最近、朝会社に着いて食べる朝ごはんがこれ。
これは妻にコストコで買ってきてもらったクェイカーのシリアルに、アマゾンで買った麦こがしを大さじ一杯入れて、グラニュー糖を1グラム、そこに朝コンビニで買った無調整の豆乳200ccを入れたものです。
こういうあんまり加工されていないものは、味が淡白な分、飽きもきにくい様に思います。これで結構お腹一杯になります。グルテン過敏症の人にはちょっとしんどいと思いますけど、麦こがしはやっぱりダメなのかなあ。
そもそもの発端はいま読んでいる河口慧海の「チベット旅行記」に、この麦こがしが再三にわたって出てくること。麦こがしって?最初わからなかったのですが、調べたら「麦こがし=はったい粉」。なんだそうなのか。
チベット旅行記はやっと半分まで読み進みました。とても面白いです。まさにWill(意志)とはこういうことですね。ちょっとチベットに行ってみたくなりました。感想はまた読了後に。
「はったい粉」にはちょっと悲しい記憶があります。
小さい頃に家でもたまに母がおやつに作ってくれたことがありましたが、長屋社宅の一つ裏の棟に住んでいた一つ年上のお兄ちゃんがいて、僕が中学生にあがった頃も一緒に通学したり遊んでもらったりしていました。
そのお母さんがよくはったい粉を出してくれたのを覚えています。
ある朝、いつもの様に中学の制服に着替えて彼の家に誘いに行ったのですが、家の中には明かりが点いているのに、呼び鈴を押しても返事がありません。
ふとドアの外の隅っこに置いてあった牛乳配達用の箱に目をやると、配達された牛乳がそのままで、さらに箱の横にベージュ色の女物の靴が片一方だけ捨てる様に放ってありました。
結局、よくわからないままその日は一人で学校に行き、授業を終えて帰宅して初めて母から、そのお兄ちゃんのお母さんが亡くなったことを聞かされました。
子どもの僕にはまったくそんなことを知る由もなかったのですが、お兄ちゃんのお父さんが賭け事好きでお金のトラブルを抱えており、ずっと悩み続けたお母さんは、何かの出来事をきっかけにその日の深夜に社宅から少し離れた畑で焼身自殺を図ったのでした。
僕がその日の朝に牛乳箱の脇に見たのは彼のお母さんの靴であり、その靴の一部が黒く焦げていたことは、いまもはっきり覚えています。
その後、僕がそのお兄ちゃんと一緒に学校に行ったり遊んだりすることはなくなり、いつのまにか彼はお父さんの実家に引っ越してしまいました。
中学校は同じでしたが、彼はちょっと素行の悪いお兄ちゃんたちと一緒に行動するようになり、以来彼と話をすることはなくなり、いつしか彼も僕も中学校を卒業し、それぞれの世界に向かって行ったのです。40年前のお話。
久しぶりに「はったい粉」という言葉に触れて、朝にその味を噛みしめながら、そんなことを想い出していました。
ちなみに冒頭の写真でマグカップの隣にあるのは、1年ほど前に子どもが折り紙で作ったひまわりです。花びらの先を指で軽く弾くと独楽の様にくるくると回って、ちょっとした気分転換になります。
先日も仕事で煮詰まってパソコンの画面をぼんやり眺めながらコイツを回していたのですが、そのときふと「これってハンドスピナーだよな」と気づいたのです。
うちの子どもも誰に聞いたのか春先からハンドスピナーハンドスピナーと言い出し、いま彼の手元には3つそれがあります。楽しさはわからないでもないです。
ハンドスピナーは回転時間が長いものほど良いとされている様ですが、子どもの折り紙ハンドスピナーは10秒も続きません。だけどそれをまた指で弾くことを繰り返すことが、結構いい気の紛らわせになるものです。
麦こがしを食べながら思い出したちょっと物哀しい記憶を、子どもの作ってくれたハンドスピナーで紛らわせたのでありました。
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