2/29/2004

ロバート=フリップ「ブレッシング オブ ティアーズ」

Robert Fripp:  母のこと。

 僕が34才だった1999年の3月2日に、僕の母は亡くなった。死因は癌だった。前年の5月に突然入院し、夏に一度退院したが、最後の正月を家族全員で実家で迎えてすぐに病状が悪化し、再び入院した。入院の直前、そして亡くなる2日前にモルヒネで眠って死の準備をする直前に、母は同じことを僕に言った。「みんな仲良くしなさい」

 結婚すること、そして子供を産んで育てることは、自分で選択することができる。そこには理屈の入る余地がある。しかし、親との死別は選択することはできない。そこに理屈はないのだ。医療の進歩で高齢化が進もうが、そのことは何も変わりはしない。そのことを忘れてはいけないと思う。先の世代に別れ、新しい世代を創り育てる。これは本来当たり前のことだ。自分とは何かについてはこだわったり考えたりすることは人生では重要だが、おそらく一生かかっても答えは出ない。時代をつなぐことは、何かもっと本質的な人間の使命なのだと思う。

 ロバート=フリップはギタリストである。プログレッシブ・ロック・グループのキングクリムゾンを率いて先進的な音楽を追求し続けている人だ。僕は彼をとても尊敬している。彼は一方で、というかその音楽性と表裏一体の関係といえると思うのだが、音楽ビジネスに関して独特の姿勢を持っている。Disciplin Global Mobileは彼が主催するレーベルで、これが発足するに至った経緯は、一言でいえば、それまでのレコード会社との訣別である。詳しくは同社のサイト内にあるので是非とも参照してみていただきたい。音楽ビジネスはアーチスト中心に自律的に運営されるべきであり、たとえお客様である聞き手といえども、アーチストのクリエイティビティを阻害するものであってはならない、ということだろうか。立派な表明だと思う。これは決して音楽に限ったことではない。顧客第一主義というのは、一見きれいな言葉でありビジネスの基本なのかもしれないが、必ずしも本質ではないということだ。作り手がいなければ、客にもなれない。客面だけではなにも生まれない。

 そんなフリップ氏が、1990年代後半から取り組んでいるユニークなソロギタープロジェクト「サウンドスケープ」の一連の活動は、数枚のアルバムにまとめられている。この音楽はとても言葉では表現できない不思議なものである。これがギター?しかもソロ演奏?と誰もが耳を疑う。そしてこれは音楽なの?というおきまりの問いも。サウンドスケープとして最初に発表されたアルバム「1999」のライナーノートには、収録されたアルゼンチンの会場で起こったハプニングについて書かれている。「金を返せ」と騒ぎだした一部の観客に関するフリップ氏のコメントは、実にアーチストらしく素晴らしいものだ。

 この「ブレッシング・オブ・ティアーズ」は、彼の母をはじめとする数名の魂に捧げられたものだ。他のサウンドスケープ作品がかなりアブストラクトな側面を持っているのと異なり、本作は全編悲しさや寂しさ、そして希望に満ちた美しい音楽に溢れている。僕は時々母のことを考えると、このCDを聴く。ライナーノートはフリップ氏のこんな言葉で結ばれている。

  There is only one father in the world,
  there is only one mother in the world,
  but there are many children.
  I have not lost my mother, but I miss her company.

 僕の母が遺した「仲良くしなさい」の意味は、これらの言葉にも見事に重なるように感じられる。

Discipline Global Mobile
Robert Fripp's Diary

2/21/2004

リー=モーガン「ライブ アット ザ ライトハウス」

 Lee Morgan :  音楽のコレクターの間には「無人島に持っていく1枚」という議論がある。単純な話、一番好きな作品は何か、ということだと思うのが、「そんなぁ、1枚だけなんていわれたってぇ」とかいってへらへら笑いながら身体をくねらせて悶絶する(困っている一方で明らかに喜んでいる)輩が続出するわけだ。まるで二股がバレて詰問されているようでもある。そこで、どうしても1枚選ばなければいけないという状況を、わかりやすく提示しているわけだ(それにしても無茶な設定だと思うが)。おそらく本や絵画の収集においても似たような議論があるのではないかと思う。別に無理に1枚選ぶなんてことしなくてもいいと思うのだが。

 以前、横浜の元町にある中古レコード屋「バナナレコード」で買物をした際、商品と一緒にお店が作ったフリーペーパーを入れていただいた。帰りに暇だったので眺めていると、お店のスタッフの自己紹介コーナーがあった。名前に始まり、出身地や年齢、あだ名や好きな食べ物と続いて、最後に恒例の「無人島に1枚持って行くとしたら」の質問があった。そこで若いバイヤーの男の子があげていたのが、リー=モーガンの「ライブ・アット・ザ・ライトハウス」だった。

 リー=モーガンは1938年生まれの名ジャズトランペッターである。若くして頭角を顕し、名門ブルーノートでの最初のリーダー作を発表したのは1956年、なんと弱冠18才である。彼はブルーノートだけでも25枚のアルバムを残したらしいが、一番有名なのはおそらく1963年の「ザ・サイドワインダー」だろう。ジャズをあまり聴いたことがない人でも、このタイトル曲のメロディーはどこかで耳にされたことがあるはずだ。

 僕自身はそれほど熱狂的なモーガンのファンではなかった。ところがそのフリーペーパーを眺めているうちに、以前にもジャズの雑誌かなにかでモーガンの熱狂的ファンだという人が、やはり「無人島企画」でこの作品をあげていたのを思い出した。きっかけはいつもそういうものだ。僕はすぐに飲みかけのコーヒーもそこそこにお店に舞い戻り、ジャズの棚を眺めてみた。普通、中古品はそんな簡単に見つかるものではないのだが、この時はなんと奇跡的にそれに巡り会ったのだ。しかも、僕が見つけたのは、当初LPレコードで発売されたものに、後に発見されたテープから優れた演奏を全部収録したCD3枚組のセットだった。2000円と中古にしては値が張ったが、僕はためらわず購入し、また同じフリーペーパーをもらって家に帰って聴いた。

 全部で12曲、時間にして3時間もあるのだが、僕はその日だけでこれを2回聴いた。確かに凄まじい熱気に満ちた演奏だ。そのとき僕は32才、これを演奏した当時のモーガンとほぼ同じ年齢だと気づいて、「自分は何をやってるんだ」と自己嫌悪に陥ったのも覚えている。当時は恋愛で悩んでちょっと辛い時期だった。

 このCDのジャケット写真にあるモーガンは、珍しく演奏中の写真ではなく、どこか屋外で楽器片手にポーズをとっている。普通ジャズのレコードジャケットは演奏中のシーンを写したものが多く、大抵は目をつぶっていたりほっぺたを膨らませていたりと演奏に陶酔してる。だからカッコいいのだが、正直、このCDのジャケットにあるモーガンは、カッコいいかもしれないが、ある意味、ヤクザのあんちゃんのようである。コワイ。彼のアルバムにはその名も「ジゴロ」という作品があるぐらいで、たいそう女好きでモテたらしいのだ。

 ところが、この演奏の後、さらにクリエイティビティ溢れるアルバムを発表したモーガンは、1972年2月に突然この世を去る。死因はなんであったのか。なんと彼はニューヨークのクラブで演奏中、当時の愛人(common-law wife)にピストルで射殺されてしまったのである。まだ33才だった。別れ話が原因ともいわれるが、当時のエピソードの詳細について記されたものがあればぜひ知りたいものだ。それにしてもコワイ話だねぇ。

 一番好きなCDはいくつあっても構わないと思うが、やはり浮気はいけないのだ。

Blue Note Records
同サイトにあるLee MorganのBiography
Lee Morgan (Jeff Helgesen氏によるサイト)

2/15/2004

冨田勳「ホルスト:惑星」

Isao Tomita(冨田勳) / Gustav Holst:  最近、日本のヒットチャートでは平原綾香の「ジュピター」という歌が話題になっている。少し前からヒットチャートの世界はリバイバルとかカバーが流行であるが、この作品の場合もやはりカバーというのだろうか。僕はこのCDを買ってはいないが、もう既に4,5回はこの歌をフルコーラスで聴いた。テレビの歌番組で、CDショップの店頭で、そして餃子の王将でチャーハンを待つ間、等々である。J-Popのヒット曲はこちらが求めなくても、どこでも耳にすることができる。便利な世の中だ。

 クラシックの作品に歌詞をつけて歌うのはそう珍しいことではない。また彼女自身もテレビの歌番組で話していたように、もともと歌うことを前提に書かれた曲ではなく、非常に音域も広いので、歌いこなすのは相当に大変である。その点では彼女の歌唱力はなかなか見事だと思う。既にアルバムの発売も決定しているらしい。

 この「ジュピター」の原曲は、グスタフ=ホルストが1918年に発表したオーケストラのための組曲「惑星」の一部「木星」のメインテーマである。僕がこの曲を初めて聴いたのは1970年代に放映されていたテレビ番組「木曜ロードショー」のエンディングテーマだった。洋画を中心にテレビで上映する番組で、解説は確か荻昌弘氏が務められていた。木曜日だから木星という主旨だったのだと思う。当時まだ洋楽といっても映画のサウンドトラックに親しみ始めた頃で、この曲も何かの映画の音楽だと思い込んでいたら、クラシック好きだった親父から事実を教えられたのだ。

 僕にとってホルストの「惑星」といえば、カラヤンでもバーンンスタインでもなく、この冨田勳の演奏になる。「世界のトミタ」といえば、オリンピック選手かメジャーリーグかというご時世だが、彼がこの作品でその名声を確立したのは1976年のことだ。

 この作品は全編シンセサイザーの多重録音で構成されている。冨田氏は放送音楽の作曲家として活躍する傍ら、シンセサイザー研究の第一人者でもあり、当時まだ珍しかったこの楽器の普及に務めてこられた。当時いわゆる「プログレ」にはまっていた僕は、全編シンセサイザーで演奏された音楽があると聞いて、この作品のエアチェック(FM放送を録音すること)を心待ちにしたものだった。

 ホルストの太陽系は「海王星」で終わっている。そう「冥王星」がないのだ。理由は簡単で冥王星の発見は、作品の発表から12年も後の出来事だったからだ。冨田氏の演奏は、原曲にかなりのアレンジを施しているにもかかわらず、ホルストの意図をさらに高めているところが見事だ。シンセイサイザーならでは美しさで表現される金星、そして天王星と海王星は合体してふかーい神秘の世界になっている。これが彼なりの冥王星なのかもしれない。

 さらにこの作品ではいかにも彼らしいロマンチックな工夫が2つしてある。原曲では「火星」の重厚な弦楽のイントロから始まるわけだが、このアルバムはなんとロケットの打ち上げシーンからスタートする。その中で、管制官と宇宙飛行士の無線でのやりとりが出てきて、あの木星のメロディーをハモるという演出がある。曲はこのロケットの飛行とともに進行するという展開になるのだが、その木星で再びその交信が再現されるところはなんともユーモアでありロマンチックだ。それらがすべてシンセサイザーの音だけで作られているというのも、長年ラジオの仕事に携わられた冨田氏ならではのものだ。

 もう1つの工夫も木星のメロディーを使ったものだが、唯一これだけがシンセサイザーではないあるものの実際の音色を使ったものなのだが、これは実際に作品を通して体験していただきたい。それは作品の一番最初と最後に現れる。こうした発想は情報が豊かになりすぎた現代では、意外と新鮮なのかもしれない。

 かのアルバート=アインシュタインは「考える、そして跳ぶ」と語ったそうだ。冨田氏が本作を録音した当時のシンセサイザーといえば、いまから思えば電卓と最新型のパソコン位の差がある代物だった。そこで一から音を作り、それを幾重にも重ね、さらに原作者ホルストの意図と、自身の時代での宇宙への想いをはせて、この作品は誕生した。そう思い起こしてみて、簡単に手に入る情報を貪るだけの日常に、どこか反省を促された作品だった。

 平原彩香の歌でホルストの原曲に興味を持った方は少なからずいることと思う。実際、クラシック音楽売り場に足を踏み入れて購入した人もいるだろう。管弦楽オーケストラによる演奏はやっぱり重いなあ、という方は、一度この冨田氏の作品にチャレンジしてみてはいかがだろうか。

Tomita - Sound Creature
Robert Moog and the Moog synthesizer
MOOG MUSIC
Ayaka Hirahara Official Site

2/08/2004

レッド ツェッペリン「プレゼンス」

Led Zeppelin:  先日、小学校1年生からの付き合いである友人に新宿のとある店でごちそうになった。そのお店は「百舌」という。一見すると最近流行の和風ダイニングバーであるが、ちょっと面白い趣向が凝らしてある。個室のすべてにテレビとDVDプレイヤがセットされており、客は好きなソフトを持ち込んで楽しむことができるのだ。

 僕は以前からこの手のお店を待ち望んでいた。音楽仲間と飲むとき、必ず「あ〜CD聴きたいな〜」となる。以前、ジャズ仲間と四谷のジャズ喫茶で集まった際に、お店をリクエスト責めにしたことがあるが、実際他のお客もいるし、なかなか心ゆくまでとはいかない。カラオケボックスで自由にCDやDVDを持ち込んで鑑賞できれば、そこそこ部屋代を払ってもいいのになと思うのだが、業者の皆様いかがでしょうか。

 今回ごちそうになった彼とは音楽仲間でもあり、中学高校時代には一緒にレコードを聴いたり、フォークやロックのバンドを組んだりして遊んでいた。いま彼は翻訳の仕事をしている。東京方面に出てきている数少ない友人なので、年に数回は一席設けるようになっている。お互いによく飲む。話はたいてい仕事の話で始まるが、2、3杯目あたりから音楽の話になり、そのうち昔話とかが混じってきてごちゃごちゃになって、大体8杯目あたりでお開きとなる。

 その日、彼がその店で見せてくれたのが、昨年発売された「レッドツェッペリンDVD」だった。

 レッドツェッペリンは1960年代後半から、1980年まで活躍したイギリスを代表するロックグループである。いわゆるハードロックの草分けであり、同じくイギリス出身のディープパープルと人気を二分する存在だった。これは僕の個人的な意見にすぎないかもしれないが、ギターフリークを中心にロックに演奏する側からのめり込んで行った者には、ディープパープルの方が圧倒的に人気があった。多くの人は高校時代にクラスのギター小僧が演奏する「スモーク・オン・ザ・ウォータ」を耳にしたことがあるはずだ。それに対してレッドツェッペリンはロックを聴く側からのめり込んで行った人がたどり着く一つの境地というイメージがある。1970年代後半以降、ライブに集まるファン達はそれぞれにファンクラブを結成して会場で旗を掲げるなど、さながら集会というイメージであった。事実、現在でも個人ファンサイトが圧倒的に多いのがレッドツェッペリンである。

 かく言う僕も、実はあまりレッドツェッペリンにはなじみが深くはなかった。バンドフリークからツェッペリンが敬遠される理由は、僕なりに思うに以下のようなことかなと思う。

 1)ロバート=プラントの声域が素人には高すぎて歌えない
 2)ジミー=ペイジの粗暴なギターはコピーするのが難しい
 3)リズムセクションがよほどしっかりしていないと全くサマにならない(悦にも浸れない)

 つまり、個人個人の技のレベルが高い(ジミー=ペイジが上手いか下手かの議論はあるかもしれないが)うえに、グループとしての暗黙知の部分が大きすぎて、素人が気軽に真似るにはちょっと畏れ多いというわけである。今回DVDを見てあらためて強く感じたのが、ドラムのジョン=ボーナムの存在である。「リズムが基本」は当たり前なのだが、彼のドラムは力強く、器用でもあるのだが、それでもリズムがまったく揺れない、安定した心地よさ。これがあるからフロントの二人も安心して暴走できるのだろう。

 「いや〜やっぱりボーナムはエラいもんやなゃ〜」とか言いながら、千鳥足で二人でお店を後にした。他の部屋を見ると、若いカップル達がしっぽりとテレビ番組を見ながら寛いでいた。家に帰って、すぐに他のツェッペリンのDVDを取り寄せた。1975年にイギリスのアールズコートというところで行われたコンサート3時間の模様を完全に復刻したもので、音質や画質の点ではもちろん問題は多いが、ボーナムの30分以上続くドラムソロも堪能でき、またまた興奮が蘇った。いわゆる海賊盤なので大きくは紹介しないが、興味のある方は下記専門店のリンクを参考にしてみてはいかがだろうか。

 さて、DVDはちょっと高価なので、もう少し気軽にレッドツェッペリンの魅力を楽しめる作品を1枚ということで、僕があげるのはこの「プレゼンス」である。成熟したグループのライブでの魅力をそのままスタジオに持ち込んだようなストレートさがよい。ジャケットで表現されている不思議な物体とタイトルの意味するところから察するに、この作品はいまで言うところの「ユビキタス」なレッドツェッペリンということであろう。一家に一枚のハードロック(?)としてふさわしい逸品である。もちろんボーナムのドラムも全開である。

 ともかく久しぶりにロックを聴いて熱くなった。

Led Zeppelin official site
ワーナーミュージック・ジャパン-レッドツェッペリン
Joe's garage -Led Zeppelin Collecor's Page

2/02/2004

マックス=ローチ「サバイバー」

Max Roach:  川崎駅前にある中古レコード屋「トップス」にぶらりと立ち寄って購入した1枚。マニアが集まるお店では、こうした面白いものと出会えるのが楽しみだ。ずいぶんと長いキャリアを感じさせるお店だ。マスターとはまだ会話を交わしたことはないが、彼がこれまでに築き上げてきた音楽観がそのままお店の雰囲気に滲み出た、そんな感じのお店だ。

 日本人は昔から「○○ひとすじ」というのが好きらしい。ラーメンひとすじ、将棋ひとすじ、靴磨きひとすじ、編集ひとすじ、等々である。ただ、ひとすじと言っても、それを続けるのはそればかりただやってればいいというものではないだろう。時代が変わってゆくなかで、自分にできる数少ない得意技をどう輝かせるか、それは大変な努力が必要なことだ。そういう意味では、時代遅れといわれるのも、時代に媚びているといわれるのも、外から言われるのは案外同じことなのかもしれない。大切なのは、自分がなにをしたいかだろうから。他のことがやりたければそれをやるのも悪くない。ただ食い散らかしとか、器用貧乏とかにはなりたくないものだ。そして「やりたいことがない」というのも。そんなはずはないと思うのだが。豊かになるほど物事が見えにくくなり、結果として貧しくなる、これは皮肉のことだ。

 マックス=ローチは、モダンジャズの黎明期から活躍する名ドラマーである。多くのジャズの巨匠は既に世を去ったが、彼は今年で80歳になる。最近、音沙汰がないのはちょっと寂しいが、変化するジャズの歴史の中で、常に新しい自分の芸術を求め続ける姿勢は立派である。この作品は1984年の録音だから彼が60歳のときのものだ。内容は弦楽四重奏とドラムの20分を超える共演が1曲、ローチのドラムソロによる6曲という構成。そう聞くと一体どんな音楽なのかと、何とも異様に思われるかもしれないが、まったく感動的な演奏である。ローチがドラムを叩くときに思い描いているメロディーが、弦楽四重奏によって具現されていると思うと、非常に興味深く聴こえてくる。

 この作品を聴いて驚いたのは、ローチの演奏で最も有名なものの一つである、モダンジャズ全盛の1956年の銘盤、ソニー=ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」で聴かれた演奏と比べても、彼の演奏スタイルが全く変わっていないことである。彼の音楽は時代の流れのなかでまさに波瀾万丈に変化をとげていくわけだが、彼自身がドラムから離れることはなかった。彼自身はまぎれもなく「ドラムひとすじ」だったわけである。その意味でもタイトルの"Survivors"はイカしている。


Black Saint / Soul Note / DDQ
Max Roach Homepage