毎日音楽を聴いていると、ひとりでに音楽、というか音に対する感度が上がるものだ。いまの時代、求めなくとも音楽はどこででも耳に入って来る。正直、そういう音楽のほとんどすべては、その時の自分にとってはゴミ同然のものだ。それはその音楽そのものに問題がある場合もあるが、一番根本的な問題は、その瞬間、自分がその音楽を求めていないのに勝手に耳に入って来る、ということが原因だと思う。何事にも出会いは大切なのである。
最近は、気になる音楽というものが、音の形で僕の認識に入って来ることはあまりない。大抵は、ウェブサイトやフリーペーパーなど文字情報の形でその存在を知り、結果として気になって買ってみるなどの行為に及ぶことがほとんどである。世間一般の音楽認識パターンは、テレビ番組やCFやラジオなどが多いとも聞く。
そうした場合、大抵はその音楽が誰の何という作品かを知るのは、比較的容易いことである。CFの音楽として一部分しか耳にしなくとも、大抵はインターネットで捜せば何とかなるものだ。まったく便利な時代である。
僕はいままで自分から求めて聴いた音楽は、ほとんど記憶しているつもりだ。タイトルがおぼろげだったり、演奏者名を失念している場合もないわけではないものの、インターネットを使えば少しの労力でそれを見つけ出すことはできると思っている。もちろんそれを実際に聴けば確実に思い出せるつもりだ。(実際にそれが買えるかどうかはまた別の問題である)
ところが、冒頭に書いたように、いろいろなところで無意識のうちに耳に入ってきて、それが僕の中に突然ある種の興味となって現れるという音楽も、ないわけではない。こうした場合、うろ覚えで何らかの基本情報を持ち合わせていれば、そこから捜すことはできるのだが、それが何もないという音楽も時にはあるのだ。そういう音楽を偶然また耳にした時、その場で何らかの情報を収集することができるならいいが、そういうものに限って、お店のなかの有線放送のようにどうしようもないことが多い。
それは、先月の札幌出張の際に起った。現地の支社の人達とすすき野の夜を過ごしている時に、その音楽が有線放送から不意に耳に飛込んできたのだ。思わず踊り出したくなる様な楽しいリズムとメロディ、甲高いヴォーカル、いわゆるユーロビート系の音楽で、おそらくは日本でもかなりヒットしたと思われるその音楽は、ここ数年突然、僕の中に入ってきては少しずつ興味を組み立てていった。
その時いたお店は、少し変わったクラブで、お店の女の子がハウスバンドの演奏でオールディーズを歌うという嗜好の店だった。彼女達は普通のホステスというよりは、願わくば歌を仕事にしたいと頑張っている娘たちだった。だから確かに歌は上手かった。
僕はちょうどいい機会だと、それまでの話から突然話題を変えて、席にいた娘達に「いまかかっている歌は誰の何という曲?」と問うてみた。しかし、残念ながら彼女達の反応も僕と大して変わらないものだとわかった。「聴いたことはあるし、いい曲だけど、誰の何かは知らない」。
この時の経験でその音楽は僕の中に確実に存在するようになった。僕は帰りの飛行機の中でも、その音楽を思い出してみた。家に戻って、インターネットで検索してみたりもした。「ユーロビート」「女性」「甲高い」など、いくつかの検索ワードを組み合わせてみたが、見つかるはずもない。iTune Music Storeやアマゾンの試聴機能を使うことも考えたが、そもそも何を聴けばいいのか、その見当をつける手だてが何もない。これはもうお手上げである。
そんな状態がしばらく続き、それでもその楽しい曲は僕のなかに居座り続けた。先々週の金曜日の夜、再びネット検索に立ち向かったが、敢えなく惨敗だった。いわゆる人力検索なるものがあるが、これが今回の様な疑問に役に立たないのはお分かりだろう。
僕はその夜遅くに帰宅した妻に、酔った勢いも借りて自分のいまの状況を訴えたところ、返ってきたのは「じゃあ歌ってみてよ」だった。僕は記憶にあるサビと歌い出しの部分を歌詞なしで(英語の歌なので)鼻歌のように歌って聴かせたのだが、「はあ?知らない、聴いたこともない」しか返事はなかった。家にある電気ピアノでつま弾いて聴かせても結果は同じだった。
妻にこれ以上聞いてもダメだなと思いつつ、ここまで来るともう意地である。そこで僕はある決意をした。その夜はそのまま眠り、翌土曜日になって僕はその決意を胸に、近くにあるタワーレコード川崎店に向かったのだった。
売り場に入って、先ずユーロビートの作品が並んであるコーナーに行った。いろいろなけばけばしいジャケットがぎっしりと置かれている。1、2枚のCDを手に取ってみたが、それで何かがわかるわけではない。僕はそういう自分に一瞬あきれたような微笑みを浮かべた(と思う)。そこで意を決して、売り場を見渡した。
すぐに目に入ったのは、広いレジカウンターだった。しかし、そこにはお客さんが行列を作って並んでいる。うーん、あそこじゃない。少し歩いてみると、長いCDの棚の端に小さなテーブルがあり、そこで陳列商品の管理をやっている店員が目に入った。なぜか僕にはレジの人よりは音楽に詳しいように思えた。「あの人にしよう」。
近づいてみると、それは女性店員だった。「女性かあ・・・」恥ずかしさで、再び一瞬怯みかけたものの、もう後戻りはできなかった。僕はその店員のところまで行って声をかけた。「あのう、すいません。実は音楽を捜してるんですが・・・」あとは手短に事情を説明した。最初は一瞬緊張の表情を浮かべた彼女は、すぐに微笑むと「わかりました、ではお願いします」と、手を自分の方に招いた。
その付近だけ人通りは少なかった。店内には普通に何かの音楽が流れていたが、自分のなかではまるで静寂の空間に感じられた。僕はその人の前でサビの部分を2回と歌い出しの部分を1回歌った。ひとりでに自分の手が、指揮者かなにかのように拍子をとった。
その店員はうっすらと微笑みを浮かべながら、じっと聞いてくれていた。「うーん」と唸りながら、しばし腕組みして考えた後に、「ちょっとここでお待ちください」といって、すぐ近くの"STAFF ONLY"と書かれた扉の向こうに消えた。僕はそこで開き直ったつもりだったが、やはり顔を真っ赤にして待った。
1分程して、彼女はまた別の女性を連れて戻ってきた。観客が1人増えたなと思った僕には、期待よりも恥ずかしさが増えただけだった。案の定、僕はその新しい女性の前でも同じように芸を披露した。そしてその反応は驚く程、前の女性と(そして前夜の妻と)同じく、腕組みをして薄い笑みを浮かべて「うーん」唸るのだった。唯一の違いは、2人が互いに目を合わせて記憶を探ることだった。
やっぱりダメかなと思った。さらに人が増えたらどうしようと、自虐的な情景を頭のなかで描き始めた瞬間、後からやってきた女性が口を開いた「『アクア』かなあ」。そしてそうつぶやいた彼女の表情に、なにかまだ不完全ながらも確信を感じさせる表情が溢れ出し、そのまま、彼女は僕を最新の試聴機があるところまで連れて行ってくれた。
その機械はお店のおすすめCDが聴けるというものではなく、インターネットの試聴と同様に、アーチストやジャンルから曲名を選んで、その音楽を30秒間試聴できるというものだった。いま考えればこの機械の存在が大きかった。「こういう声の人ですか、先ずはそれだけ確認したいんですが」そう言って、彼女はアーチスト名で「アクア」と入力して出てきた、最初の曲を聴くようにヘッドフォンを僕に渡した。
そして音が耳から入ってきた瞬間、僕の心にあった闇はあと影もなく光に変わったのだった。「カートゥーンヒーローズ:アクア」それがその曲のタイトルとアーチスト名だった。僕はその人達に何度もお礼を言って、その作品が収録された彼等のベスト盤を買って店を出たのだった。それが今回の作品である。
アクアは北欧出身の4人組。1990年代後半から2002年頃まで活動していたようで、2枚のアルバムを残している。いずれの作品も世界中で大きなヒットとなり、日本でもかなり売れたらしい。「カートゥーンヒーローズ」は、2枚目のアルバムに収録された、彼等の最も有名な作品で、日本ではキリンの生茶の音楽としても使われた(確かにいま聴いてみるとそういう記憶がある)。その位メジャーな曲なのだそうだ。
家に帰って、妻にその音楽を聴かせると、案の定「ああ、これは知ってるよお」という反応。まあ僕も同じ状態だったのだから、別に腹は立たないものの、どうしようもない。たぶんもっと多くの人に同じように聞いていたら、やはり多くは結果的に同じ反応をしたのではないかと思う。そして、いまこの話を読んでいただいている人の多くも、「アクア?カートゥーン?」であって、実際に音を聴けば同じ様な反応の方が多いなのではないだろうか。タワーレコードの店員さんはさすがはプロであった。素晴らしい。
僕はこの手のサウンドをそれほど深く聴いていたりするわけではないものの、今回買ったアルバムに収められた他の作品も含め、アクアのサウンドには時代を反映した素晴らしさと、時代を超えた輝きがあることを確信している。「カートゥーンヒーローズ」はメロディの素晴らしさと歌詞の内容も含め、後世に残るユーロビートの名作である。
しかし、使い捨て時代の大量消費音楽の宿命とでも言おうか。最近のヒット曲というのは意外にこういうものなのかもしれないというのが、少し寂しい今回の教訓である。そして、いつもと異なり、音楽を捜すのにいろいろな人を通じたやり方で見つけだすことができたことに、いつもと違った充足感が得られたことには、嬉しさもある一方で、何とも皮肉な気持ちも少し感じている。しかし、何事にも出会いは大切だ。
(お断り)アマゾンで買った3枚目の紹介については、また別の機会ということにします。
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