7/09/2005

アレクサンダー=クナイフェル「詩編50(51)/太陽を身にまとって」

  前回のろぐでとりあげたピンクフロイドをはじめとする、世界中のアーチストが共演したイベント「Live8」が終了した。CS放送でオンエアされたフロイドのライヴパフォーマンスを、友人がビデオに録ってくれたので、さっそく週末に自宅で見させてもらった。

 「生命の息吹」「マネー」「あなたがここにいて欲しい」「カンフォタブリー ナム」の4曲で約25分の短いパフォーマンスだったが、演奏は24年間のブランクなどウソのように見事だった。ギルモアのギターは素晴らしい唸りを聴かせ、フロイドの雰囲気作りに欠かせないメイスンの遅れ系ドラムも全く変わっていなかった。印象的だったのは、時折画面に映ったお客さんの多くが演奏に合わせて歌を口ずさんでいたこと。ハイドパークでこれを直に観ることができた人は幸せだ、まったく幸せだ。

 しかし、イベントそのものが無事に終了したのも束の間、そのロンドンで悲しいテロが起こってしまった。まったく残念である。怒りもさることながら、やはり悲しい、残念である。僕にはほとんど何もできないが、今回はテロの犠牲になられた方々に捧げるとともに、世界の平和を願う意味で、最近ECMからリリースされたクナイフェルの作品集をとりあげようと思う。

 アレキサンダー=クナイフェルは1943年生まれのウズベキスタン出身の作曲家。今回のCDには、タイトルにある2つの作品が収録されている。「詩編50(51)」は、彼の師でもあり現在存命しているなかでは最高のチェロ奏者ムスティスラフ=ロストロポービッチに捧げられた作品。ロシア教会の祈りの言葉を、チェロで表現したという音楽は技巧的にももちろんだが、精神的な意味でも大変な演奏であり、おそらくは彼以外にはこれを演奏できる人はいないだろう。冒頭から静かにしかし着実に展開されるハイノートの演奏はまさに祈りそのものである。

 もうひとつの「太陽を身にまとって」は、女性ソプラノ歌手タチアナ=メレンティエヴァに捧げられた作品。こちらもそのタイトルそのもののように、地球全体にやさしく降り注ぐ太陽の光が、宗教的な意味合いを込められて表現されている。こちらも音楽表現による美の極致である。

 2曲合わせて53分間の演奏時間中、音が突然大きくなるような部分はない。慣れない人が耳にして不快や不安な気分になる様な音も一切含まれていない。静寂が確保できる時間(できれば昼間がいいのだけど)に、どうぞいつもより大きめの音で安心して聴いてみて欲しい。聴くというか、音の世界に身を委ねるという姿勢にひとりでになってしまうはずだ。通勤とか移動のついでに、あるいは食卓のBGMでといったスタイルの聴き方は、この音楽には合わないと思う。

 僕らはもう少し「光のありがたみ」というものについて、考えなければならないのかもしれない。

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