12/17/2006

ジョルジ=クルターク「カフカ断章 作品24」

 ちょっと油断してしまい、週の半ばで体調を崩しかけてしまった。1日は会社を早めに帰らせてもらって、なんとか悪い方向には行かなくて済んだ。金曜日には、妻の勤務先のクリスマスパーティが、白金台の社長宅であり、僕も家族として参加させてもらった。このパーティは日頃、家で妻の口から話を聞いている人達と実際に会話ができ、独特のムードのなかでいつも新鮮な気持ちにさせてくれる。

社長がスウェーデン人なので、パーティは北欧スタイル(?)である。着いてすぐにシャンパンとオードブルが振舞われ、それでそこそこいい気分になってしまうのだが、正式なオープニングは、全員が揃ってから社長による乾杯の歌と、それに続くアクアビットのショット一気飲みが合図となる。

そこから、ケータリングサービスで饗されるタイ料理を、各自が思い思いにバイキングスタイルで食べまくり、やがて興が乗ってくると、社長がおもむろにサルサミュージックを流し出して、参加者の女性(つまり会社の部下)を片っ端から引っ張り込んで次々に踊り始めるという展開になる。

ダンスだから当たり前のことなのだが、誘われていきなり腰に手を回して向き合って手をつなぎ、ステップでリードされるわけであるから、真っ先に狙われる初めて参加する若い女性などはびっくりしてしまう。僕等はそれを(少し羨みながら)傍らで眺めて楽しんでいるわけである。まあ言うならば「些細な奔放」だ。こういうところはやはりおおらかな文化がいい。

あまり細かいことは書かないが、僕が勤める会社の宴とは随分と雰囲気が異なるこの世界は、非常に居心地がいい。前日にあった僕の出向元の職場における忘年会と比べると、本当のパーティとはせめてこういうものという気がする。

僕はこのところ「組織」という言葉が好きでない。どこか主体性がない、従属的な響きに聞こえてしまう。最近ではそこに「うまくいかないもの」というイメージさえ勝手に抱くようになってしまった。組織は人の集まりだから、雰囲気が淀むことで、人間のあまり見たり聞いたりしたくない面が出てきてしまう。そのどちらが原因でどちらが結果だかはわからないものだが、そういう時、自分の存在を確認できる異なる集まりに参加できるのは、幸せなことだ。

クルタークはルーマニアの作曲家である。現代音楽を聴く人には結構名の知れた人だが、つまり一般にはほとんど無名ということである。なかなか味のある音楽を書く人で、音楽的には「緻密な奔放」である。やはりヨーロッパなどでは人気が高い。

今回のCDは、この夏に発売されたもの。タイトルにあるカフカとは、あの作家フランツ=カフカのことである。この音楽は、カフカの手紙や日記、メモなどから集めた40の短文に、クルタークが曲をつけたという風変わりな組曲で、編成は女声ソプラノとヴァイオリンである。今回は、ソプラノをユリアーネ=パンセ、ヴァイオリンをケラー弦楽四重奏団のボス、アンドラーシュ=ケラーが担当している。

普段、ピアノ系音楽のように音程、旋律、リズムなどがはっきりしたもの(実は世の中の音楽はいまやほとんどそれになりつつあるのだが)ばかりを聴いている人からすれば、なんと気持ちの悪い音楽かと思われるかもしれない。おまけに歌詞はドイツ語である。しかし、実際に聴いてみると曲の出来、そして演奏ともに非常に秀逸な内容なのである。

その証拠というわけでもないのだが、この作品は今年の夏にECMから発売され、いままでにグラミー賞へのノミネートをはじめ、世界のいろいろなところで優れた音楽に与えられる賞を受けている。どういうものか僕もよく知らないのだが、わが国でも今年の日本レコードアカデミー賞というのを受賞しているらしい。

1、2分の短いカフカの断章から何を聴き取るか、もちろんドイツ語がわかる人には、カフカの生きた時代の背景と情景がちらりちらりと浮かぶことだろう。それが作品の意図するところであるには違いないだろうが、僕にはクルタークが持つ緻密な奔放さが、不思議な心地よさとなって伝わって来る様に聴こえる。もちろんiPodでも何度か聴いてみた。不思議なことに、仕事帰りにこの音楽を選んで聴くことが何度かあった。

近頃の僕は、世界の広さと人間の深さを実感するために、時折こういう音楽を聴くことを求めているのだろう。

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