12/27/2005

デレク=ベイリー「ソロ ギター」

 年末になって舞い込んだ突然の訃報。ギタリストのデレク=ベイリーが亡くなったそうだ。享年75歳。是非とも一度、生演奏を鑑賞したいと望んでいたのだが、かなわなかった。残念。

デレクの名を知ったのは、阿部薫のことを知るようになってからだった。僕がはじめて聴いた阿部のCDにギター演奏が含まれていた。その解説にデレクについて簡単に触れられていて、興味を持ったのだ。

この手の人の作品は、なかなか入手が難しい。「ロングテイル」を謳うアマゾンでさえ、彼の代表作である今回の作品は、既に中古品のみでの取り扱いになっている。東京近郊にお住まいの方なら、ディスクユニオンが一番確実だろう。大手のCD販売店でも置いてあるところは限られると思う。

 彼の演奏は明快だ。単なる即興というだけなら、ジャズやロックなど既存の音楽スタイルでやればいい。彼が目指したのはそういうことではなかった。デレクの著作「インプロヴィゼーション」(写真右)を読めば、そのことは一層深く理解できる。「音楽の始まりはすべて即興演奏だった」。彼はその意味での原点にこだわった。プロのギタリストとして活動している最中に、これはなかなかできることではない。

彼の音楽は決して「孤高」ではない。それは彼の残した演奏記録の多くが、様々な演奏家たちとの共演であることからも明らかだ。アンソニー=ブラクストンやセシル=テイラー、バール=フィリップス、トニー=オクスリー等、専ら即興演奏の世界に生きている仲間たちだけでなく、デイヴ=ホランド、パット=メセニーそして最近ではデヴィッド=シルヴィアンなどとも作品を残している。

デレクは、それほど多くの芸術家のクリエイティヴィティを刺激する存在だった。また幅広く音楽を捉えようとする、僕のような聴き手にも、聴くことの奥深さを教えてくれた人だったと思う。

彼は(当然のことながら)自分の演奏を録音することには無関心であったが、幸いにも、多くの作品がマイナーレーベルのカタログにいまもしっかりと残されている。僕も割りといろいろともっているけど、やはり彼の訃報に触れて、一番聴きたくなったのは、今回の作品だ。

ここで彼は、インプロヴィゼーションとコンポジションの両方を演奏している。初めて耳にされる方の多くの感想が「?」だと思う。怒りだす人もいるかもしれない、笑いだす人もいるかもしれない。僕もあっけにとられる間に時間が経過した。

それでも、不思議な感想が心に残る。「いまのは何だ?」。これをギター演奏というのであれば、自分のなかのギター演奏の意味を変えなければならない。それをするのは簡単なはずなのだが、ただ聴いているだけで演奏者でもないくせに、そういう心のスイッチを切り替えるのは意外に難しいのだ。

でもあまり難しく考える必要はない。「もう一度聴いてみよう」。それでいいのだ。彼が教えてくれたのはそういうことだ。

さよなら、デレク。

12/23/2005

ジョン=コルトレーン「メディテイションズ」

 久々の厳寒。北国だけでなく、高知や鹿児島でも雪が降ったそうだ。雪の被害に悩まされている人達からは怒られそうだけど、温暖化で冬がなくなるのではないかと、心のどこかで憂えていた自分がいたのも事実。久しぶりの冬らしさに、少し安堵したりもしている。僕は寒いのは嫌いではないから。

この時期、職場の忘年会がない割には、なにかと酒を飲む機会が多い。もっぱら個人的な席が連続するので、体調はややバテ気味であるが、やはり楽しいものだ。今週も月曜日からいろいろな人に会って、お酒と料理を楽しんだ。

今度、国際結婚をして年明け早々にイギリスに旅立つのだという女性と食事をした。彼女の両親としてはまさに青天のヘキレキだったらしい。それはそうだろう。新たに夫となられる英国人の男性には、「娘を嫁に出す」という意味が理解できないので、彼女の両親共英語ができるにもかかわらず、両家の会話が成り立たないのだという。本人がそこをどう取り繕ったのは詳しくは聞かなかった。

ただその時、僕が思いついたのは「竹取物語」の英訳を、夫となる人に読ませてみてはどうか、という冗談だった。念頭にあったのは、日本人なら誰でも知っている、月に還っていくかぐや姫を嘆き悲しむ翁というシーンだったのだけど、よくよく調べてみると、あの話はかなり奥の深い物語であって、単に娘を嫁に出す親の心境を描写するという単純なものではなく、日本の小節文学の原点として日本古来の文化や思想をよく表現したものだと知って、はからずも少し感動してしまった。

竹取の翁が竹林で幼女を授かり、その娘がわずか3ヶ月で絶世の美女に成人、数々の名家からの求婚に対して、それを断る難題(龍の首の玉など)を繰り出す。この難題の品々に象徴される内容がなかなか意味深い。やがて娘は時の帝とも文通の末に求愛までされるが、月に帰還する自分の運命を悟り、不老不死の薬と天の羽衣、そして手紙を帝と翁に遺す。

月からの使者を迎撃せんとする帝の兵は何ら功を奏さず、娘は月に旅立ってしまう。血の涙を流しながら嘆き悲しんだ帝と翁は、天に一番近い山のいただきに使者を遣り、不死の薬をはじめとする一切の形見を焼き払ってしまう。余談だが、これが「富士山」の語源なのだそうだ。

今回のおめでたいご結婚を茶化すつもりは毛頭ないのだが、この物語を英国の紳士がどのように受けとめるのかは、是非知りたいものだと思った。しかし、一方でその意味する内容をどこまで正しく伝えられるか、それが難しいという根本は、結局同じなのかなとも考えた。

ひょんなことから、ほぼ何十年ぶりかで日本の古典文学に目を通してみた。そういうことを感じる自分は年齢相応なのだろうか、それとも遅すぎるのだろうか。

今年最後のろぐとなるこの週は、コルトレーンをよく聴いた。少し前のろぐでとりあげた、僕のお気に入りである「ライヴ イン ジャパン」も、iPodに入れて繰返し聴いた。あれは何回聴いてもいいものだ。僕が一番好きなコルトレーンはやっぱりあれかもしれない。

今回の作品のタイトル「メディテイションズ」とは「瞑想」という意味。冒頭に演奏される「父と子と精霊」は、日本公演でも演奏された「レオ」と同じ曲だ。この作品は、「不動のクァルテット」からフリーに移行する過渡期の作品、などと評されることもあるが、あまり意味のある説明ではないと思う。

僕にとっては、この作品はコルトレーンの音楽をある意味で最も幅広く収録した作品だと思っている。名作「至上の愛」がいわゆる「不動のクァルテット」の音楽的集大成だとしたら、「メディテイションズ」はもっと広い活動期間でのコルトレーンミュージックの集大成だと思う。不動のメンバーに加えて、最後期をともにしたファラオ=サンダースとラシッド=アリが参加していることも手伝って、この作品には初期から最晩年までに至る彼の音楽の要素のほとんどが表現されている。

彼の後期の音楽は、演奏者はもちろん、聴く側にも音楽に深くコミットすることを求めている(もちろん本来どんな音楽もそのはずなのだが)。その意味で、彼の言う「瞑想」とは、一般にイメージされるような静かな瞑想ではなく、ここに展開されるさまざまな音楽世界に共に没入することで、体験・共感する内容という意味なのだと思う。

「ライヴ イン ジャパン」もそうだが、こうした作品は、第一印象では非常にとっつきにくい。それは別の言い方をすれば、どこから音楽に入っていけばいいのかが、わからないということだ。同じ時代であれば、まだ入り口はわかりやすいのかもしれない。でも、僕はその入り口がいまの時代には存在しないとは少しも思っていない。そして一度その中に入ることができれば、この音楽は非常にいろいろなものを与えてくれる懐の深さを持っている、これは間違いない。

今年は僕が、コルトレーンが死んだ時と同じ年齢である41歳となった年だ。人間の生きた証として何をと考えると、少し惨めな気持ちにもなるが、いろいろな人に出会ったり、自分の好奇をできるだけオープンにして、少しでもその世界に足を踏み入れてみる、ということを繰返してきたおかげで、十分豊かな人生を送ることができていると思っている。

寒さが深まるなか、酒を飲んで伺った話から「竹取物語」をひも解き、一方では久しぶりに後期のコルトレーンを聴いた。それが僕の人生の瞬間だ。その2つにどういう関係があるのかなど、どうでもいいことだ。どちらも素晴らしいことに違いないのだから。


えぬろぐの更新は年内はこれが最後になります。丸2年が経過しましたが、まだしばらくはこんな調子で続けていきます。みなさんも楽しいクリスマスを過ごし、よいお年をお迎えください。

「竹取物語」への招待 古典文学研究家 上原作和さんの「物語学の森」にある竹取物語のページ ものすごい情報量です。

12/18/2005

キース=ジャレット トリオ「アット ザ ブルーノート」

 今年は久しぶりに早めの寒波襲来らしい。先週は寒い日が多くなった。僕が東京に来て18年が経とうとしているが、その間、冬がだんだんと暖かくなっているように感じていた。一番はっきりしているのは、雪の降る日が少なくなっていること。ここ2、3年は僕の記憶では東京で雪が積もったという記憶がない。昨日今日で、東京以外の全国各地で大雪がふったようだが、東京では雪が降るとこまではいかなかった。

手袋をして、ヘッドフォンで耳を覆ってiPodで音楽を聴きながら通勤しているおかげで、さほど寒さがこたえることもない。さいわい風邪がぶり返すこともなく、おいしくお酒が飲める状態も回復した。妻の実家から送ってもらった泡盛の古酒をちびちびやった。古酒としては比較的手の届きやすい価格帯のものらしいが、やはり味の深みは普通の泡盛とはかなり違って、なかなか飲みがいがあった。結局、妻が一杯も飲まないうちに一本空けてしまい、あとで怒られてしまった。

金曜日の夜は、妻の会社の社長宅でのクリスマスパーティに招かれ、ここでもいろいろな人とお話をさせていただきながら、楽しく飲ませていただいた。中盤にはスウェーデン式にシュナップスのショットで乾杯という慣例があり、シャンパンで少し酔って調子に乗った僕は、景気よくグラスを干した。スピリッツのショットは文字通りズドンと一発である。帰路は深夜の千鳥足だったことは言うまでもない。まあこれもいい。

前回に続いて、今回もキース=ジャレットのトリオ作品。これは1994年の6月にニューヨークのブルーノートでの3日間全6ステージの演奏を、6枚のCDにそっくりそのまま収録したものである。前回のろぐを書いた後、これをiPodに入れてまとめて聴いてみようと思い立った。寒くて比較的忙しい1週間だったが、僕は通勤の時間を中心にこのセットを2回通して聴くことができた。

まあ本来は、そういうまとめ聴きをするようなものでもないのかもしれないけど、これまで他の作品に比べてつまみ食い的にしか聴いていなかったので、ながら聴きであるにせよ、作品全体を通してしっかりと味わうことができたのは、とても有意義だった。

この作品は、このトリオによるスタンダードシリーズに、ある意味でひとつの区切りをつける集大成的なものになっている。6つのステージがそれぞれに異なるストーリを持って、それぞれが見事に展開しそして完結するのはさすがである。さらに全体を通して聴いてみると、6つのステージがひとつのイヴェントとしてまとまったものに聴こえてくるから不思議である。

実際のステージ演奏をそっくりそのまま収録し、しかも6ステージすべてを記録してこのクォリティでCD化できてしまうということ自体が、既に奇跡的なことである。同様の企画として、マイルスのプラグドニッケルや、アート=ペッパーのヴィレッジヴァンガードなどの再発ものがあるのだが、やはりステージによってかなり演奏内容の出来不出来が大きい。それは特に演奏者の集中力というところに現れてくるようだ。

この演奏からしばらくして、キースは病気のために一時的に音楽活動を休止する。その後、病からの回復と現在の活動についてはご承知の通りだが、このトリオで演奏される音楽は、いろいろな意味でそれ以降大きく変わったと思う。それぞれの楽器の音色もかなり変化しているし、より即興性を重視するスタイルに移行したことは、トリオが確実に新しい段階に入ったことを意味していると思う。

なかなか値が張るものなので、贅沢品といえばそれまでかもしれないが、やはり他の一連の作品では味わえない、壮大な醍醐味があることは間違いない。購入してからほぼ10年近く経過して、僕はようやくこの作品の扉を開くことができたように感じた。

気がつけば、次回で今年のエントリーも最後である。このろぐもまる2年が経過することになる。エントリー数は少し前に100を超えた。まだまだ、まだまだ。まだまだ、これからですよ音楽は。

12/11/2005

キース=ジャレット「チェンジズ」

 先々週の疲れが出たのか、この1週間は風邪とともに暮らした。それはちょうど月曜日あたりから僕の身体に現れ始め、翌日にはピークに達した。熱も少しあっただろう。でも会社を休む程までには至らず、なんとか7日間で終息したようだ。

病はもちろん嫌なものだが、あとから考えるとその期間、自分の意識が妙に前向きと言うか、実体を伴えない形であるにせよ意欲的になっているのも事実。これが治ったらしっかり身体を鍛えようとか、しばらく読んでなかった本でも読もうかとか、いつもそういうことを考えてしまう。

それが一過性のものなのかと言えば、必ずしもそういうわけではないと思う。そうしたことを契機に、何か新しいことを始めるようになったこともなかったわけではない。そう言う意味では、病という谷は、一時的なものである限りにおいては、人間にとって必ずしも不要なものではないと思う。ちょうど世の中の景気といわれるものが、そうであるように。人や社会はそこで学ぶことが大きい。

風邪をひいた時、何が辛いかと言えば、やはり酒が飲めないのが一番辛い。少しでも良くなってくると、アレを飲もうかとかいろいろと考えてしまう。昔から病には卵酒だの、焼酎のお湯割りだのと、薬代わりに飲む酒の話があるが、やはりどれもあまりいいものではない。特に喉や鼻にくる風邪にアルコールはまったくもってよろしくない。

今回はピークを越えた水曜日頃から無性に熱燗が飲みたくなった。しかしそこは我慢した。金曜日に会社の同僚3人で小さな忘年会があったのだが、なかなか悪くないお店だったのだけど、やはりまだ鼻が詰まってしまっていて、他の2人が「うまいうまい」と絶賛するお魚料理(ノドグロという高級魚も出たのだが)も、正直言って歯ごたえから味を想像するのみという、空しい結果になってしまった。それでも1週間ぶりに飲んだ熱燗はやはり旨かったが。

今日になってようやく鼻水から色も消え(失礼)、食べ物の味もわかるようになってきた。ちょうど妻の実家から送られてきた荷物のなかに、琉球泡盛の古酒が入っていたので(義父がゴルフの賞品でもらったものらしい)、これを書いたらちょびっと楽しんでみようかと思う。

さて、そんな調子でももちろん音楽は聴いていた。よく聴いたのがキース=ジャレットの「チェンジズ」。この作品は彼の一連のECM作品のなかでも、あまり目立たない存在であるが、僕は大好きな作品である。

この作品は1983年の1月に、ニューヨークで録音された。メンバーはゲイリー=ピーコックとジャック=ディジョネットという、いまとなってはお馴染みのトリオ。同じ時期にあの「スタンダーズVol.1,2」が録音されたことからもわかるように、この作品はあのトリオの記念すべき第一弾である。実はこれに先立つこと6年前の1977年に同じメンバーでゲイリー名義の作品「テイルズ オブ アナザー」が録音されているのだが。

このピアノトリオが現在のそしてジャズの歴史のなかでも、最も優れたユニットの一つであることには、僕も十分同意できる。一方でピアノトリオの代表として必ずあげられるものに、ビル=エヴァンスのリヴァーサイド時代の黄金トリオがあるが、彼等の4作品(詳しくはこちらを参照されたい)に相当する、このトリオの作品が、今回の作品を含む最初の4作品(「チェンジズ」「スタンダーズ第一集」「同第二集」「スタンダーズ ライヴ」)であると僕は思っている。

収録されているのは全曲キースのオリジナル。なじみの名曲を演奏したものではない。当初「スタンダーズトリオ」などと称されたこともあったが、最初のセッションに本作のような作品も含まれていたということは、彼等自身にスタンダーズトリオなどという意図があったわけではなかった。あくまでも単なる企画だったのである。演奏内容については言うまでもない素晴らしさである。心地よい緊張感と美しさ、それがこのグループの醍醐味である。

僕はやはり、彼等がスタンダードをどう演奏するのだろう、というのよりも、オリジナルでどんな音楽を演奏するのだろうという方が、はるかにワクワクしてしまう。その意味で、それら4作以降次々に発売されたこのトリオによる演奏のなかで、ほぼ全編が即興演奏で構成された「オールウェイズ レット ミー ゴー」を僕が好むのはおわかりいただけると思う。スタンダード演奏は最初の3作で十分目的を達していると思う。

この作品が、スタンダーズ集よりも先に発売された時、スイングジャーナル誌で紹介されたこの作品に、評者として参加していた後の新生ブルーノートレーベルの主マイケル=カスクーナ氏が、星2つ(=平凡)をつけていたのを思い出す。確か「前向きな取り組みもなく、キースの音楽の問題点が露呈」と書かれていたと思う。音楽に限ったことではないけれど、世の中は将来に向かって動いている。倉庫に永くいてはそのことがわからなくなってしまうのだろう。

これから年末に向けて、まだ少し片付けないといけないこともある。これ以上体調を崩さないように頑張りたい。

12/04/2005

J.J.ジョンソン&カイ=ウィンディング「ザ グレート カイ & J.J.」

 関西に出張する機会があった。今回は京都→奈良→神戸→大阪と巡る3日間である。いろいろな人に会う機会を設けもらい、形こそ様々であるものの、いろいろな人からとても嬉しいもてなしをしていただいた。

鉄道に乗り、宿に入り、タクシーに乗り、お店に入る。楽しいひと時を過ごし、お店を替えたりしながら、夜が更けていく。京都も神戸も大阪も、僕の目にはとても人で賑わっているように見えた。

京都で乗ったタクシーの運転手は「あきませんなあ。儲かるのは寺だけですわ。」と嘆いていたが、彼の理想はたぶんもう二度と来ないのだろうなと思った。毎日毎日同じ街を忙しく走り回っているうちに、街そのものが脈打つ時代の流れに乗るはずの曲がり角を、見過ごしてしまったのかもしれない。知らない道にハンドルを切る、これは難しいことかもしれないが、誰にでもそれをしなければいけない時が何度かある。

神戸に入ったのは、奈良での仕事を終えた2日目の夜。ここでも、旧友の音楽仲間と遅くまで飲み明かした。お決まりのコースとして、2件目にはジャズバー「Y's Road」におじゃました。1年と少し前に伺った際にマスターから話を聞いていた通り、お店は以前あった加納町からにぎやかな中山手通に移っていた。にぎやかではあるけど、いわゆる夜の歓楽街なので、はじめて行った人は一瞬戸惑うかもしれない。

お店のなかは、以前のカウンターメインの細長レイアウトから、フロアメインの空間になっていて、ライヴをするには良い感じになっていた。以前は隅っこで居心地悪そうにしていたドラムセットが、フロアの真ん中にあって、それなりの存在感を出していた(暇そうにしてはいけないと、それなりの責任を意識してか緊張しているようにも見えたが)。

マスターの決断は成功したのだろうかと思って聞いてみたところ、やはり「あかん、あかん」を連発していた。しかし、店で飲んでいるうちに次々にお客がやってきて、もともと20席くらいしかないのだけど、席はほぼいっぱいになった。マスターは「たまたまや、たまたま」と謙遜していたが、カウンターに立つ表情は悪くなかった。

お店で久しぶりに、ちゃんとしたオーディオセットでアナログレコードを聴かせてもらった。オーディオセットの横にアナログプレーヤが置いてあって、これもドラムセットと同じように、暇そうにしていたから。

「マスター、なんかアナログ聴かせてよ」
「ああ、かまへんで。何?」
「ほなその手前に置いてあるカイ&JJでも」
「よっしゃ」

お客に出すドリンクを作り終えたマスターが、慣れた手つきでレコードをセットしてくれた。1曲目は"This could be the start of something"。本当に久しぶりに聴いたけど、やっぱり素晴らしかった。2人の超人トロンボーンはもちろん、サイドを務めるビル=エヴァンスもご機嫌である。

トロンボーンは不思議な楽器だ。長い西洋音楽の歴史のなかで、消えていった楽器はいくらでもある。トロンボーンもその変な構造と取り扱いの難しさから、いつ消えてもおかしくはない存在だったはずだ。それでも彼が生き残ったのは、彼にしか出来ない独自の個性があったからだろう。音階をアナログ的に無段階に変化させられる管楽器はトロンボーンだけだ。

そういえば、現在の自分のCDコレクションのなかに、トロンボーンのリーダー作が1枚もないことに気がついた。この作品も、JJの他のリーダー作も、僕はいつもアナログで聴いていた。トロンボーンの丸い音を再生するのに、アナログレコードはとても相性いい。それはきっとこの楽器のアナログ的特性とも関係するのだろう。

"This could be the start of something"、いいタイトルだ。この作品は、"THE NEW WAVE OF JAZZ IS ON IMPULSE"をキャッチフレーズに、当時新設されたばかりの名門レーベル「インパルスレコード」の記念すべき第1番作品である。その餞(はなむけ)にと、彼等がこの曲をトップに持ってきたのは想像に難くない。インパルスはその後1960年代のジャズで最も重要なレーベルの一つになるわけだが、その始まりとなった作品を久しぶりに深く味わうことが出来たのは、とてもいい経験だった。

人生の曲がり角が見えたら、不安を抑え、期待をふくらませ、ハンドルをきる。その時、こうつぶやくのだ。"This could be the start of something"