1/11/2005

山下和仁「青い花〜藤家溪子ギター曲集」

  年明け早々、ちょっとごたごたがあってろぐの更新が遅れてしまった。事実上、これが年明け最初に書くろぐである。

 正月はおおいに食べ、そして酒を飲んだ。おかげで体重がかなり増えてしまった。どことなく身体が重い。また、あまり便のよくない田舎で、荷物を持って坂道(僕の実家は山を切り開いた高台にある)を上り下りして運んだりしているうちに、最近は影をひそめていた足腰の不調がまた現れそうになったりもした。ちょうど2年前の同じ頃、発症し始めた時期に自覚したのと同じ症状が感じられて、もしや再発かと少し不安にもなった。幸いにも、そちらの方は、いまは落ち着いている。あとはまた運動をはじめて体重を減らさねばならない。

 しばらく飲んでいなかったウィスキーが急に恋しくなり始めて、12月あたりから家で飲むのはほとんどそればかりになっている。僕が飲んでいるのは、サントリーの「角瓶」というやつ。程よい甘ったるさとコクがウィスキーを感じさせ、値段も手頃である。以前はロックで飲んでいたが、最近はもっぱらこれをストレートで飲む。僕には2つ上の兄がいるのだが、聞けば彼もこれをよく飲んでいるという。兄は僕以上の酒飲みで、大晦日にたまたま実家においてあったスコッチウィスキーを、夜に2人で飲み始めたら、あっという間に1本飲んでしまったのには、ふたりとも少しびっくりした。仕方がないので、元日早々、地元のコンビニでまた角瓶を1本買った。

 ウィスキーには産地によって5つのカテゴリーがある。スコッチ、アイリッシュ、カナディアン、バーボン、そしてジャパニーズである。僕がウィスキーを飲み始めた大学生の頃(いまから20年以上前である)は、まだウィスキーは高かった。8年もののブレンデッドスコッチが3800円、12年ものが8500〜10000円もした(現在の売値はその半額以下である)。さらに酒の値引き販売は禁止されてたのだ。

 その後、酒税の改正とともに並行輸入品の販売が認められるようになり、僕が大学生だった最後の1年には、まさに「洋酒天国」となった。当時住んでいた大阪府吹田市の下宿の近所にあった酒屋が、どういうルートなのかやたら安かった。ワイルドターキーの1リットル瓶が、2000円ちょっとだったのを憶えている。安売りになるのはなぜか1リットル瓶ばかりだった。そういうものを買っては、アルバイト帰りに夜な夜なジャズを聴いては飲んだ。1本を大体1週間かけて飲んでいた。飲む時は9割がた独りだったが、楽しかった。上京前に下宿を引払う時に、近所のゴミ置き場だった電柱の足下に、そんな瓶が40本程並んで、近所の人がびっくりしていた。

 ウィスキーの思い出についてはもう1つ、僕の音楽仲間のドラム奏者とその親父さんの話をしないわけにはいけない。僕は大学に入ってバンド音楽のサークルに入ったが、それは自分の入学した大学とは異なる大学のものだった。そこで僕はあるドラム奏者に出会い、彼とは以後ずっと長い付き合いをさせてもらっている。いつしか僕は彼の家に遊びがてら泊りに行くようになり、そのときは決まってウィスキーをごちそうになった。

 彼の家は神戸の長田区というところにあり、親父さんは地元で会社を経営していたので、自宅はびっくりする様なお屋敷だった。親父さんは相当な酒好きで、当然のことながら家には実にいろいろなお酒があった。もちろんウィスキーが中心である。僕はそこで普通では飲めない様ないろいろなものをいただいた。なかでもよく憶えているのは、ウェッジウッドのボトルに入れられたバレンタインの17年もの、そしてサントリーが誇る当時としては世界最高級のウィスキーだった「ザ・ウィスキー」である。この2つの味はいまでも忘れられない。特に後者は、親父さんがいきなり部屋に入ってきて少し話をしていると、「そんなにウィスキーが好きや言うんやったら、アンタにはこれや」といって飲ませてくれた。なめらか、透明、しっかり、豊か、そんな言葉があうだろうか。とにかく素晴らしかった。

 僕が留年の末に就職が決まった秋に遊びにいくと、またまた親父さんが出てきて「お祝いや」といってタクシーに乗せられ、当時三宮にあった「ルル」というバーに連れて行ってもらった。そういう超マジなバーには行ったことがなかった。ずらりと並んだボトルを前に、好きなものを注文しろというので、僕がワイルドターキーを頼もうとしたら、瞬時に遮られ「そういうどこでも飲めるものを、ここで注文してどうすんじゃコラ!」と怒られた。結局、マスターのすすめでオールドグランダッドの何番だったか忘れたが高そうなヤツを飲んだ。それ以降は、バランタインの30年ものが出たり、揚げ句にはアブサン(リキュールの一種で常用すると幻覚などの毒性があるため輸入発売とも既に禁止されていた)まで出てきて、帰りはもうよく憶えていない。

 社会人になって、銀座のバーでマスターにその話をしたら、「それはもしかしてルルというお店ですか」と言われ、そこがその筋では知らぬ人はいない伝説的なお店であることを知った。ルルは僕が訪れた直後に代替わりして店を移転し、その店も震災でなくなってしまったらしい。そして、僕のウィスキー体験に箔をつけてくれた、ドラムの友人の親父さんは昨年の2月に亡くなってしまった。僕はいまだにお参りができないでいる。今回はその親父さんに捧げる意味で、2005年になって最初に購入したCDを取り上げようと思う。

 日本を代表するクラシックギター演奏家の山下和仁は43歳、一方、作曲家の藤家溪子は京都生まれの41歳。いずれも僕と同じ世代である。藤家のギターソナタ「青い花」はドイツのロマン派の詩人ノヴァーリスの同名の詩からヒントを得て、藤家がシューベルトへのオマージュとして書いた作品である。ギター曲にしては珍しく、4つの楽章からなる45分近い大作である。現代作品といっても、内容は非常に親しみやすく、奥ゆかしさと暖かさに溢れた名曲である。他に「さくらさくら」の変奏曲と舟に因んだ2つの小品が収録されている。興味ある方は、CDに藤家自身による楽曲の解説があるので読んでみるといいだろう。

 神戸でウィスキーをごちそうになりっぱなしだったあの頃、僕らはもっぱらジャズを聴いていた。その親父さんは近代ドイツやロシアのクラシック音楽が好きだったようだ。ダイニングにつながった広すぎる応接間には古くて立派なオーディオがあった。あのお屋敷もいまはもうないらしいが、今夜はその薄暗くて広い空間に、このギターソナタが暖かく鳴り響くことを想いながら、ウィスキーを傾けている。親父さんの耳にも届いていればいいのだが。

藤家溪子ウェブサイト
山下和仁ファンクラブ
株式会社サントリー
禁断の酒 アブサン
神戸市長田区

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