6/03/2006

ポール=ブレイ「フラグメンツ」

 前回は2年半前にえぬろぐを始めて以来、初めてのサボりモードで大変失礼をしました。別に仕事が忙しいからというのが理由ではなく、ちょっと間がさして、気が重くなってしまったのだ。その気分にマッチする音楽が見つからなかったというわけだ。

別に忙しさは変わらない。むしろこれからの一週間の方が大変だろうと思う。土曜日の今日も会社に出かけて、少しだけ情報の整理をしていた。

僕の会社は休日に出勤する人などほとんどない。静かなオフィスは悪くないが、ただでさえ重苦しい雰囲気のオフィスが、少し蒸した空気に満ちていてさらに重い感じだった。おかげでどっと疲れて、結果的にあまり作業ははかどらなかった。それでも先週の異様な重さよりははるかにマシである。ろぐを書きたいと思える気分にはなっている。

今日の帰り道、会社がある田町駅からいつもの様に京浜東北線に乗った。さすがに土曜日の夕方は空いている。iPodで音楽〜今週届いたアンソニー=ブラクストンのスタンダード集の続編〜を聴きながら空席の一つに座った僕は、すぐさまどこからともなく美味しそうな焼きたてのパンの香りがしてくるのに気がついた。ほのかに漂ってくるというよりは、「さあ召し上がれ」と言わんばかりに匂いがしてくる。

その出所はすぐにわかった。僕のすぐ隣の席に座っていた女性が、大事そうにというよりも、どちらかと言えば無造作に膝の上に抱えた紙バッグの中から、袋に包まれていないそのままの姿で、大きなパンが顔をのぞかせていたのだ。おそらくは本当の焼きたてだったので、お店の人が袋に入れなかったのだろう。その匂いには、手で触れると思わず「あちっち」となるくらいのパンの温度まで感じられたほどだ。

電車が動き始める。満員電車で通路に人がぎっしり詰まった状態ではわからないが、今日の様に立っている人などほとんどいない電車の中では、走り始めると進行方向から車両の後ろに向かって、かすかだがはっきりとした風が吹き抜けるのが感じられる。

パンを抱えた女性は僕の進行方向側の席にいた。その人は紙バッグに左手をかけたまま、右手に握りしめた携帯電話で一生懸命何かに興じている様子だった。焼きたてのパンは、買ってくれた主人の関心が薄れたことを知ってか、緊張が解けてボーッとしているようだった。

焼きたての身体から立ち上る熱気は、そう簡単には冷めないものである。パンが自身から立ち上る匂いを少しでも抑えようと努力するとは思えないのだが、緊張感の抜けた様なそのパンからは、もう出任せ状態で匂いがわき出している様に思えた。

立ち上るパンの香りは、がらんとした車内を吹き抜ける風にのって、電車の中に広がって行った。煙突のすぐ風下にいるのが僕だった。その状態は、田町駅から僕が降りる川崎駅までのおよそ20分間にわたって続いたのである。

僕はパン屋さんで働いたことはないし、パン屋さんに20分間居続けたこともない。焼きたてのパンを20分間食べ続けたこともないし、パンの風に20分間晒されのも今日が初めてだった。おいしそうなパンの匂いなのでもちろん不愉快な思いはしない。しかし、ミントとか柑橘の爽やかな風とは明らかに異なるその風の匂いを、なんと表現したらいいか。「美味しそう」に感じられた状態を、過ぎてしまった以降の感覚はとにかく不思議なものだった。

電車が川崎に着いて立ち上がった僕は、かすかだったがはっきりとした満腹感を抱きながら電車を降りた。晩ご飯がパンだったらどうしようかと思ったが、確か今夜はタイカレーにすることになっていたはず。アパートのドアを開けると、あのエスニックなスパイスとココナツミルクの甘い香りが漂って来て、そこで僕はようやくパンの風から解き放たれた様な気持ちがした。

さて、今回の作品は僕が大好きなピアニストの一人である、ポール=ブレイの作品を選んだ。先週からの重い気分に合う音楽がないなあと思っていたところに、突然ひらめいたのがブレイの音楽だった。それは見事に僕の気持ちのバランスをとってくれたのだ。

ブレイのピアノを言葉にするなら、平凡かもしれないが「透明な空間の広がり」と「刺激的に輝く音色」だと思う。どちらかというとフリー系の人とみなされているようだが、彼はフリー界のビル=エヴァンスである。偶然にも今回の作品でドラムを担当するのはポール=モチアンである。もちろん彼のスタイルも1950〜60年代のエヴァンスの頃からすると、かなり大きく変わっている。

今回の作品は1986年の作品。おそらく僕が数十枚目に買ったCDだと思う。ブレイの音楽を初めて聴いたのがこの作品だった。これがなかなか衝撃的だったのをよく憶えている。タイトルの言葉は、収録されている音楽の本質を巧く表現している。

他の共演者は、ジョン=サーマンのサックス(ソプラノ、バリトン)とバスクラリネット、そしてビル=フリーゼルのギター、そこにモチアンとブレイという4人編成。そう、このクァルテットにはベースがいないのである。そうしたユニットの特性が、実に見事な音楽表現に活かされているのがこの作品だと思う。

演奏されているのは、各メンバーが持ち寄ったコンポジションである。しかし、いずれもテーマをモチーフ的に奏でて、それを時間と空間のなかに浮き上がる様に放って、全員でそれに向かって風を送る様に音を出し合い、テーマを支えながら音楽が組み立てられて行く、そんな演奏だ。

収録された曲はどれも、その弾き放たれるテーマが比類のない美しさである。聴き所は、2曲目からの"Monica Jane"、"Line Down"、"Seven"そして"Closer"と続く4曲。このシーケンスが持つ美しさと透明感そして緊張感は、決してこのメンバーでなければ生み出せなかったであろう、見事で素晴らしい音楽的瞬間の記録である。20年たったいま聴いても、その輝きは少しも失われることはない。

ある程度懐の深さを持って聴き臨む必要のある音楽かもしれないが、それだけに聴くものの心に響いた瞬間にもたらされる感動は、尋常なものではない。相対的ではなく絶対的な意味で間違いのない銘盤である。

Paul Bley Home Page 公式サイト。相変わらず活発にご活動のようです。

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