6/24/2012

鎌倉とあじさい

先週は梅雨入りしたと思ったら、季節外れの台風がやってきた。まだ6月なんだけどねえ。

雨よりも風がスゴかった。ちょうど夜寝る時間帯だったので、寝室の窓は雨戸を閉めて寝たのだけど、風が吹き付けるたびにガタガタと大きな音を立てるので、子どもが起きてしまう。結局、雨戸をあげることで静けさを取り戻すことができた。

庭に植えてあるルリマツリも、去年は秋の台風で花や葉を枯らされてしまったのだが、今回もようやく芽吹いた新芽が見事にしわしわになってしった。他にもいくつかの草木の枝葉がダメになった。

隣家の裏庭に設置してあった簡易型の自転車置き場は、強い風で数メートル下にあるアパートの敷地まで吹き飛ばされてしまった。幸い大事には至らなかった。

日曜日の今日も早朝からぱっとしない曇り空。先週行けなかったウォーキングはなんとかできた。やっぱりちゃんと運動しないとね。最近少し体重が増えたような気がする。

午前中に台風でやられた庭の掃除を二日間かけてやった。だいぶんばっさりとやって清々した気分に。大きなゴミ袋2つ分の枝葉の塊ができた。

子どもが江ノ電目当てで鎌倉に行きたいというので、あじさいの花を見物がてら出かけることに。しかし、鎌倉行きのJR横須賀線や江ノ電は超満員。毎年この季節にあじさいを見に来ているわけではないが、こんなに人出あったっけ。

江ノ電なんか団体客が多くてホームに人が溢れてしまい、満員の通勤電車並である。もう全然江ノ電らしくない。車に乗らずにやってくる人が増えているということかな。いいことだとは思うけど。

長谷寺や成就院のような名所は、もはやあじさいより人混みを見に行くような状況。みんな高そうなデジタル一眼を抱えてウロウロしている。それを避けて、比較的空いていた極楽寺を覗いてみることに。結果、十分に趣のある花の様子を楽しむことができた。以下に写真を少し。

成就院の近くにあったお宅の玄関付近にもキレイなあじさいが。やはり鎌倉である。うちもルリマツリやめてあじさい植えてみようかなあ、風雨にも強いみたいだし。
ここ2、3週間でいろいろなことが起こっているのだけど、どうもまとめて書くには無理がある。しんどい話もあればバカうれしい話もある。なんとも頭がすっきりしないねえ。ビール呑んだからどうなるというものでもないし。

(おまけ)満員の江ノ電のなかでかわいそうなので、お母さんが子どもを抱っこしたところ、満腹感も手伝って直後に爆睡。極楽寺駅のホームベンチでしばしお昼寝タイム。だいぶんお兄ちゃんになってきましたが、まあまだまだかわいいものでありやす。


6/17/2012

LOST CHILD

今回はももいろクローバーZの音楽について少し。

先週はアルバム「バトル・アンド・ロマンス」以降に発売された2つのシングル盤(「労働讃歌」と「猛烈宇宙交響曲・第7楽章『無限の愛』」)を手に入れたので、そこに収録されている6曲を通勤電車の中でよく聴いた。やっぱりももクロはイイねえ。

月末にまたシングル「Z女戦争」も発売されるとのことで、そのうち2曲はすでにPVがYouTubeで公開されている。それらも含めると9曲がメジャー盤として次のアルバムまでに世に出ることになるわけだ。

そうなると、さすがにそれらすべてが次アルバムに収録されるのではないのかなと考え、まあ買っておくかということになった。まあ要するにそれほどお気に入りだというわけでありやす。

僕はJ-Popも大好きだし、自分ではけっこうミーハーだと思っている。だけど音楽に関しては、やっぱり何かしら感じるものが必要であって、ヴィジュアルだけで満足ならCDなんかは買わない。

ももクロのことが好きだからそう感じる部分もあるのだと思うが、彼女達の歌はなかなかいい曲が多い。歌って踊る姿も含めて楽しいのはもちろんだが、音だけ聴いても結構楽しませてもらっている。

今回ご紹介したいのは「LOST CHILD」という歌。これはシングル「猛烈宇宙交響曲・第7楽章『無限の愛』」に同時収録されている曲(昔で言うB面)。シングルを購入して初めてじっくりと聴いてみたのだが、いま時点で公開されているももクロの曲のなかでは、僕が一番好きな歌である。

マイナー調でテクノ色の強いサウンドにシリアスな歌詞。笑顔で楽しく脳天気な従来の彼女達の曲イメージとは一線を画した作品に仕上がっているが、それがしっかりとももクロの音楽になっているところが、ある意味いまの彼女達の実力なのだと思う。

ももクロの音楽と言えば、前山田健一氏(ヒャダインさん)のことが何かと話題の様だ。先日もテレビ番組「情熱大陸」で同氏の特集があり、番組の前半ではももクロとの関係にも結構時間を割いて作られていた。

しかし、ももクロ作品に限らずなのだが、僕は前山田さんが現時点でそれほど突出した音楽家であるとは思わない。「J-POP界の革命児」はちょっと大袈裟ではないか。

少し成功している様に見えるものを、針小棒大に取り扱うのはイケません。正しい批判や反抗を欠いた最近の貧しいマスコミ感性の悪いところです。

あの番組を視て、逆に「ヒャダインさん、あんな風に放映されちゃっていいの?」と感じた。曲作りの手法も、番組テーマのアレンジも、特に新しさは感じなかった。敢えて言うなら「イマ風」か、でもそれもちょっと言い過ぎだよな。

まああの番組についてはご本人はもう完全に割り切っているのだろうけど。僕はちょっとだけ出て来た「ミクロコスモス」を一生懸命弾いたというヒャダインさんに期待したい。別に現代音楽やれと言ってるんじゃなくて、まだまだこんなもんじゃないでしょ、ってこと。

もちろん、ももクロの前山田作品は名曲揃いだし、「猛烈宇宙交響曲」も名作である。このユニットの特長を形作るのに少なからずの貢献をしているとは思うけど、だからといってそれらが突出しているわけではないと僕は思う。

話を戻して、この「LOST CHILD」は「ピンキー・ジョーンズ」や「天手力男」などを手がけたNARASAKI氏が作・編曲を担当、作詞は大ヴェテランの岩里祐穂氏である。前山田作品からすると、ある意味「堅実な」作品なのかもしれない。

NARASAKIさんのももクロ作品はどれも大好きだが、共通するのはオリエンタリズムである。ピンキーも天手力もインド音楽が大きくフィーチャーされているが、LOST CHILDはまたインドとは少し違う、でも東洋の節を感じる(中東とかチベットかな?)。ここが僕には結構ツボなのかなあ。

さっきも書いたけど、こういう作品をしっかりとものにしてゆくあたり、彼女達の進化を感じるわけで、それが嬉しくもある。

もちろんダンスやトークやコントもいまのアイドルには大切な要素なんだろうけど、僕は音楽が好きでももクロも好きになった人だから、やっぱり歌はしっかり大事にやって行って欲しいと思う。

参考までに、同シングル(通常盤)に収録されているもうひとつの作品「DNA狂詩曲」もなかなかいい曲ですよ。このシングルは3曲でアルバムに匹敵する世界観があり中身の濃い作品になってます。

次の「Z女戦争」と「PUSH」も含め、セカンドアルバムの様子がだんだんと想像できそうな感じになって来た。実はこの2曲については、PVだけでの感想としては、ちょっとマンネリ感が出て来てないかと心配なところもある。アルバムではひとつ意表をつくひと味を期待したいところ。

蒸し暑い日曜日となった今日から、夏のツアーが始まった。残念ながら最終日の西武ドームを除いてチケットは見事にハズレだったけど、まだしばらくももクロには期待していきますよ。


6/10/2012

4つの音韻

先週来のプチ「メセニー祭り」の結果として、僕の耳が落ち着いたのは、メセニーグループの諸作品ではなく、意外にもというかやっぱりというか、デレク=ベイリー等とのコラボレーションアルバム"The Sign of 4"だった。

80/81もそうだったが、それと同程度かそれ以上に長らく耳にすることのなかったCD3枚組のこの大(問題?)作を、まさかこのタイミングで何度も聴き返すことになろうとは。人生はわからないものである。

それでもこのCDを処分していなかったのはやはりそういうことを将来に期待していたことの証であろう。僕にとってはデレクの演奏が聴けるものはやっぱり手元に残すべき、との想いがあったのだと思う。

初めてCD3枚を(朝昼問わず)じっくり何度も聴き、これは大傑作ではないのかもしれないけど、やっぱり圧倒的な大作なんだなと感じた。

メセニーやワルティコの演奏にどうしても拍子を感じてしまう瞬間があるのが、やっぱり気になってしまうのだけど、デレクもそこらへんはお構いなしに自由にやらせてフォローするという感じ。

メセニーに偏見があるわけではないが、やっぱり一度できてしまったトレードマーク的なフレーズや音色に、何らかの理由で自ら違和感を憶えてしまったということなら、それは理解できる。

それでもこれだけの作品を残し、またオーネットとの共作も果たしながら、なぜ"Zero..."を発表したのか・・・と、どうしてもまたこの話になってしまう。よっぽど辛かったのかなあ。違う何かになりたかったのだろうか。

このアルバムでちょっと惜しいのは、すべてのトラックが4人での集団即興になっていること。それが時に単調さというかパターンのようなものを感じさせる。せっかくこれだけの才能が集まっているのだから、デュオとかトリオとかいろいろなフォーマットでの演奏も聴きたかった。

残念ながら現在は廃盤であるが、アマゾンの中古市場などでかなりのお手頃の価格で手に入れることはできるようだ。興味ある人、あるいは即興好きの人は聴いて損はない作品。今は亡きデレクの貴重な演奏記録でもある。




体力と自重

先週末の出来事を少し。

土曜日の早朝に大さん橋までウォーキング。海上保安庁の巡視船が基地に集結しているのを眺めながら、1万歩のコースを歩いてしっとりと汗をかく。まだ本格的な暑さにはほど遠いが、忍び寄る蒸し暑さのイントロは十分に感じた。

日中は子どものプール教室に妻とママ友に混じって見学。お昼は最近お気に入りの洋食屋「山田屋ホームレストラン」で。ここはホントいいお店です。ウマいヤスい。お近くにお越しの際は是非!

その後は赤レンガ広場で開催されていたイベントなどをうろうろし、妻が元町のチャーミングセールを覗いて行きたいというので、僕が寝てしまった子どもを自転車で家まで乗せて帰ることに。

子どもの入園と同時にブリヂストンの電動自転車"HYDEE.B"を買っていて、これが目下の妻の愛車になっている。それを僕が運転して元町中華街駅から港の見える丘公園に登って、外人墓地から山手通りを経て横浜根岸道路に至る道を走って帰った。

電動自転車は乗ってみるとこれは大変な発明だと感動する乗り心地なのだが、朝のウォーキングの疲れに加えて、港の見える丘公園に登る谷戸坂の勾配+眠りこけて船を漕ぐ子どもが醸し出す重心バランスの変則移動もあって、坂を上ったところで早くも両足の股が悲鳴を上げた。

しかしながら、久々に車道に出てよみがえったバイクに乗っていた時の感覚で、歩道を自転車で走るのはとても危なっかしくてやっておれず、車道の真ん中をバイクさながら山手の外車軍団に混じって疾走。路上の緊張とスリルと体力消耗でこれまで味わったことのない15分間を経験した。

いま考えれば子どもを後ろに乗せてずいぶん危ないことをしてしまったと反省なのだが、路上に出てしまった以上なんとか無事に帰らねばという思いもあった。

電動自転車の発進時の加速はそれなりのもので、信号待ちのときなどは一般的な自動車が発進する際の加速と大差ない。というかバイクに乗っていた自分でも違和感がないのである。これは本当に驚き。

だからといって調子にのってスピードを上げて行くと、あまりに軽い車体と速度のアンバランス(加えて何も知らず熟睡する子どもの揺れる大きな頭!)で、おもわず両手でハンドルを抑える。

まあなんとか家まで自転車を降りて押すことなくたどり着いたが、その時の両足の疲労と心臓の鼓動と来たら、大丈夫か?僕、という感じだった。このまま動悸がおかしくなってどうかなってしまうのではと不安になった(大袈裟ではなく)。

あらためて妻は毎日大変だなあ(まあそんなに疾走しないだろうとは思うが)ということと、自分の体力と歳を感じずにはいられなかったわけであります。

子どもは家についたらお目覚めだったが、パパの運転中に起きていたらたぶんちょっとコワかったのではないかなと思う。とりあえず今回は寝ていてくれてよかったのか。

自転車は便利だし、電動自転車はなおのことだが、坂の街での暮らしにはそれなりの体力も必要だとあらためて感じた次第。歩くのとは使う筋肉が全然違いました。




6/03/2012

パット=メセニーを巡る回想

久しぶりにメセニーの音楽をいくつかまとめて聴いた。

そもそもは10段あるCD棚の最下段左隅に入れてあった、"80/81"を思い出したように発見したことに始まる。1年以上前から子どもの絵本箱がそこを隠すように置かれるようになり、その場所は死角になっていて、しばらく顧みることがなかった。

少し前にあるCDを捜索した際にその場所に光が当てられ、そこでこれを見つけた僕には何か懐かしさからくる強い興味がわき上がった。なんせ参加メンバーがスゴいからねえ。残念ながらサックスの2人はすでにもう世を去ってしまったけど、ここにもやっぱりスゴい演奏をしっかり遺している。

これを聴くのは本当に久しぶりだった。まともに聴くのは10年ぶりくらいかもしれない。その間、僕の耳はやっぱり変わったのかな。手元に残してあったのだからもちろん好きなアルバムなんだけど、久しぶりに聴いてこんないいアルバムだったんだねえとあらためて感動してしまった。

メセニー名義のアルバムで本格的にサックスがフィーチャーされているのは、オーネットとの共作"Song X"を除けば、これが唯一の作品じゃないかな。それが結構意外なところであり、またこの作品の大きな魅力でもある。それからピアノレスだということも。

作品が録音された1980年には、既にメセニー・グループでの活動をスタートさせていた。僕はそれらの音楽も大好きだけど、あれはいわゆる「フュージョン」だと思っている。この"80/81"はもちろん「ジャズ」の作品。その内容はメセニーの音楽のエッセンスとも言える2つに分けられると思っている。

1つは冒頭の"Two Folk Songs"に代表される、アメリカン・フォーク・ミュージック。気持ちのいいアコースティックギターによるコードワークや、哀愁帯びたアルペジオに、中西部の大平原を連想させる味わい深いテーマが乗せられるスタイルだ。

そしてもう1つが表題曲"80/81"に代表されるモダン・ジャズ。これについては、僕が持っているCDにある日本語のライナーノートを書いた評論家は「ビバップのメセニー的追求」みたいなことを書いているのだけど、僕はちょっと違うと思う。これは明らかにオーネットの音楽だ。それが彼の音楽の大きな柱になっている。

2枚組のこの作品には全部で8つの曲が収められているけど、ちょうどいま書いた2つのエッセンスをベースにした音楽が4曲ずつ入っているのだと僕は思う。

フォーク・ミュージックは"Two Folk Songs"、"Bat"、"Every Day (I Thank You )"そして"Goin' Ahead"の4曲。そしてオーネット・ミュージックは"80/81"、"Turnaround"(まあこれはオーネットの曲だが)、"Open"、"Pretty Scattered"の4曲。そのいずれもが信じられないくらいの名曲名演である。

以前、"Travels"について書いた時に少し触れた、僕が感じるメセニーの音楽の変化について、今回このろぐを書くに際して、もう一度彼のこれまでのディスコグラフィーを眺めて考えてみた。(あくまでも私論だ)

1978年のメセニー・グループとしてのデビュー作以降、彼の音楽的創造性はとどまるところを知らぬ勢いで突き進むかに思えたが、僕にはそれが1990年を過ぎる頃にある種の枯渇と言うか、疲労のようなものを感じるようになったと思える。

1992年に発売された"Zero Tolerance for Silence"はそれに区切りをつける作品だったといまは思う。あれは不可解で非常に苦悩に満ちた作品だ。その苦悩は音楽的な苦悩というよりは、むしろ音楽とビジネスという狭間における苦悩だったのではないかと思う。

音楽的な内容については、それまでメセニー・グループの音楽(いわばパン-アメリカン・フォーク・フュージョン)しか聴いたことのない人にとっては、それは驚きの内容かもしれない。

しかし、先に書いたようにオーネットを師と仰ぎ、早くからそのエッセンスを様々なアルバムににじませながら、1985年には彼との共作を果たした。そればかりか、その翌年にはフリー・インプロヴィゼーションの巨匠デレク=ベイリーとの素晴らしいコラボレーション(The Sigh of 4)も発表している。

こちらはあまり知られていない作品かもしれないが、3枚組CDにデレクとのダブル・ギターにグレッグ=ベンディアンと(メセニーグループのドラマー)ポール=ワルティコのダブルパーカッションで臨んだ、濃密な即興演奏を収録した大作である。

そんなメセニーが、"Zero Tolerance..."に至るまでに、あそこに収録されたような音楽を頭に持っているのは何ら不思議でも不可解なことでもない。僕が不可解だと書いたのは、なぜあれを当時の所属レーベルであるゲフィンの様なところからリリースしたのかということだ。

あれを売らなければならなくなった当時の関係者もちょっと可哀想だし、あの作品をそれまでの信頼関係と薄っぺらなコピーに乗せられて買ってしまって被害にあった(?)人もお気の毒である。ちなみに"The Sign of 4"は事実上のインディーズレーベルから発売されたものだ(それを日本の会社が国内販売権を買って出したのには驚いたが)。

"Zero Tolerance..."は苦しい演奏だ。僕も持っているけど、僕にとっては正直とるに足らない即興演奏だ、あまりメセニーのことを悪く言うつもりはないのだけど、いまのところはそう感じる。もう十何年聴いていないけど、内容はおぼろげに憶えています。

パット自身が当時語っていた言葉も憶えているけど、なんだかなあという感じ。まあこれを発売したゲフィンの懐の深さは大したものだと思うが、そう言ってしまうとちょっとキレイ過ぎるよなあ。

あれ以降、僕にとってメセニーの音楽は失速していた。もっともメセニー・グループについて言えば、もう少し前から僕はそういう気配を感じていた。1987年の"Still Life"はいまでも信じられない大傑作と思うが、続く1989年の"Letter from Home"は残念ながらいまはもう手元にない。その次の"The Road to You"(1991年)もとりあえずは手を出したが、すぐに処分してしまった。

2000年に出たトリオ作品が僕の幻滅にとどめを刺したが、これはもうあまり語りたくはない。もちろん他にもいい作品はあるのだろうが、敢えてそれを聴かなくてもという気になってしまって、まあ別にいいかと思うようになってしまった。でも手元には本当に素晴らしい作品がいくつもある。

そのなかの1つである"80/81"を本当に久しぶりにじっくり聴いてみて、新しい感動があったのは嬉しかった。その勢いでいま手元にあるほかのものも聴いてみて、メセニーのことを(僕は彼を生で3回聴いているがそんな思い出も含めて)考えているうちに、こんなふうな整理になってしまった。あくまでも私論だ。

メセニーのことはもっといろいろ書きたいけど、今日は疲れたのでこのへんで。