている姿は、そうした苦労を報いて十分余りあるものだった。
それでも薬の作用からか時折言うことが理にかなっていないこともあった。夕方頃になると、以前僕らが母親とともにこの家で4人で暮らしていた頃に、父が家で部屋着として使っていた着物を着たいと言い出したり、食堂で僕らと一緒に食事をしたいなどと、無理難題ばかりを言い始めたりもした。父からすれば、そうしたことこそが家に帰ってきたことの確実な証であり、病気を克服して自分の人生を取り戻すことの象徴なのだろう。
3日目の早朝になると再び発作が出始め、痛みや息苦しさを訴えるようになった。このまま僕らに任せていて家にいることに、いろいろな意味で限界を感じたのだろう、昼前には病院に帰ると言い出した。一応、外泊許可はその翌日までとなっていたのだが、僕らもそろそろ限界かなと感じていたところだった。
当然のことだが父は機嫌が非常に不安定になり、僕らにも当り散らしたりした。結局、身体の状態から車椅子でタクシーによる移動は無理と判断し、事情を説明して救急車で搬送してもらうことにした。これまでの経緯から、目の前の父が今すぐに命にかかわる状況ではないとわかってはいるのだが、サイレンの音を常に頭上に聞きながら、救急車のなかで酸素マスクをつけて横たわる父を見つめていた僕の目には、うっすらと涙が浮かんだ。
こうして連休中で最も大変だった3日間が過ぎた。病院に運ばれた父は比較的落ち着きを取り戻し、すぐに眠り始めた。それを見届けた僕と兄は夕方には病院を引き上げ、実家に戻った。途中、スーパーでいろいろな食材を買い込み、家に帰って留守番をしてくれた僕の妻とともに3人でビールを飲んだ。後味の悪さと安堵感が入り混じった不思議な味だった。
父が病院に戻ったのは月曜日だった。僕はその後土曜日の朝まで実家にとどまり病院に通った。その間にもまたいろいろなことがあったのだが、それはまたいずれ機会があれば書くことにしたい。ともかく連休とはいえほとんど休んだという実感がないままに9日間が過ぎたというのが正直なところだ。いまさらだが介護というのは、情が基本にあることはその通りだと思う一方で、いまの世の中の仕組みはそれだけでは実が伴わないというのが現実だ。
滞在の途中、以前からこのろぐにもちょくちょく登場する同郷の2人が、和歌山市内まで出てきてくれて、つかの間の楽しいひと時を提供してくれた。僕らが通った小中学校がある県中部の町では、学校や町そのものの統廃合といった問題がさらに現実味をもって進んでいるらしい。僕自身はそれを単純に地域間格差だなどとは思わないが、これも情だけでは何にもことが起こらない問題なのだと思う。
8日ぶりに川崎に戻った。雨が降った日曜日はほとんど一日中ごろごろしていたが、目の下のクマが取れる気配はなかった。ろぐの更新を試みたのだが、ブログのシステムを運営しているGoogleのトラブルでそれができなかった。その状況は結局数日間続き、昨夜になってようやく会社側がトラブルを認め復旧作業に取り掛かったようだ。
職場の仲間には悪いと思ったが、たまたま仕事の予定が少なかった今日の水曜日に休暇をとらせてもらい、先ずはシステムが復旧したところでこのろぐを書いた。
この間、iPodを持っていたにもかかわらずほとんど音楽を聴くことはなかった。ヘッドフォンは癒しには向かないものだ。行き帰りの新幹線の中で聞き始めたライ=クーダの新作が心地よかった。ジャケットとタイトルにある通り、バディという名の猫の目を通してつづられる様々な世相が、ライ本来の音楽であるアメリカンルーツミュージックに乗って次々に展開するご機嫌なアルバムだ。
ジャケットは本の形式になっていて、各楽曲に関する本人の解説が掲載されている。歌詞とともにじっくり読んでみるとなかなか面白い内容になっている。参加ミュージシャンも豪華絢爛である。まあ言葉はこのくらいにして、是非とも音楽そのものを楽しんでもらいたいものだ。
昨日から真夏のような気候になっている。今日も昨日以上に気温が高そうだ。いまからコーヒーでも飲んで、半袖のTシャツで久しぶりに少し街をぶらぶらしてみようと思う。いろいろなものを目にするたびに、父のことを気にすることになるとは思うが、それもいいだろう。忘れるよりはずっといい。
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