久々の厳寒。北国だけでなく、高知や鹿児島でも雪が降ったそうだ。雪の被害に悩まされている人達からは怒られそうだけど、温暖化で冬がなくなるのではないかと、心のどこかで憂えていた自分がいたのも事実。久しぶりの冬らしさに、少し安堵したりもしている。僕は寒いのは嫌いではないから。
この時期、職場の忘年会がない割には、なにかと酒を飲む機会が多い。もっぱら個人的な席が連続するので、体調はややバテ気味であるが、やはり楽しいものだ。今週も月曜日からいろいろな人に会って、お酒と料理を楽しんだ。
今度、国際結婚をして年明け早々にイギリスに旅立つのだという女性と食事をした。彼女の両親としてはまさに青天のヘキレキだったらしい。それはそうだろう。新たに夫となられる英国人の男性には、「娘を嫁に出す」という意味が理解できないので、彼女の両親共英語ができるにもかかわらず、両家の会話が成り立たないのだという。本人がそこをどう取り繕ったのは詳しくは聞かなかった。
ただその時、僕が思いついたのは「竹取物語」の英訳を、夫となる人に読ませてみてはどうか、という冗談だった。念頭にあったのは、日本人なら誰でも知っている、月に還っていくかぐや姫を嘆き悲しむ翁というシーンだったのだけど、よくよく調べてみると、あの話はかなり奥の深い物語であって、単に娘を嫁に出す親の心境を描写するという単純なものではなく、日本の小節文学の原点として日本古来の文化や思想をよく表現したものだと知って、はからずも少し感動してしまった。
竹取の翁が竹林で幼女を授かり、その娘がわずか3ヶ月で絶世の美女に成人、数々の名家からの求婚に対して、それを断る難題(龍の首の玉など)を繰り出す。この難題の品々に象徴される内容がなかなか意味深い。やがて娘は時の帝とも文通の末に求愛までされるが、月に帰還する自分の運命を悟り、不老不死の薬と天の羽衣、そして手紙を帝と翁に遺す。
月からの使者を迎撃せんとする帝の兵は何ら功を奏さず、娘は月に旅立ってしまう。血の涙を流しながら嘆き悲しんだ帝と翁は、天に一番近い山のいただきに使者を遣り、不死の薬をはじめとする一切の形見を焼き払ってしまう。余談だが、これが「富士山」の語源なのだそうだ。
今回のおめでたいご結婚を茶化すつもりは毛頭ないのだが、この物語を英国の紳士がどのように受けとめるのかは、是非知りたいものだと思った。しかし、一方でその意味する内容をどこまで正しく伝えられるか、それが難しいという根本は、結局同じなのかなとも考えた。
ひょんなことから、ほぼ何十年ぶりかで日本の古典文学に目を通してみた。そういうことを感じる自分は年齢相応なのだろうか、それとも遅すぎるのだろうか。
今年最後のろぐとなるこの週は、コルトレーンをよく聴いた。少し前のろぐでとりあげた、僕のお気に入りである「ライヴ イン ジャパン」も、iPodに入れて繰返し聴いた。あれは何回聴いてもいいものだ。僕が一番好きなコルトレーンはやっぱりあれかもしれない。
今回の作品のタイトル「メディテイションズ」とは「瞑想」という意味。冒頭に演奏される「父と子と精霊」は、日本公演でも演奏された「レオ」と同じ曲だ。この作品は、「不動のクァルテット」からフリーに移行する過渡期の作品、などと評されることもあるが、あまり意味のある説明ではないと思う。
僕にとっては、この作品はコルトレーンの音楽をある意味で最も幅広く収録した作品だと思っている。名作「至上の愛」がいわゆる「不動のクァルテット」の音楽的集大成だとしたら、「メディテイションズ」はもっと広い活動期間でのコルトレーンミュージックの集大成だと思う。不動のメンバーに加えて、最後期をともにしたファラオ=サンダースとラシッド=アリが参加していることも手伝って、この作品には初期から最晩年までに至る彼の音楽の要素のほとんどが表現されている。
彼の後期の音楽は、演奏者はもちろん、聴く側にも音楽に深くコミットすることを求めている(もちろん本来どんな音楽もそのはずなのだが)。その意味で、彼の言う「瞑想」とは、一般にイメージされるような静かな瞑想ではなく、ここに展開されるさまざまな音楽世界に共に没入することで、体験・共感する内容という意味なのだと思う。
「ライヴ イン ジャパン」もそうだが、こうした作品は、第一印象では非常にとっつきにくい。それは別の言い方をすれば、どこから音楽に入っていけばいいのかが、わからないということだ。同じ時代であれば、まだ入り口はわかりやすいのかもしれない。でも、僕はその入り口がいまの時代には存在しないとは少しも思っていない。そして一度その中に入ることができれば、この音楽は非常にいろいろなものを与えてくれる懐の深さを持っている、これは間違いない。
今年は僕が、コルトレーンが死んだ時と同じ年齢である41歳となった年だ。人間の生きた証として何をと考えると、少し惨めな気持ちにもなるが、いろいろな人に出会ったり、自分の好奇をできるだけオープンにして、少しでもその世界に足を踏み入れてみる、ということを繰返してきたおかげで、十分豊かな人生を送ることができていると思っている。
寒さが深まるなか、酒を飲んで伺った話から「竹取物語」をひも解き、一方では久しぶりに後期のコルトレーンを聴いた。それが僕の人生の瞬間だ。その2つにどういう関係があるのかなど、どうでもいいことだ。どちらも素晴らしいことに違いないのだから。
えぬろぐの更新は年内はこれが最後になります。丸2年が経過しましたが、まだしばらくはこんな調子で続けていきます。みなさんも楽しいクリスマスを過ごし、よいお年をお迎えください。
「竹取物語」への招待 古典文学研究家 上原作和さんの「物語学の森」にある竹取物語のページ ものすごい情報量です。
0 件のコメント:
コメントを投稿