50才になった。ここまで半世紀を生きた。ありがとうございます。
ちょっと前までは、多少は身構えてはいたものの、意外にあっさりとその日が来るのかなと思っていた。
だけど、いろいろと考えたり身の回りで起こることもあって、ひと月程前からこの日がくることを妙に意識するようになっていった。
最初の25年間は両親に養ってもらいながら、様々な生きる術をイチから順に習得する毎日。ご飯の食べ方や、数のかぞえ方、字の書き方、自転車の乗り方、お金の使い方、掃除のやり方、言い訳の仕方、興味の持ち方...。
次の25年はそれをちょっとずつ活かして自分なりの生き方を模索する日々だった。この間に、僕は妻と巡り会い、両親がこの世を去り、子どもを授かった。素晴らしくもあり哀しさもある四半世紀だった。
前回のろぐで「ひとつの区切り」と書いたのはこのことだった。いろいろ心配してくれた人、ありがとう。
妻が企画して連休中の2日間を、山梨県北杜市にある八ヶ岳の麓のコテージで過ごすことになった。
小淵沢から小海線(八ヶ岳高原線)に乗って清里へ。ディーゼル2両編成のこじんまりした鉄道。高原の森のなかをくねくねと走る具合は、保線が行き届いているのか驚くほど乗り心地がよかった。
コテージがある甲斐小泉駅で。
清里は以前に訪れたときから20年以上経つと思うが、駅前の街はずいぶんと荒びれた印象だった。
「おしゃれな山のリゾート」の先駆けだったと思うが所詮そういうものは長続きはしない。いまとなっては見苦しい余計な建物の残骸は早く取り壊して、八ヶ岳の素晴らしさという原点でしっかりやっていって欲しいと思う。
サンメドウズ清里からの眺め。
ゲレンデをちょっと横にそれて草花が生い茂る野原を散策。秋の虫がいっぱいいました。
滞在中お天気にはめぐまれた。2日目には東沢大橋から下を流れる川俣川の渓谷に降りて、下流にある吐竜の滝を目指すトレッキングに挑戦。
途中、道が崩れて通行止めになっていて、いったん清泉寮まで登って再び渓谷に降りるという行程になった。
この清泉寮から吐竜の滝を目指す後半のコースが思いのほか険しく一部危険な場所もあったのだが、子どもは自分の腰よりも高い段差をいくつも乗り越え、時には石づたいに急流を渡りしながら、よく頑張った。
急流に洗われる石づたいに川を渡るところでは、ママが冷たい流れに足を浸かりながら子どもの手を握ってしっかりリード。
約10キロの距離に100メートル以上の高低差を何度も登り降りした長いトレッキングだったけど、達成感は十分だった。ようやくたどり着いた吐竜の滝の素晴らしさは格別だった。
コテージでは夕食後にサプライズでお部屋にバースデーケーキが届けられ、子どもからは嬉しいお手紙も。いっしょに5本のローソクを吹き消した。ありがとう。
この日が来ることを意識して以来、自分がどう生きて行くかについて急にいろいろと考えることになった。
もちろん納得できる切りのいい答えなどはない。だけどこれについてもう少し深く取り組んで生きてみようという軸はいくつかまとめることができた様に思う。
これを機会に、ろぐのデザインなんかを少し新しくしてみた。えぬろぐは一つの区切りを超え、新しいステージでまだ続きます。
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