7/27/2005

ウォン=カーウァイ「2046」

  久しぶりにDVDをレンタルしてみた。借りたのはウォン=カーウァイ監督の「2046」、劇場公開があっという間に終わってしまい、見逃していた映画だった。今回はこれをとりあげたい。

 音楽ほど熱心ではないけど、映画を見るのは大好きである。以前にも書いたかと思うが、僕はハリウッド映画といわれる様なロードショーものが好きではない。「ロード オブ ザ リング」「スター ウォーズ」「ハリーポッター」等々、どれも劇場で観たことはないし、観たいとも思わない。映画に求めるのは、監督の描きたいと考えるテーマとその表現であって、ストーリーなどはそのための材料にすぎないと思っている。

 カーウァイは、僕が一番好きな映画監督の一人である。最初に観たのは「恋する惑星」(1994年)だった。日曜日の昼間にNHKで放映されたのを観て、僕は何とも言えない衝動を感じ、いてもたってもいられなくなって、そのままわけもわからずに街に飛び出していったのを憶えている。一番強く感じたのは「斬新さ」だった。新しいものにうまく巡り会えたときの嬉しさは、想い続けた女の子からデートOKをもらえたときの様なものだ。僕が街に飛び出していったのも、そんな感じだった。

 それを機に、レンタルビデオ屋に置いてある彼の作品を片っ端から観たのだが、やはり「恋する惑星」が一番素晴らしいと思って、ビデオを買った。そうこうしているうちに、新作「ブエノスアイレス」(1997年)が公開され、僕はこれを渋谷のシネマライズという劇場で観た。冒頭のシーンに「えっ、そういう映画なの」と一瞬面食らったのだが、100分間はあっという間に過ぎた。これは「恋する...」よりイイかも、と思って、今度はまだ結婚する前だった妻を連れて観に行った。終わった感想は「エクセレント!」だった。

 彼の魅力は、表現の斬新さとテーマの奥深さだ。敢えてもう一つあげるとしたら、東洋の監督だということ。香港や中国のトップスターを奇抜な役柄に起用するキャスティングも魅力である。今回の作品はその意味で日本では特別な注目を集めた作品だった。その理由は木村拓哉(SMAP)を起用したこと。彼をアイドルと考えるか、男優と考えるかでこの作品の見え方は変わってくるのかもしれない。

 「ブエノスアイレス」発表後から作業に取りかかっていたこの作品は、長らく発表されないままになっていた。木村と監督の間で何らかの意見の相違が生じている、と噂されたりもした。実際のところはわからないが、僕はそれは本当だと思う。例えば、木村とフェイ=ウォンのベッドシーンを監督が企図したのに対して、木村側(本人というより事務所かもしれないが)がそれを拒否した、というのは僕個人の勝手な想像に過ぎないが、まあそういうようなことなのかもしれない。

 結局「2046」は完成し日本でも公開された。しかし、この作品は間違いだらけの評判に満ちあふれた作品になってしまった。公開に前後して、メディアやネットで語られた評判やふれこみを目にした僕は、「あれ、つまんない映画なのかな」と思ってしまった。それが観に行くのを一瞬躊躇した理由の一つである。しかし、そうこうしているうちにこの作品はあっという間に打ち切りになってしまった。シネマライズで10週間近いロングランになった「ブエノスアイレス」とは大違いである。

 一番多い誤解は、この作品が「SF映画」だというデマである。まったくおかしな話だ。物語は1960年代後半の香港を舞台にしていることは、観た人なら誰にでも明らかだと思う。タイトルは確かに2046年を想起させるものだが、実際には貸部屋の番号である。2046年というのは監督から観る人の想像に委ねられたメッセージであるはずなのだが、国内のプロモーションでは勝手に「2046年という近未来でアンドロイドに恋をする男の映画」、みたいな売り方になってしまった。理由は簡単、木村がそのシーンに大きく関係するからだ。

 ストーリは書かないが、木村はこの作品では脇役である。主役のトニー=レオンを巡る4人の女性の物語なのだが、木村はその一人フェイ=ウォンの恋人役に過ぎない。配給会社は「木村拓哉が世界のカーウァイ監督と...」という売り方をしたいがために、そういう紹介のされ方になったのだろうと思う。それにつられて劇場に足を運んだ人の目の前に、突然広がるカーウァイワールドに戸惑うのは無理もない。

 もう一つは、この作品より先に公開された「花様年華」(2000年)の続編であるとする見方。これも実際に観てみた僕にはおかしな話だと思った。続編ではなく「花様年華」は「2046」の習作、つまりスケッチに相当するというのが僕の考え方。そう考えると「花様...」が中途半端な作品だなと感じられたことが納得できる。

 そして「難解な映画である」という評判。気取るわけではなく、まったくそんなことはないと思う。登場人物とその時代が多少前後して描かれたり、木村とフェイの話で使われるSF小説の挿話などで、ちょっと時間的なストーリーがややこしくなっていることは認めるが、難しいということはない。もちろん男と女は難解なものである、という意味でなら言えた話ではあるが。これを観て「難解」だという方は、映画を観る力が落ちているといわざるを得ないと僕は思う。大人の映画ですよ。

 断っておくが、僕は木村拓哉が嫌いなわけではない。しっかりした個性と雰囲気をもった俳優だと思う。本作への起用も、彼でなければならないというまでではないものの、成功していると思う。ただ彼の日本での異常な商品性が、作品そのものというより、作品をプロモーションの面からおかしくしてしまった。日本の映画市場の現状を象徴しているような出来事になってしまったように思える。

 僕はこれを劇場で観なかったことを大後悔している。素晴らしい作品だ。僕のなかでは「ブエノスアイレス」よりイイかもという感想。機会があれば是非劇場で観てみたい。

 2046:いまだにある本作の日本向けプロモーションサイト

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