1/15/2007

さよならマイケル、さよならアリス。

 突然の訃報、しかも2人同時だった。現代ジャズサックスの巨人マイケル=ブレッカー、そしてジョン=コルトレーンの妻アリス=コルトレーン。ジャズミュージックの歴史の中では、まったく異なる世界にいるように思われがちな2人だが、共に「コルトレーンの継承者」という風に思われていたことでは、大きな共通点があったことになる。それだけに、何か不思議な運命を感じないわけにはいかない。

マイケルの死因はMDS(骨髄異形成症候群)という血液の病気から発症した白血病だった。2年半に渡る闘病生活だったそうだ。最近では同じ病気で、前東京都知事の青島幸男氏が亡くなっている。この病気は骨髄が原因不明の機能不全に陥り、正常な血液を生産できなくなるという病気で、根本的な治療には骨髄移植しかない。マイケルと彼の妻スーザンは、辛抱強く一致する骨髄ドナーの出現を待ち続けたが、残念ながら願いは叶わなかった。

マイケルは僕等の世代のヒーローだった。彼が参加しているというだけで、それがどんなCDでも、聴いてみたいという強い衝動に駆られた。何気に中古盤のバーゲンセールを物色して、ジャケットの中に一瞬彼の名前を見つけたとき、それまで何の興味もそそらなかったそのCDジャケットが、突然輝いて見えてくる。そういう経験をした人は多いだろう。

彼の演奏は常に彼らしさに溢れていた。迫力、スピード、スケール、どの演奏をとっても圧倒的な存在感だった。会社で彼の訃報を知った僕は、仕事帰りの電車に乗ると同時に、マイケルの音楽を求めてiPodのダイヤルを回した。幸い、最近このろぐで取り上げたチック=コリアの「スリー クァルテッツ」が入っていた。奇しくもコリアが「コルトレーンに捧ぐ」とタイトルに入れた作品が収録されている。電車の雑音を打ち消して高らかに響くマイケルの咆哮。思わず涙をこらえる。

すぐに僕の頭には彼の名演集が駆け巡った。あんな演奏もあった、こんな演奏もあった。それらは本当に途切れることなく次々に思い出されては、僕の心に鳴り響いた。2000年には青山のブルーノートにやって来た彼のグループを、妻と僕の当時会社の後輩だった男とその彼女という4人で聴きにいったことも思い出した。グループ全体を燃焼させるマイケルは、まるで無敵の巨人に思えた。

家に帰ってすぐに持っている彼のリーダーアルバム数枚を引っ張り出し、次々に聴いてみる。どれも僕にとっては少し懐かしい音だ。大学生活最後の頃に発売され「いまさらながらの初リーダー作」といわれた「マイケル ブレッカー」(写真上)は特に想い出深い1枚だ。彼が正式にジャズミュージシャンとしてデビューしたこの作品を、コンテンポラリーに体験できたことの歓び。いまから考えればまだ大した耳を持っていなかった当時、一丁前にも「やっぱりリーダー作とサイド作は違う」などと一人で納得していた。

上京直後、まだ右も左も不案内な渋谷で看板を見つけて飛込んだタワーレコード(現在の場所ではなく、東急ハンズの斜め向かいにあった)の店内で、突然流れて来たセカンドアルバム「ドント トライ ディス アット ホーム」(すごいタイトルだ!)。店員が試聴代わりにかけたものだったのだが、棚に並べる前の商品を店員に頼み込んで売ってもらった。他にもいっぱいいっぱいある。


そしてもう1人、アリス=コルトレーンの死。意外にもネットのニュースや新聞でよく取り上げられたあたり、芸能欄担当者の趣味や時代が出たようにも感じる。

僕は彼女のことを考えるとき、いつも「評論家」とか「マニア」という言葉をイヤなものとして思い出す。アリスの音楽的評価ははっきり言って低い、いやむしろ悪いと言った方が適切だろう。コルトレーン最後期の音楽活動でのピアノ演奏は言うに及ばず、トレーンの死後に彼の音源にストリングスをかぶせて再構成した作品を「アリスの改悪であり、コルトレーンへの冒涜」と紹介した評論家もいた。晩年のコルトレーンの音楽がおかしくなったのは、アリスの所為だという人までいたぐらいだ。ばかばかしいと同時にアリスが本当に可哀想である(彼女はそれをさして気にしていないと思われるが、実際はどうだったのだろうか)。

そんなことを言う人は肝心なことを忘れている。それは彼女がコルトレーンが愛した妻であるということ。そのトレーンが生前ずっと音楽で表現するのは「愛」だと言っていたことだ。僕自身も、コルトレーンの死後、その音楽を一番忠実に深く継承したのは間違いなく彼女だと思っている。そして彼女は素晴らしい音楽家である。

 彼女は未亡人になって以降も、音楽家として活動を続け自己名義のリーダー作も残している。今世紀になって再び活動を新たにし始めたところだっただけに、惜しまれる。彼女の死を知って僕の中に流れたのは、彼女の弾くハープだった。チャーリー=ヘイデンの作品「クロースネス」(写真右)には、アリスのハープとのデュオ演奏「フォー トゥリヤ」が収録されている。この演奏の神聖な美しさは、彼女の考える音楽の一端をとてもよく象徴している。僕も未聴の作品がまだまだあるので、これを機会に彼女の音楽を改めて辿ってみたいと思っている。

突然に、そしてほぼ同時にもたらされた2人の音楽家の訃報。アリスはコルトレーンの音楽の根や幹の部分をしっかりと継承し、マイケルはその上に勢いよく空に向かって成長する枝や花となって音楽を咲かせた。僕を含め多くの人がその木のまえに立ち止まり、花や枝や幹に手を伸ばし、そこから聴こえて来る音に耳を傾ける。これからも新しい実ができ、その命は続いていくだろう。

さようならマイケル、さようならアリス。
そして、ありがとう。

0 件のコメント: