2/11/2014

ヘリコプター ストリング クァルテット

シュトックハウゼンの「ヘリコプター ストリング クァルテット」のことが、どういうわけだか急に気になり始め、物入れのダンボール箱にしまい込んであったCDを見つけ出してきて、iTunesに取り込み、さらにそれを愛用のiPod touchにも入れて、朝晩の通勤や自宅で何度も繰り返して聴いた。

シュトックハウゼンの音楽に出会ったのはまだ独身の頃で、彼のことを少し知る様になってすぐにこの作品の存在も知ることになった。弦楽四重奏団のメンバーを1人ずつ4機のヘリコプターに乗せて離陸し、上空で繰り広げられる演奏を地上のモニターとスピーカーで鑑賞するという奇想天外な音楽に、興味を持つなという方が無理な話である。

1999年に彼自身のレーベルから2枚組のCDがリリースされてすぐに僕もこれを買い求めた。当時はインターネットやクレジットカードを利用した受注手段を持っておらず、ファックスで注文書を送信して国際郵便為替で代金を送るというアナログな通信販売だった。1ヶ月以上それこそ首を長くして待って、ようやく届いたCDの小包を手に催した興奮はいまでもはっきりと記憶している。

初めて聴いた作品に「へぇー!」と感銘を受けたのは間違いないのだが、そのスタイルを表面的に受け入れるのが精一杯で、ヘリコプターのエンジン音とそれを模倣するかのような弦楽器の激しい演奏が、離陸から着陸までのおよそ30分間に渡って繰り広げられるということが、記憶に残っているすべてだというのが正直なところだった。

その後も何度かこれを聴くことはあったが、大抵は1度聴いておしまい、途中で止めたこともあったと思う。iPodで楽しむメニューに加えられることもなく、「あの世紀の珍曲を収録したCDをとりあえず僕は持ってるんだ」ということで満足してしまっている状況がしばらく続いたことになる。

なぜいまこの作品のことをあらためて意識する様になったのかは、ちゃんとした理由があるのだがそれについて触れるのは今回のメインではないのでやめておく。

とにかく僕は何年ぶりかでまたこの作品に向き合うことになり、そして今回は完全にその音楽としての素晴らしさに取り憑かれ、打ちのめされ、虜にされてしまったのである。作品の側からすれば15年間ひたすら待ち続けて、ようやく心を通い合わせることに成就したということだろうか。

ある作品に対して僕がこうなる時の常なのだが、この作品はこの3日間の僕のヘビーローテーションになっている。いまもこれを聴きながら書いているが、アルディッティ(弦楽四重奏団)による1995年の世界初演時のライブ録音と、その翌年のスタジオ録音、それに2012年のエリシアン(同)による3つのバージョンを、合わせて10回聴いたことになる。

アルディッティの2つの演奏は購入したCDに収録されているもの。そしてエリシアンによる演奏が、映像として作品の全編がYouTubeにHD映像で公開されている。15年前に比べれば、いまでは誰でも簡単にこの作品を望ましい手段(音と映像によるという意味で)で鑑賞することができるというのは本当に素晴らしいことである。

いずれの演奏もそれぞれに特長があるのだが、全般的にはやはりアルディッティの世界初演が感動的である。

なにせこれにはシュトックハウゼン本人による解説が冒頭にあり、演奏のミキシングも彼自身によるもので、さらには終演後の演奏者とヘリコプター操縦者、さらには会場の聴衆を交えた微笑ましいトークセッションが盛り込まれている。録音から伝わってくる臨場感がもたらす興奮という意味では、現時点では僕にとってのベストテイクである。

アルディッティによるスタジオ録音版は、初演後にこの作品の音楽性に深い感銘を受けた、アルヴィン(=アルディッティ)の強い要請で実現したもので、初演時に比べて終盤にいくつかの小節が追加されている。演奏と録音の完成度という意味では圧倒的にこのバージョンが素晴らしい。

だけど息子のサイモンがシンセサイザー等を使って再現したヘリコプターのローター音に表される「そこにヘリはいない、そして空もない」という不在感に、初演版に比べて何かもの足りなさを感じてしまうのは僕だけだろうか。

エリシアンによる一昨年の演奏は、録音の問題もあるがやはり演奏そのものの出来はアルディッティに劣ると感じる。しかしこの版の最大の強みはもちろん映像である。もう一度書いておくけど、この作品の全編をこういう形で視ることができるというだけで、とんでもなくありがたいことである。そして映像表現から知ることができるこの作品の圧倒的な存在価値、素晴らしさは、やはり形容し難い魅力なのだと思い知る。

(フルサイズ画面でヘッドフォンを使用しての鑑賞を強くお薦めします!)


特に映像左上にいるチェリスト ローラ=ムーディさんが、この演奏を心から楽しんでいる表情には、正直この作品の素晴らしさの本質が確実に心に通じたかのような気持ちが相まって、思わず涙が出てしまった。たとえが変かもしれないが、個人的にはももクロから時折受ける強い感動に通じるものがあった。

シュトックハウゼンの音楽は複雑な構成で知られるわけだが、作品(コンポジション)としては細部に至るまでしっかりとスコアに書き込まれたものであり、しっかりと通じ合えたなら彼の意図が直接的に伝わってくる。

この作品のレビューを数件見たなかで何人かの人が書いてあったことに僕も同感なのだが、これは彼の作品のなかでも聴きやすいものだと思う。理由は簡単で、一貫して流れるヘリコプターのローター音とそれに絡む弦楽演奏が、ある種のミニマル的(テクノ的と言ってもいいだろう)な曲調となって現れるからだろう。

演奏内容は、聴けば聴くほど実際のヘリコプターの平穏な飛行とは対極的な「超曲芸」の世界である。始めの頃はそこのところを本当に受けとめられるまで曲を聴きこなすことができなかった。

現在入手できる3つのバージョンは、アルディッティの初演でこの音楽の興奮に目覚め、スタジオ録音でその芸術性をさらに確実に受け止め、エリシアンの映像でその具現した様をしっかりと確認する、この流れが僕には自然だった。

常識はずれなことは多々あるが、この作品では他の弦楽四重奏では当たり前のことである、演奏中互いの存在と演奏を目や耳で感じながら合奏するという、弦楽四重奏の根本的な前提が取り除かれているということが、あらゆる特徴の原点にあることなのだと思う。

実際に4人の奏者はコンソールから等しく送られる共通のクリック信号を聴きながら演奏し、お互いの音を聴くことはできない。それ故に演奏者自身は実際に楽曲としてどのような演奏が繰り広げられているのかは、後になって記録されたものを見て初めて知ることになる。

初演のライブ録音で、演奏が終わった直後の拍手よりも、ヘリを降りて会場に演奏者と操縦士たちが姿を現した時に、彼らを迎える拍手が圧倒的に暖かいのも、そうした状況を暗に聴衆が理解したからだとさえ思う。あの拍手はなかなかの感動もので、電車の中でちょっと涙腺が緩んでしまった。

この作品についてシュトックハウゼンはある夜に実際に見た「夢」から着想を得たと語っている。これはこのうえもなく素晴らしくもあり、一方では恐ろしく身につまされる言葉だ。

輝かしい偉業の一方で、芸術を推し進める苦難や外部からの激しい誹謗や中傷を受けながらも、自身の夢を緻密に確実に実現していくということは、並大抵のことではない。弦楽四重奏曲を前提に彼以外に一体誰がこんな発想を持ち得ただろうか。これこそが妥協のない前衛であり革新というものだろう。

夢を見るだけでなく、それを実現するという意味で、これらの記録が持つ意味は計り知れないほど大きく、こんなことに比べれば僕自身の夢などほぼすべては何の意味もないものの様にかすんでしまう。

20世紀だけでなく音楽の歴史のなかでおそらくは今後も誰も越えることのできない頂点を極めた数少ない作品!必見必聴!


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