1/21/2007

親父のバースデーケーキ

この1週間、仕事の進捗が思うように行かない部分があったりして、少し心のゆとりがない日々だった。音楽は先のろぐで書いた内容を引きずって、ほとんど毎日マイケルとアリスに関係する音楽を聴いて過ごした。

マイケルについては、相変わらずリーダー作品ばかりを聴き続けた。彼は自分のソロ名義で8枚のリーダー作を残しているが、これについては全部しっかりと揃えておこうと思う。セッションマンとして、あるいはブレッカー・ブラザーズとして彼を代表する名演はいくらでもある。それはそれで非常に価値のあるものだ。しかし僕にとっては、やはり彼の「後期」の活動となってしまったソロ活動に、より大きな力を感じる。うまく書けないが、それを受けとめるべき時期がいまであるような気がする。

一方、アリスのリーダー作もコルトレーン死後のものを2枚手に入れ、こちらもじっくりと聴いてみた。ここからもいろいろな刺激を受けた。彼女の作品を含め、ジミー=ギャリソンやファラオ=サンダースといった、コルトレーン最後のグループに参加したアーチスト達の作品を、もっとしっかり聴いておきたいと思った。そこには、いまの音楽では絶対に感じることのできない、貴重なインスピレーションが満ちているから。

ジャズの世界でも非常に対照的な位置にあった2人のアーチストだが、いずれの音楽もやはり非常に奥が深いものである。同時に聴くことについて、僕にはまったく違和感はない。たぶん僕の中では、コルトレーンという存在がそれらを明確に位置づけてくれているのだと思う。

それぞれの音楽については、またいずれかの機会であらためて触れてみたいと思う。いまは僕の中の音楽を感じる部分が、深くて強い音楽に刺激されすぎて少し疲弊してしまっているようだ。もちろんそれは心地よい新しい興奮を感じさせてくれる疲れである。

今回は、このお正月にあった出来事をひとつ書いておこうと思う。

帰省先の実家で迎えた元日の午後、あまりに暇だったので少し散歩に出ることにした。僕の実家は和歌山市の北側、紀ノ川を渡ったところに山の斜面を造成した住宅地の中程にある。標高はたぶん100メートル近くあると思う。歩いて登るには結構きつい坂もある。正月にしては割と暖かい薄曇りのなか、僕等はその坂を下った。

最寄り駅の六十谷(むそた、と読みます)駅の近くまで来た時に、そこから少し先に行ったところに小さなケーキ屋さんがあるのを思い出した。母親が亡くなって父が独りになってしまって以降、お正月に帰省する度に、僕等はいつもケーキを用意していた。なぜなら親父の誕生日が1月3日だからだ。

僕がそこにケーキ屋さんがあることを知ったのは、何年か前のお正月だった。もともと店など余りないその界隈で、正月早々営業しているのはスーパーを除けばそのお店くらいだった。いつもは帰省途中の大阪あたりで、兄に頼んだりしておいしそうなケーキを用意していたのだが、いつかは親父の誕生日を祝うケーキをそこで買ってみるのもいいかなと考えたことがあった。

今年は祖母の喪中でもあり、なんとなくそうしたお祝いをするのもどうしたものかと相談し、結局ケーキは買わないでいたのだが、そのお店のことを思い出して、それならホールではなくショートケーキでも買って帰ろうかということになった。

はじめて入った店内には、素朴な手作りケーキやクッキーなどが狭いディスプレイに並べられていた。たぶん普段はもう少しレパートリーも豊富なのだろうが、お正月モードで半分程度の品揃えにしてあったようだ。僕等はその中から4種類のケーキを選び、箱に詰めてもらった。お店はご夫婦で営業しているらしい。

このケーキがおいしければ、来年からはここでケーキを買おうなどと考えながら、お店の人と少し話をしていると、実は周辺の道路拡張工事でその場所を立ち退かなければならなくなり、お店は今度の3月限りで閉店するのだという。「どこか他の場所でお店は続けないんですか」と言っても、「いやねえ、まあもうこの歳だし、ここまで続けて来れたからもういいかなって思いましてねえ」と、なんとも残念な返事がかえって来た。

その日の夜、自慢のすき焼きを振舞ってくれた父に、そこで買ったケーキで簡単に誕生日のお祝いをしてあげた。今年で75歳、世紀の4分の3を生きたことになる。リューマチと糖尿病を患っていて、本来はお砂糖たっぷりのケーキなど食べさせてはいけないのかもしれないが、まあ簡単でも何かお祝いしてあげたいと思った。

ケーキは非常に家庭的で素朴な味だった。はっきり言って、都会的な華やかさはまったくない味であるのだが、実家で親父と一緒に食べるケーキとしては、その方が自然だったと思う。もしあのお店に行かなかったら、来年の今頃に、散歩ついでに出かけたものの、なくなってしまったお店の周辺を所在なさにうろうろする自分たちの姿があったのかもしれないと思うと、その日に開けたケーキ屋さんの扉は、運命的なものだった様に感じられた。

昨年の夏頃、病院から戻った親父と電話で会話した僕は、父の口から耳慣れない病名を告げられた。それが「MDS(骨髄異形成症候群)」だった。だから、マイケル=ブレッカーがその同じ病気で逝ってしまったことは、僕には別の意味でもショックだったのだ。

今日も親父と少し電話で話をした。幸い、受けている投薬の効果が出て来ていて、症状は以前に比べてよくなっているようで、それを聴いた僕は少しほっとすると同時に、なぜか正月に食べたあのケーキの味を思い出し、そのケーキを旨そうに食べる父の姿が浮かんだ。なんとかこのままうまく病気の進行がおさまり、元気で居続けて欲しい。

骨髄異形成症候群 国立がんセンター

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