7/02/2006

ファン=マニュエル=カニサレス「ノーチェス デュ イマン イ ルーナ」

 あっという間に1年の半分が過ぎた。振返ってみると、世の中の出来事としてはスポーツのイベントを中心に、そして僕自身の仕事やプライベートでも「世界」というものを意識することの多かった半年だったと思う。

インターネットで世界は身近になったというのは本当だと思うが、依然として世界の壁は厚いものでもある。これまで遠かった世界のことを知るのが容易になった一方で、身近な世界の姿が深みを増したり、時にはそれがねじれたりしている様にも思える。そういう意味では、地球のいろいろな場所という意味の「世界」と、一人の人間の中に築かれていく「世界」という、2つの世界の相対的な距離は、あまり変わっていないのかもしれない。

僕はいまのところ積極的に海外に出かける方ではない。それが僕の中にある一つの限界を生み出してしまっていることは、僕自身もよくわかっている。そして、それがある種の苦手意識の結果として出て来ているものであることも、もちろんわかっているのだが、だからこそ自分では別の意味で「世界」を深める努力をして来たつもりだ。インターネットはその意味での道具として、本当に多くのものを僕にもたらしてくれた。だから僕はこれが大好きなのだろうと思う。

しかし、インターネットに限らず、所詮道具というものは、行動につなげて初めて意味があるものだ。僕のインターネット活用も、その意味ではそれがいろいろな行動につながっているから、充足感が得られているのだと思う。逆に、最近ちょっと手が遠のいてしまっているベースのことを考えると、反省ひとしきりである。あんなもの、傍らに置いてるだけでは何にもならないのだ。

さて、少し前のろぐで、妻の職場の同僚で、会社勤めの傍ら、フラメンコのバイレ(ダンサー)として、自己の世界を追求している人について触れた。今度その彼女が会社を辞して、フラメンコにさらに近づくべく、スペインのアンダルシアに向けて旅立つことになったのだそうだ。

僕自身は、彼女にはあの時の公演以外には2、3回お目にかかった程度だった。妻とはいずれ家にでもご招待して、ゆっくりお話でも聞かせてもらおうよなどと言っていたところだったので、少し残念ではあるが、(僕にはとてもできそうにない)大きな決断をされたことには、ただただ敬服するばかりである。短い旅行に行ってどうなるというものでもないだけに、長い滞在の安全と、何かが掴みとれることをお祈りしたいと思う。

そんな旅立つ人へのお餞別の意味を込めて、今回は僕が大好きなフラメンコギターの作品を選んでみた。ファン=マニュアル=カニサレスは、1966年生まれというから、今年で40歳になるフラメンコギターの名手。若い頃から頭角をあらわし、現代の巨匠パコ=デ=ルシアとの共演を10年間以上続けるなど、早くからその世界では名が知られてはいたが、そこはヨーロッパの伝統らしく、フラメンコの世界も極めて層が厚い。少し名が知れたからといって、そう簡単に若手が一人前扱いされる世界ではない。

今回のアルバムのタイトルを直訳すると「イマンとルナの夜」という意味。1997年に発売された、31歳の若きカニサレスによる記念すべきソロデビュー作である。イマンは「磁石」、ルナは「月」という意味がある。ともに長く大きな航海に出るうえで、欠かすことのできない大切なものである。長い修行を経た後、一人前のフラメンコギタリストとして独り立ちしようとする、カニサレスの決意がタイトルに込められているように思える。

そして彼のその決意は、この作品に収録された全8曲のすみずみに余すところなくみなぎっており、新しい時代のフラメンコギターの魅力が満喫できる。とりわけ素晴らしいのは、やはりアルバム冒頭の"Se alza la luna"(昇りゆく月)である。作品中唯一のギタ−独奏曲であるこの演奏は、タイトルにも表されているように、独り立ちに向けたカニサレス自身による強烈な決意表明である。

ザパテアード(フラメンコのリズムの1種)をベースに、細部に至るまでしっかりと計算された構成だが、フラメンコの醍醐味である即興性に基づく緊張感は、繰返し何度聴いても損なわれることはない。冒頭で静かに昇り始めた月が、確実な足取りで次第に明るさを増し、彼が目指す新しい音楽の姿を少しずつ照らし出してゆく様は圧巻である。白熱の4分間が経過して最後に訪れる簡潔だが圧倒的なエンディングも、鳥肌ものである。はじめて聴いた時は、ひたすら開いた口がふさがらない状態だった。衝撃的だった。以来、僕はこの曲をいままで何度聴いたことかわからない。

どんな人にとっても、将来は常に期待と不安が入り混じった、非常に不安定なものである。そこにおいて、これだけの自信に溢れた新しい世界を提示することができたカニサレスは、やはり超大物である。既に発売から10年近くが経過したが、現在も彼は着実に新たなフラメンコの歴史を切り開いている。聴いて感心している場合ではないのだが、やはり何度聴いても「オーレ!」と発する以前に「う〜ん」と唸るばかりである僕は、やはり小粒だ。

Cañizares JMCによるカニサレス公式サイト (日本語)

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