あけましておめでとうございます。本年も「えぬろぐ」をよろしくお願いします。今年も、日々出会った素晴らしい音楽にのせて、いろいろな自分の体験や考えを書き綴って参ります。
正月の行事は「帰省」だ。正直、面倒くさいと思うこともないわけではない。子供の頃から、年末年始はあまり好きではなかった。凧揚げやカルタを早々に卒業してしまうと、あとはお年玉と学校が休みだというだけで、それ以外はほとんど楽しみがない。むしろ年末の大掃除とか、買い出しとか、何かと忙しいあの雰囲気が嫌いだった。それはいまもあまり変わっていない。
大人になって、酒を飲むという楽しみができた。特に日本酒の味がわかるようになった最近になって、それが正月の楽しみと言えなくもない。でも、やっぱりそれにしたって、正月に帰省して飲む酒が特別なものかと言えば、そんなことはないだろう。おせち料理が素晴らしい日本酒のおつまみであることは認めるが、あれを作る手間も相当なものだ。
田舎で独り暮らしている父親のことは、もちろん気にかかる。でも帰省とそれは少し違うことのようにも思える。また夏休みなど他の時期に帰省するのと、この時期に帰省するのとでは、ずいぶん気分が違う。どこへ行っても雰囲気は同じ。駅や空港に行くとそういう状況がむしろ倍増されているように感じられて、余計に憂鬱である。
仕事仲間で実家やその近所に暮らす人のなかには、「帰る所がある人がうらやましい」と言う人もいる。そこはやはり、自分にないものを羨む人間の常ではないかなと思う。正月はのんびり自宅で過ごす、それがそっと胸の中にしまっているささやかな願いである。
そんなことを思いながらも、今回の帰省はのんびりと過ごせた。幼馴染みの男とその奥様、うちの妻と僕の4人で会食をしたりもした。実家では恒例の「食べもの洪水」にのまれた。実質3日間でおせち以外に、すき焼き、お刺身、お寿司、カレー等々を平らげた。そして、はじめて父親に僕のお手製パスタを食べさせたりもした。少し塩がききすぎたが、美味しいと言ってくれた。
新幹線の品川駅ができ、のぞみ号の増発もあって、帰省は少し楽ちんになった。ネットで座席の予約が出来るのもまったく便利である。そしてiPod。これはやっぱり手放せない。今回は、年末ぎりぎりになって購入した、マイルスの新作をひたすら聴きまくった。
「セラー ドア」とはワシントンD.C.にあったライヴハウスの名前。エレクトリックへの移行を果たしたマイルスのグループは、1970年12月の4日間そこに出演した。この時の演奏記録は、様々な編集が加えられて「ライヴ イーヴィル」という2枚組の作品の一部として発表された。
このアルバムの素晴らしさは言うまでもないが、一方でそのオリジナル音源をそのままの形で聴いてみたいという要望は、マイルスの死後、様々なCDセットが発売されるなかで、着実に高まっていった。僕もその登場を待ち続けた一人である。
今回の作品は、その音源をステージ別に6枚のCDに収録したセットである。内容は当然のことながら素晴らしい。6つのステージは基本的に同じ曲で構成されているが、もちろん演奏内容はまったく異なり、どのステージもエキサイティングだ。発売が発表されてから、実際に発売されるまで少し時間がかかった。アマゾンでの輸入盤価格は8000円台後半、一方でこれに日本語の解説がついただけの国内盤は15000円もする。僕は迷わず輸入盤を選んだ。
アコースティックピアノに比べれば、おもちゃの様な音しか出ないエレキピアノを、これでもかと弾きまくるキース=ジャレット。それまでのマイルスの音楽をひっくり返さんばかりに、ロックビートを叩き続けるディジョネット。最後の2ステージにはマクラフリンも参加する。1970年代=ロックの時代の幕開けにふさわしい「バカ騒ぎ」の記録である。
僕が小学1年生でクリスマスとお正月を心待ちにしていた頃、海の向こうでこんな音楽が鳴り響いていた。35年の時を経て、その音楽は僕に新しい興奮をもたらしてくれる。僕もせめて何かを遺したい、いつものことかもしれないが、何度でもそんな思いを起こさせてくれる、音楽は素晴らしい。
(おまけ)実家近くの駐車場に昔からある立て看板。帰る度に「あれはまだあるかなあ」と気になるのだが、今回も健在であった。おかしな看板だが憎めないやつである。
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