4/29/2006

ピンクフロイド「あなたがここにいてほしい」

 4月は月の始めと終わりで一番寒暖の差が大きいのだそうだ。今月からシャツとジャケット中心の装いに切り替え、少し寒い時にはベストを着て体温を調節した。ベストの出番は日を追うごとにどんどん少なくなり、どうやら今週月曜日がシーズン最後になったようだ。

連休直前の4月最後の週、僕は忙しく過ごした。自分たちで行なった調査の結果を分析して、その要約を作成したり、外部からのかなり無茶な分析業務の見積もりを考えたり、発刊されるレポートのチェックをしたり、部下達ひとりひとりと面接をしたり、会社の仕事に興味を持ってくれている人たちに仕事のお話をしたり、そんな毎日だった。嫌な仕事はなかった。連休前だという高揚もないわけではなかった。でも気分は虚ろだった。

久しぶりにピンクフロイドが聴きたくなった。「あなたがここにいてほしい」。この作品は1975年に発売された。この前のアルバムで、もはや伝説と化した傑作「狂気」の後、2年半のブランクをあけて発売された傑作である。前作の突然の大ヒットによってもたらされた苦悩を、その中で彼らが切に想い起こしたかつてのバンドリーダー、シド=バレットへのオマージュというかたちで昇華しようとした内容になっている。

おそらくは多くのフロイドファンにとって、この作品が持つ不思議な象徴性あるいは精神性は、ずっと心の奥底に潜み続けながら、時折何かをきっかけにそれが激しく溢れ出すというものであるに違いない。僕にとってこのアルバムだけは、どうしても部分的に聴くということが許されない作品になっている。自分のその掟に従って、今週僕はこの作品を何度も聴き、そこに僕のなかにある何かを映してみようとした。


アルバムは全部で5つの曲からなる組曲である。頭から順にたどってみよう。

1.狂ったダイアモンド(第1部)

第1部とあるが、実際には5つのパートに分かれた作品。始まりはシンセストリングスの神秘的なフェードイン。ダイアモンドのきらめきを表す効果音が散りばめられ、その光がはっきりし始めたところに、ホーンのシンセサイザーがこれから始まる苦悩に満ちた回想のプロローグを奏でる。デヴィッド=ギルモアのギターがそれを引き継ぎ、前奏は静かにそして確実に高まっていく。ロックギターのなかでおそらく最も哀しく切ない演奏である。

前奏に続いて、狂ったダイアモンドの象徴ともいえる4つの音からなる主題が、ギターで提示される。主題はあたりを見回すようにしばらく動かずに繰り返されるが、やがてニック=メイスンのドラムに生を受け、歩くことを始める。情熱的で多感な時期を象徴するかのように、ギルモアの自由なギターソロが展開されていくが、その世界は少しずつ影と熱を帯びてゆく。

ここまできたところで、突然ロジャー=ウォータースの歌が語り始める。「憶えているかい、若かった頃のこと。君は太陽のように輝いていたね」。だが優しい言葉はこれだけで、原タイトルの"Shine on you crazy diamond!"が高らかに歌われると、あとは狂人となってしまった旧友への嘆きと怒りが次々に投げつけられる。

そして最後の「輝け!」という叫びに押し出されるように、そのままの状態で成人した男になったことを表すかのような、ディック=パリーのテナーサックスが突然現れ、徘徊を始める。4つの音からなる主題はなおも提示されるが、すぐにそこから派生した憐れみの輝きを表す美しいギターアルペジオがきらめき始める。そのきらめきと絡み合いながら、まるでダンスを踊るように朗々と謳歌するテナーサックス。この部分は僕が本当に大好きなこの曲のハイライトである。

ダンスはリズムをを強めながら続いていくが、やがて力を失ったようにリズムたちは演奏をやめてしまう。アルペジオのきらめきだけが続く中、サックスは次第に狂ったよう歌い始め、深い闇のなかへ落ちてゆく。

2.ようこそマシンへ

空前の成功を収めた前作の後、フロイドのメンバーが音楽的目的を見失ってしまい、新作に着手することができなくなってしまった。一貫して「音響派」というレッテルの下で活動を続けてきた彼らが先ず考えたのは、既成の楽器を極力使わずに、石や木など自然のもので奏でる音だけでアルバムを作ることだったそうだ。実際に数曲の録音が行なわれたらしいが、すぐに行き詰まり、メンバー自ら方向性の間違いを悟った。このアルバムはそうした苦悩から生まれた。

そして、その失敗を消し去ろうとするかのような手法で演奏されるのが、続く「ようこそマシンへ」である。この曲は2本のアコースティックギターとヴォーカル以外は、シンセサイザーを大胆かつ全面的にフィーチャーしており、その意味ではフロイド唯一のテクノ作品といってもよい。

前曲がフェードアウトするに従って、低いエンジンのような機械音が立ちこめてくる。ブザーの合図とともに機械は少しずつ稼働を本格化させ、やがてその音がこの曲のベースとなるリズムを形成し始めるや、ギターが宿命的な響きをもつコードを奏で、ギルモアの高音ヴォーカルが歌い始める「ようこそマシンへ」。

かつて、この曲を「機械文明への痛烈な批判」と紹介した卑しい評文を目にしたことをいまでも思い出す。もちろんそのような歌ではない。マシンとは、些細なもの(音楽でも何でも)から巨万の富を生み出す仕組みを意味している。資本主義とかビジネスの世界、すなわち社会そのもののことである。ここではフロイドが生まれてからミュージシャンになるまでの過去が一気に振り返られる。

「おもちゃを買ってもらい、ボーイスカウトに入団させられた」子供時代。少年になると「母親から逃れるためにギターを買い」、やがて彼はスターを夢見て「マシン」に乗り込んだ。

途中、マシンの力強さと恐ろしさを象徴するように、アナログシンセサイザーのソロが挿入されるが、後のインタビューによるとこの部分はシンセの音をできるだけクリアに残したい一心で、ソロだけを最後にダイレクトで録音したのだそうだ。その甲斐あって、このシンセソロは他にも例を見ないほどその楽器の魅力をあますところなく表現している。ELPやイエスのシンセ演奏は、奏者の技巧による魅力の部分も大きいが、僕はそれらのグループの曲よりも、この曲が最もシンセサイザーをうまく使った音楽だと思っている。

少年は曲の最後でいったんマシンを降り、高速で移動する別の乗り物にのり換えてある場所へ向かう。入り口が開くと、乱痴気パーティーの狂乱と歓喜の声に迎えられる。しかしその中を通り抜けて、さらに奥の部屋へと進んでいく。そこで彼は、このショービジネス界の大御所に出会うのである。

3.葉巻はいかが

1970年代を象徴するへヴィーなロックナンバー。全編にギルモアのギターがフィーチャーされる。そしてこの曲を歌うのは、フロイドと同じブリティッシュロック界の盟友、ロイ=ハーパーだ。フロイドの成功とショービジネス界の狂気を歌ったこの曲の歌詞を考えると、フロイドのメンバーではない人間にこれを歌わせた意図がわかる。しかし、実際には狂ったダイアモンドで喉の調子を崩したロジャーの代役だったというのが真相らしい。

ショービジネスの大御所は葉巻をすすめ、デビューした少年の成功を喜び、一所懸命におだてる。突如として大成功を収めたフロイドの動揺がそのまま表現される。途中に挟まれた「ところで、ピンクってのはどれだい?」は有名な一節だ。そして2つのコーラスはいずれも次の歌詞で締めくくられている。
「そういえばこのゲームの名前をまだ教えてなかったよな、坊や。こいつは"Riding the Gravy Train"っていうんだよ」
「甘い汁を吸う」という意味らしいが、それ以外にも麻薬のヘロインを示す隠語でもあるらしい。

歌が終わると、ギルモアのカッコいいへヴィーなギターソロが展開する。「狂ったダイアモンド」で聴かれた哀しみや気怠さなど微塵も感じさせない、ロックロックロックなギタープレイが楽しめる。盛り上がりが最高潮に達したかと思いきや、突然演奏がワイパーで拭い去られるように消されてしまう。初めて聴いた人はここで一瞬驚き、しばらくは何が起こったかとあっけにとられてしまう。もちろん故障ではない。

4.あなたがここにいてほしい

大御所との面会を終えた少年は自分の家に帰っていた。ラジオからさっきの大御所が売る音楽(葉巻はいかが)の続きが流れてくるが、少年はそのことを頭の中から消し去るように、ラジオのチャンネルを変えてしまう。しばらくチャンネルをいじっていると、やがて懐かしいブルースギターの演奏が流れてくる。

チャンネルをそこに停めて、ようやく部屋でくつろいだ彼は、おもむろにギターを手にしてラジオから流れてくるフレーズを相手に、遊びで即興演奏をして絡んでみる。ショービジネスとは無縁な素朴な音楽である。いつしか彼のギターはコードを伴奏し始め、それに合わせて、昔を懐かしむように、そしてそれが不意に口をついて出てきた言葉のように、このアルバムの中核となる意味深な歌詞を歌い始める。

この歌では、この時のフロイドが置かれた状況から、長年抑えてきたある人物への想いが無防備に吐露される。残念ながら歌詞の全文を掲載することは出来ないが、歌い出しこそはシド=バレットへのオマージュとして始まるものの、途中からは広く普遍的な意味で別離や隔絶を嘆く内容になっていて、それがある種同様の気持ちを抱く(その意味ではほとんど誰しもだと思うが)聴くものの心を激しく揺さぶるのである。

歌が終わっても、演奏は昔を懐かしむ様な雰囲気でいつまでも和やかに続けられていく。後にメンバーのインタビューで、この曲のセッションに今は亡きジャズヴァイオリンの巨匠、ステファン=グラッペリが演奏に参加していることが明らかになっている。残念ながら彼の音は普通に聴いていては絶対にわからないと思う。フェードアウトして演奏が風の音にかき消される直前に、一瞬その音色を確認することが出来る。

5.狂ったダイアモンド(第2部)

夜を吹き抜ける寂しく厳しい風の音。その中から、再び立ち上がろうとする気配を表すように、ベース、ギター、キーボード、ドラムが徐々に立ち上がりリズムを形成する。第1部とは異なり、気怠さや哀しみよりもある種の聡明さと決意感じさせるホーンのシンセの演奏が、少しずつ意識の覚醒を促す。

そしてその覚醒が完全に遂げられると、第1部同様に今度はギルモアのスティールギターがそれを引き継ぎ、今度は力強く大地を駆け始める。ギルモアを中心とするこの疾走は、まさに圧巻の一語に尽きる。この世には素晴らしいギターソロの名演は数あるが、僕はこのギルモアの演奏は、そうした中でもかなりレベルの高いものとして記録にとどめておきたいと思っている。

「狂気」のツアーが終わってしばらくのブランクを置いてスタジオに集まったフロイドは、もはやどうしようもないくらいにダラケてしまっていたらしい。しかしその状況で悩み苦しんだ挙げ句に、彼らはようやくこれだけの作品を演奏することが出来た。その復活を強烈に印象づけるのが、この部分だと思う。バンド全体が結束し、異様なまでにテンションを揚げていくギルモアのソロは、やがて天に向かって離陸する。

第2部でも、先ほどの歌とは別の立場から、短いシドへのメッセージが歌われる。嘆きや怒りが中心だった第1部とは異なり、ここでは承認と本当の意味での心からの送別の意が表される。そして、新しい旅立ちを象徴するかのような、期待にわずかな不安が入り乱れた心象が演奏される。これでシドの魂は葬られたのだろうか。

現実はそうたやすいものではない。この長い作品の最後の部分で、再び第1部冒頭に似たやりきれない様な感情が再び姿を現す。気持ち的には明るさや清々しさを取り戻せたかの様なふりをするが、演奏はそれらの気持ちを行ったり来たりするようで、暗く重い。現実として体験したものだけが味わう深い闇。しかし人は誰しも、それをかかえて進まねばならないのだ。

やがてリズムは疲れ果てたように止まる。残されたホーンシンセは、まるで酒に酔って無理矢理愉しい夢にまどろむかのように、気怠くも明るいこれからを期待する様な謎の笑みをフレーズで奏でながら去ってゆく。アルバムの冒頭と同じように、今度はシンセストリングスがそれらを乗せながらゆっくりとフェードアウトしてゆく。


少し長くなったが、これがこのアルバムの全体である。今週はほとんどこればかり聴いた。いままでにも、もう数百回は聴いてきたと思う作品だが、自分にまだこの作品を求めることがあるのは、驚きでもなんでもない。それでも今週これをこんな風に聴くことになったというのは、やはり意外だったと言えるかもしれない。

僕が映してみようと思ったものは、うまく映ったようでもあり、そうでないようにも思える。この作品を愛する他の多くの人も、多かれ少なかれ同じ様な気持ちでこれを聴くのではないだろうか。もちろん事情はひとそれぞれなのだろう。

それは、スタジオで互いの音楽をぶつけ合った人かもしれない。向き合ってディナーを楽しんだ人かもしれない。些細なメールを何度もやりあった人かもしれない。夜遅くまで会議室で話し合った人かもしれない。そっと握った手のぬくもりを忘れない人かもしれない。気の利いたジョークが小気味よい人かもしれない。どうしようもなく愚かな人かもしれない。

あなたがここにいてほしい。

4/23/2006

ダラー=ブランド「アフリカン スケッチブック」

 先週の土曜日、会社の同僚の結婚披露パーティに招かれ、日比谷の帝国ホテルにおもむいた。新郎は僕の部下で、数ヶ月前に僕が頼んでいまの職場に連れてきた男である。現在の職場の上司として、社長と僕が招かれ、社長は乾杯の発声を、僕は新郎紹介のスピーチをさせてもらった。

帝国ホテルの披露宴に出るのは初めてだった。新郎から披露パーティに出席して欲しいと言われた際、場所がそこだと聞いたので、お祝いしてあげたいという気分よりも、おいしい食事と酒が飲めるぞと喜んだのだが、それも束の間、スピーチを頼まれて少しがっかりした。スピーチが終わるまでは、酔っぱらうわけにはいかないし(そもそも披露宴で酔っぱらうものではないが)、緊張して料理と酒が楽しめないではないかと心の中でもがいた。

最近、なかなかこういう席にお招きいただく機会はない。年齢の近い知人や友人は、随分前に結婚して子供がいるか、いまだ結婚せぬままかのいずれかだ。一番最近出席したのを思い出してみると、もう4年前になる。それも当時の職場の後輩の結婚披露宴で、この時は明治神宮にある明治記念館が会場だった。

当時の僕の上司が新郎の上司でもあり、その時は彼がスピーチを担当したのだが、順番がかなり後ろの方で披露宴全体の雰囲気もなかなかフォーマル色の強いものだっただけに、彼の緊張は長く続き、あまり食事を楽しむどころではなかったようだ。その隣で、次々と料理を平らげ、職場の同僚等にジョークを飛ばしながら、水割りのおかわりを連呼する僕の姿をみて彼は言った「おめえはいいよなあ、気楽で」。

今回は僕の番かと、少し罰当たりな気持ちで臨んだのだが、パーティそのものはこじんまりとした雰囲気で、僕が司会の方からスピーチの呼び出しを受けたのも、コース料理の最初の皿を食べ終わった頃だった。

こじんまりとはいえ、やはり知らない人中心の場で何かをしゃべるのは緊張する。内容は少しネタをそろえてあったのだが、冒頭にご両家へのお祝いを述べたり、新郎と自分の関係を紹介したりすることなどについては何も考えていなかった。おまけに、緊張を和らげようと、乾杯のシャンパンを一気飲みして、ビールも飲んでいたので、ご指名を受けた時は少し頭がぼっとしてしまった。

そのあたりを即席でなんとか間に合わせて切り抜け、あとは幸いなことに用意していたネタがそこそこにウケたので、結びに自分からのアドバイスと称して、家事を分担しましょうとか、IT時代のお互いのプライバシーは十分尊重しましょうとか、訳の分からないことを並べてスピーチを無事に(?)終えることが出来た。まあ75点というところか。

終わってしまえばこっちのもの。あとは料理を堪能しながら、新郎の以前の職場の同僚らとおしゃべりしつつ、水割りコールを連呼した。僕はどうもこういう祝いの席ではワインなどに手が伸びない。料理のことを考えればワインなのかもしれないが、ウィスキーの水割りも意外にいろいろな料理に合うものである。水割のおかわりが運ばれてくる度に、僕の隣に座った新郎の元上司の女性マネージャは笑い、その声は杯を重ねるごとに大きくなっていった。

書くが後になってしまったが、新婦は非常に綺麗で明るくしっかりとした一面も持ち合わせた人だった。僕の後に行なわれた新婦の大学時代の友人によるスピーチを聞いていて、なかなか活発な方なのだなと思った。僕は席の関係で彼女の真っ正面に座ったので、最初少し緊張してしまったが、後半に入ってお色直しやスピーチが一段落した頃には、こちらの酔いもいい感じになってか、とても和やかな雰囲気のパーティとなった。

今回の作品を演奏しているダラー=ブランドは、現在アブドゥーラ=イブラヒムというイスラム名に改名した南アフリカ出身のジャズピアニスト。この作品は1969年に発表されたenjaレーベルとの契約における最初のアルバムで、内容は全編彼のソロピアノ(冒頭でフルートも演奏)となっている。

僕はこの作品を割と最近になって購入した。渋谷のディスクユニオンに行ったときに、店内で流れていたのを聴いて興味をもった。ブランドの名前は以前から知っていたが、あまり音を聴く機会はなかった。たまたま耳にしたその音楽は、独特のタッチとフレーズがとても印象的なピアノである。僕にとっては、音が遠くに広がっていくようなイメージがして、いつも気持ちよくさせてくれる。この季節に聴くのもいい。

結婚は人生のなかで大きなポイントであることは間違いない。だけどそれがどういうポイントなのかと言われても、答えは人それぞれとなるはず。でも共通して一つ言えるのは、それが皆でお祝いをしてあげる価値のある、人生に必要なポイントだということだ。それはいつ起こったとしても構わないのだ。理屈で迎えるものではないのだから。

4/15/2006

オーネット=コールマン「コンプリート サイエンス フィクション セッションズ」

 桜が散ったと思ったら、少し仕事の方が慌ただしくなって来たりして、なかなか落ち着かせてくれない。もっとも、他の人の様子とか話を聞くにつけ、僕なんかはずいぶんノンビリできている方なのだろうとも思う。遊びに興味がない人は仕事をすればいい。

今週は仕事関係で大きな宴会があった。いわゆる歓送迎会というもの。二十数人が座敷に集まってカンパーイとなるわけだが、酒の席としてあまり楽しいものではない。何を飲み何を食べ何を話したのか、いまとなってはほとんど思い出せない。

その翌日は楽しい宴があった。相方の職場つながりで以前からちょくちょく飲みに行っている男と、久しぶりに杯を交えた。彼はこのところ忙しく、なかなか機会が作れなかったのだが、数ヶ月越しでようやく実現した。場所は「安いお店」という希望だけ伝えて、彼にお任せした結果、中目黒の大衆居酒屋「藤八」に連れて行ってくれた。

このお店はとてもよかった。その名の通りの雰囲気で、おつまみもおいしい。ただし大衆居酒屋といっても値段はあくまでも恵比寿ー中目黒価格である。2人で5品ほどのつまみと中生ビール(ジョッキが一般の大と中の間くらいある)を2つ、その後彼は冷酒、僕は熱燗を数本楽しんで、最後に名物のうどんをいただいて一人5000円だった。満足である。

彼は先の週末に休みをとって、彼女と旅行した沖縄の土産話を聞かせてくれた。ちょうど先月、音楽仲間が沖縄に転勤したばかりで、いずれ僕も行ってみたいと思っているのだが、実際に行った話を直接聞いているうちに、やっぱり行ってみたくなった。登川誠仁に会ってみたいものだ。

この日、沖縄ネタでしばらく楽しんだ後、お互いに大好きな音楽の話題になった。それぞれいま関心のある内容は少しジャンルが異なっているのだが、ジャズは共通の話題である。彼も相当詳しい。酒の具合もはいって次第に話は深みと熱を帯びてくる。

話題がマイルスのことになった時、「マイルス、マイルスって、あんたらそういう音楽聴いてるんですか」と隣で飲んでいた2人組の男性客が話しかけて来た。2人は50歳過ぎで俳句の会の知り合いだとか言っていたが、ジャズのこともかなり詳しかった。この世代の方だとぎりぎりでジャズはコンテンポラリーミュージックである。それもちょうど大学紛争と並行したフリージャズの時代のはずだ。

僕の隣に座ってらした人は、東京祐天寺で生まれ、いまもそこに住んでいるらしい。雑誌か何かの編集長をしていたようだ。そしてもう1人は京都舞鶴の出身だそうだが、高校を出て上京しジャズにのめり込んだらしい。この人はフリージャズにも相当詳しく、僕がいくつか挙げた名前は全部しっかり聴いていた。その度に祐天寺のおじさんは「こいつはバカだよ」を繰返した。その度に僕は嬉しくなった。楽しかった。

驚いたのは、そのフリージャズフリークの人(ヤマモトさんと言ってたなあ)に僕が興味本位で聞いてみた「阿部薫とかはお聴きになりますか」の問いに、「阿部はもう何度か会ったよー。」と返って来たこと。これは久々に人との出会いに興奮した瞬間だった。

「ライブハウスのマスターに電話番号教えてもらってさあ、俺、舞鶴から出て来たんだけど、サックス教えてくれって彼ん家に電話したんだよ。そしたら鈴木いずみが出てさあ、替わってくれたんだけど、教えるのはダメだって言われちゃってさあ。でも次のライブの時に行ったら、その後でいろいろお話ししてくれたなあ」とまあこんな調子である。

ヤマモトさんは阿部については「あんなものを聴いたらダメだ。寿命が縮むだけだ」と言っていた。まあそれでもサックスを教えてもらおうと思った位なのだから、彼の中では阿部はやっぱり秘められた存在なのだろうなと、僕は感じ取った。阿部に直に会ったという人に僕が会うのはもちろん初めてのこと。とても貴重な経験だった

僕は先日観たオーネットの話を聞かせてあげたら、「やっぱり行っとけば良かったかなあ」と言っていた。面白いのは彼がインターネットのファイル交換ソフトで、いろいろな音源とか映像を集めているということ。なかには、そんなものがこの世にあるんですかというものもあったが、ヤマモトさんがその話をする時はとても嬉しそうだった。祐天寺の編集長は、呆れ笑いで「こいつはバカだよ」を繰返した。

さて、今回は先月オーネットを観て以降、久しぶりに購入した彼の作品をとりあげた。「サイエンス フィクション」と「ブロークン シャドウズ」の2枚のアルバムで発売されていたものに、同時期の未発表セッションを加えてCD2枚組にしたものである。

いずれのアルバムも持っていなかった僕にとっては、ちょうど良いセットだった。内容はとても良い。セッションを通して実にいろいろな音楽の挑戦しているのだが、いずれも素晴らしいオーネットの音楽に仕上がっている。とりわけ僕が素晴らしいと思ったのは、インドの歌手アーシャ=プスリをフィーチャーした2曲のバラード「ホワット リーズン クッド アイ ギヴ」と「オール マイ ライフ」。オーネットミュージックにのせて唱いあげる彼女のバラードは、素直に音楽的感動が溢れている。

ヤマモトさんは、その後ディスクユニオンの店員などもしていたそうで、いまだに音楽からは離れられないのだろう、もちろん離れる気もないのだと思う。彼がいま何をやって生計を立てていらっしゃるのかは知らない。あと10年したら僕もああいう風になるのかなとも考えてみたが、やはり世代が違えば生き方も随分違うのだなと感じた。

話は尽きなかった。編集長はすっかり眠りに落ちてしまったし、お店の名物うどんも食べ、ラストオーダーのお知らせとともに閉店が近づいて来たので、散会となった。僕らは彼に名刺を渡した。こういう場合のお決まりとして「またこの店で会おう」と握手を交わしてお別れした。

少し肌寒かったが熱燗を何本も飲んでいたのでちょうどよかった。目黒川の桜はほとんど散ってしまっていたようだが、僕の目には別のもので鮮やかに満開になった桜が 映った。久々にとても印象に残った宴席だった。

音楽は素晴らしい。

Asha Puthli アーシャ=プスリ公式サイト

4/09/2006

ジャコ=パストリアス「ジャコ パストリアスの肖像」

 4月はいろいろなものが動く。お正月よりもずっと街は新鮮な空気に満ちあふれる。そして桜。東京では開花期間中、あまり大きな天気の崩れもなく、比較的長く花が楽しめた。

修理に出していたベースを先週末の土曜日に引き取りに行った。大塚駅を降りた2回目である。工房に行く前に、腹が減ったので駅前にあったラーメン店「ホープ軒」に入った。ホープ軒は有名な老舗。コクのある豚骨スープと背油を特長とした、いわゆるラーメンマニア的なラーメンの元祖と言ってもいいかもしれない。

僕が就職して東京に出て来た日、最初にしなければならなかったのは、独身寮への入寮だった。あらかじめ最低限の荷物を届けておいて、入社式の行われた月曜日の前日に行われた入寮式に間に合う様に上京したのだった。といってもこちらで頼る人はいなかったから、大学時代に付き合いのある男の家に前日に転がり込んだのだった。

彼の家は中央線の武蔵小金井というところにあった。詳細は書かないが、彼は僕の出身大学の医学部に在学していて、あることで僕と知り合う様になった。そして、知り合って2年たって突然、東京大学の医学部を受験し、合格してそちらに移っていったのだった。現在は立派な医師として活躍している。

彼の案内で千駄ヶ谷の「ホープ軒」に連れていてもらったのを憶えている。彼が好きだったマンガ家の作品にこの店が出ていたからだった。味ははっきり言ってあまり憶えていなかった。学生時代によく通った豚骨ラーメン店に大阪摂津市の「珍竜軒」というのがあって、正直そちらの方が上手いと感じたと思う。あの頃は大盛りラーメンにおにぎり2個を平らげていたなあ。

以来僕はホープ軒には行ったことがなかった。このお店は千駄ヶ谷や吉祥寺などいくつかのお店があって、いろいろと本家騒動などがあったのだそうだ。大塚のホープ軒がどういう位置づけかは知らない。千駄ヶ谷は立ち食い店だったが、大塚は比較的小さな吹きさらしのカウンターが十数席というお店である。電車の中から看板が見えたので僕はそこに入ることにした。

久しぶりに食べたホープ軒の味は、やはり油が強いラーメンだった。しかしずいぶんと時代を感じさせる味だった。深みとかいうことではなく、素朴な豚骨ラーメンとでもいうか、最近のラーメンマニアはこういう味にはおそらく厳しい評価しか出さないんだろうなあ。

さて肝心のベースだが、不具合は見事に直り、まっさらな指板に生まれ変わって帰って来た。写真は工房のサイトに掲載されたものを拝借した。工房の長瀬さんにお礼を言ってさっそく自宅に持ち帰り弾いてみたのだが、仕上がりに少し納得の行かない部分があった。楽器は生き物なので、とりあえずちゃんと弦を張った状態で1週間家で使ってみて、それでも問題が変わらなければもう一度もって行くことにした。

4月から組織替えや人事異動などで、顧客側も自分のチームも新しくなったので、この1週間はその対応やら月例で引き受けている原稿書きやらに追われて慌ただしく過ぎた。結局、ベースの調子はあまり変わらないので、素人が手を出すものではないと思い、今日再び大塚の工房を訪れた。

また預けることになるのかなと思いながらの訪問だったが、工房ではすぐに診てくれて再度調整をしてくれた。まあネックのそり具合の調整が、工房で想像していたのと少しズレていたことが原因だった様で、30分程の調整で無事に問題点はクリアされた。出来上がったベースを弾いてみると、弦高、バランス、テンション(弦の張りの強さ)など、すべてが完璧になった。さすがだ。

こうして修理が完了したベースを持って工房を出た。ついて来てくれた妻と一緒に、大塚駅前の尾道ラーメン店「麺一筋」に入った。尾道ラーメンと名乗るお店にはこれまで2回入ったが、正直いい思いをしたことがなかった。これでダメならもう行かないだろうなあという思いだったのだが、このお店のラーメンはとても美味しかった。スープも麺も気に入ったし、煮卵が絶品である。行き当たりで入った様なものだったのだが、またいいラーメン店が1つ見つかった。

2週間かけてリフレッシュした楽器を持ち帰り、これでようやくベースに打ち込むことが出来る状況が整った。新しい楽器を買ったよりも新鮮な気分である。まあゆっくり着実にやって行こうと思う。

今回の作品はエレキベースを弾く人なら誰でも知っているというか、聴いておくべき作品だ。もう30年も前の作品になるのか。僕が初めてジャコを聴いたのはベースを始めた14歳の頃だった。せっかく買ってもらったベースは、ジャコに衝撃を受けて1年もしないうちに自分でフレットを抜いてしまった。いま考えればひどい話である。

1曲目の「ドナ リー」からもう腰が抜ける程の衝撃だった。これがベースか。ジャコは技量ももちろんだが、ベースが主役になるというカッコよさは、ベースを演奏する者にはひときわ強く印象づけられたものだ。壮絶なベースソロが美しい「コンティニューム」、驚異のハーモニクス演奏「トレイシーの肖像」などなど、いま聴いてもあの衝撃は忘れることはない。

このアルバムでパーカッションを担当するドン=アライアス氏が先日突如亡くなってしまったのだそうだ。66歳だった。彼はマイルスの「ビッチズブリュー」をはじめ、いろいろな作品にセッションドラマーとして参加した。彼が参加した演奏をいったい僕は何曲持っているのか知らない。1970年以降の新しいジャズのシーンにおける数々の重要作品で彼の演奏を聴くことが出来る。まだ高齢というわけでもないのに、残念である。

今回の作品も含め、彼の偉大な記録はこれからも聴き続けられるだろう。新しくなった楽器を手に、僕も久しぶりにこれを聴いてみて、精神がリセットされる想いがした。

4/02/2006

ジャッキー=マクリーン「レット フリーダム リング」

 76歳のオーネット=コールマンの勇姿に感動したのも束の間、アルトサックス奏者ジャッキー=マクリーンの訃報がもたらされ落ち込む。73歳だったそうだ。マクリーンはオーネットの音楽に深く共感し、ブルーノートのリーダー作「ニュー アンド オールド ゴスペル」で念願の共演を果たしている。

ジャズが好きな人には、ソニー=クラークの「クール ストラッティン」、マル=ウォルドロンの「レフト アローン」など、定番作品でも素晴らしい活躍をしているのは、ご存知の通り。1950年代からアルトの名手として数々のリーダー作とセッション作品を残している。

当初はチャーリー=パーカー系の奏者として(それでもはじめからかなりクセはあったが)活躍したマクリーンだったが、1960年代からは新しいジャズの流れに共感しつつ、いわゆるブラックムーヴメントの一環としてのフリージャズとは少し距離をおいて、あくまでも自身の音楽芸術に根ざした作品を生み出した。

とにかく音を聴けば、知らない曲でも「あ、マクリーンかな」と思い、ソロでお決まりのフレーズ(わかる人にはわかると思います)が飛び出すに及んで「あー、やっぱりー」となる。そんなこんなで手に入れた彼の参加したアルバムが、僕の手元にも十数枚ある。

彼の訃報に接して、僕がいま聴いているのが今回の作品。これは彼の音楽的転換点とされる1962年の作品。当時、まだフリージャズというものは、スタイルとしては確立されていなかったが、その精神的な部分は既に確実に彼等の中にあったことを示す作品だと思う。タイトルはキング牧師の演説で有名な言葉である。

原作のライナーノートは、ジャッキー自身によるもの。4曲中、有名な1曲目「メロディー フォー メロネー」そして3曲目「ルネ」は、それぞれ自分の娘と息子の名前を冠した作品。いずれも彼の新しいスタイルを象徴する音楽。彼はそこに自身の子供と同様の思いをかけていた。

そしてそれらに挟まれた2曲目、バド=パウェルの「アイル キープ ラヴィング ユー」の美しさ。「レフト アローン」もそうだが、こういう美しい旋律を奏でるマクリーンも本当に素晴らしい。後のアルバム「デモンズ ダンス」に収録されたウディー=ショウの手による「スウィート ラヴ オヴ マイン」同様、忘れられぬ名演である。

そして最後の「オメガ」。これまたマクリーンの新たな芸術への執念を感じさせる、壮絶な演奏。アルバム全編を通じて聴かれる、耳をつんざくアルトの咆哮は、確かに彼の宣言であり確信である。あーもうここまで聴くと涙が。。。僕も歳とったかな。

他のジャズの巨人達と同様、彼はもう十分すぎるくらいの素晴らしさをこの世に記録として遺してくれている。僕らはそれをいつでも聴くことができるのだ。逝ってしまった彼のことを惜しむより、彼が遺してくれたものから自分が何を得たのか、言葉にするものではないかもしれないが、それが現時点でははっきりとわからない、そのことが悔しい。

4/01/2006

フラメンコライヴ@恵比寿

3夜連続ライヴの3回目。3月26日の夜に恵比寿のタブラオ「サラ・アンダルーサ」で観た、フラメンコのライヴについて。

今回のショーは、本場スペインから男性3人のユニット(カンテ、ギターラ、バイレ)を迎え、そこに日本人の女性バイレ7人が共演するという企画。ちなみにカンテは歌とパルマ(手拍子)を担当し、ユニット全体の指揮を執る人。ギターラはギター、バイレとはダンサーのことである。

このイヴェントを観に行くことになったのは、僕の妻の職場の同僚が、その7人の女性バイレの1人だったことから、彼女からお誘いを受けたことがきっかけだった。

フラメンコは以前から好きだった。昔のちょっとした縁で、単に聴くだけでなく、その音楽がどのような構成になっているかとか、ギター奏法のちょっとしたテクニックなどについて、多少の知識がある。

基本的にフラメンコはジャズと同様、アドリブの音楽である。アレグリアとかセビジャーナスといったコンパス(リズムパターン)があり、そのガイドラインを提示するのがパルマの役割。それを元にギターラがリズムとコードを刻み、そのうえで一定のスタイルを元にした節回しにのせてカンテが詠われる。そしてそれらにあわせてバイレが自由にステップを刻む。ここまでが音楽的要素であって、そのステップを踏む様にあわせて上半身の動きで曲全体のインスピレーションを表現するのが、バイレの芸術だ。

すべての基準はコンパスにあって、それぞれの要素は共通のコンパスを意識しつつ互いの表現に触発し合いながら、全体としての表現を形成する。その意味では、ジャズに通じる部分が極めて大きい芸術ということになる。

今回はやはりスペインからやって来た3人の芸術が圧倒的であった。ギターラのパコ=イグレシアスが繰り出す見事な演奏に、僕の耳は釘付けになってしまった。時折短いソロ演奏も交えるのだが、その音楽性はもはや伴奏者という域を超えていた。おそらくはパコ=デ=ルシアの様に、単独のギター奏者としても活躍しているのだろう。

そして、バイレのダヴィ=パニアグア。彼はあまり長いバイラオールはやらなかったが、その表現はやはり圧倒的だった。特にステップのダイナミズムと細やかさは、存分に聴かせ魅せてくれた。日本人7人ももちろん素晴らしかったが、そこはやはりスケールが違う。こういう場合、僕なんかは女性に見とれたりしてしまいがちなのだが、今回ばかりは、ダヴィの踊りにすっかり魅了されてしまった。

僕には踊りは到底無理なので、やってみるとしたらやっぱりギターラかな。しかしこの歳ではじめるには、もう手首がついて行かないかもしれない。何しろあの動きはいわゆるスラップベースの比ではないから。でもやっぱりカッコいいなあ。

というわけで、時間をさかのぼってご紹介してきた3夜連続ライヴ鑑賞記は、これでおしまいである。いま振返ってみると本当に充実した3日間だった。やはりなんであれ音楽はライヴが大切だなあということを、再確認したように思う。

今週は、「カラマーゾフの兄弟」を通勤の途上で少しずつ読み始めているので、iPodはお休みである。ようやく上巻の半分くらいまで来た。やっぱり映画よりも遥かに繊細に物語が描き込まれており、読み応えは十分。でもやはり先に映画を観ておいてよかった。新聞の連載を読むつもりで、無理せず少しずつ読み進めて行こうと思う。

花冷えといいつつも、4月に入り、すっかり春。今日は桜でも観に行こうか。

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