4/24/2011

白髪染め狂想曲

僕は白髪である。

若白髪もいいところで、20代の後半から側頭部を中心に出始め、30歳になる頃にはすっかり白髪染めのお世話になっていた。

結婚して数年してからようやくサロンで染めてもらうようになったのだが、家を買って子どもが生まれてからは、また節約志向で自分で染めるのに戻った。

染毛剤の進化は大変なもので、久しぶりに自分で染めた時は質の高さに少し感動してしまったものだ。

しかし、やはり薬による髪の痛みは気になる。昔は太くて硬い髪質で、馴染みの美容師さんから「疲れている時間帯には来ないで欲しい」と冗談で言われたものだが、最近はずいぶん細くなった。カラーリングの薬が頭皮から吸収されて、骨髄に悪影響を及ぼすとかいう話も気にならないわけではない。

そんなこんなで、自分の年齢を考えれば、そろそろ少しずつ自然体に戻ってゆくのもいいかなと思い始めている。

かといって、いきなり染めるのをやめてしまうのはためらいがある。いまや散髪をしてゆけば、ものの3ヶ月程でほぼ全面真っ白ということになる。やはりまだちょっと抵抗がある。

そこで、髪や頭皮に優しくて、それなりに染まる何かいい白髪染めはないものかと、ネットで調べてみたところ、やはり人は皆同じことを考えるのだなということに、いまさらながら気づかされた次第である。

検索サイトで白髪染めと入力すると、やたらと目立つ商品がありそれを買って試してみたのだが、白髪染めといっても部分白髪を目立たなくするという意味であり、僕のような状況の人には向かないものであることがわかった。

あらためて感じたのは、ネットにおける広告のやや歪んだ側面。

「白髪染め」の様な特定の人だけが強い関心を持つキーワードに投資して複数のサイトを立ち上げてリンクを結べば、ネットにおけるその世界を一時的に独占できるのである。

そこにアフィリエイトというハイエナが群がることで、その世界はさらに完成されるという仕組みだ。これはある意味恐ろしいものであり、気をつけなければならないことだ。

結局、その海藻由来の成分が売りの商品をしばらく使ってみたのだが、いくら髪や頭皮に優しいといっても、白髪が目立たなくなるというよりも、髪をライトグレーに染めたのと同じ結果であることをどう受け止めるか、そんな状況を2ヶ月続けてきた。

会社では誰からも何かを言われるわけではないが、近所の子どもたちからは「髪どうしたの?」とか「人が変わったみたい」などと容赦のないコメントをズバズバ頂いている。

妻は別に気にならないと言ってくれているが、肝心の自分自身がなかなかこの状況を素直に受け入れられないでいるのは事実である。

答えは連休中にじっくり考えて出すことにしようと思う。

4/17/2011

花見の音楽

先週のろぐで書いた森林公園の桜も、この1週間のうちにかなり散ってしまった。あのとき家族とお弁当をひろげながら呑んだ紙パックのお酒の味は忘れがたいものだ。今回はそれにちなんだタイトルの作品を紹介して久しぶりに音楽の話題を。

ピアニスト、ウーヴェ=オバーグとサックス奏者エヴァン=パーカーのデュオ作品"Full Bloom"が素晴らしい。アランの店でこのアルバムを見かけ、視聴した内容がとてもよかったので購入してあったのだ。

エヴァンは相変わらずいろいろな作品にかかわっているが、近年ではECMでの諸作品で聴かれる様にかなり透明度の高い音楽を作っていることは以前にも書いたかと思う。2008年に録音されたこの作品も非常に美しい内容。時に激しく絡み合う2人のデュオだが、決して静寂の存在を忘れることはない。夜に一杯やりながら耳を傾けると何とも言えない安堵感と寛ぎをもたらしてくれる。

このウーヴェ=オバーグという人は僕にとっては初聴である。彼のウェブサイトを見てみるとドイツ出身のジャズ/フリーピアニストとのこと。音がとても美しく力強さもある演奏だ。この作品ではプリペアードピアノなども使って抑揚の効いた深い世界を描き出している。

アルバムはこれまでに何枚か出しているようだが、いま入手できそうなのは僕が調べた限りでは、本作とhatologyレーベルのレイシー作品集の2枚のようだ。近々HatHutからソロアルバムがリリースされるとのことなので、また是非購入してみたいと思っている。

公園での花見酒をもう一度とばかりに、これを聴きながらワンカップをやって、あと少し残された週末のひと時を楽しもうと思う。いい音楽ですよ、これは。

4/10/2011

ア テンポ

金曜日の夜、翻訳会社の幼馴染と「ほうちゃん」で呑もうということになり、僕の家族も交えて夕方6時過ぎから一席。妻と子は久しぶりの来店だったが、十分満足した様子。実は自粛という訳ではなかったのだが、独り暮らしの間に休みなく酒を飲んでいたので、この1週間はこの日まで酒を飲まなかった。

この旧友とうちの子どもは何度目かの対面だが、これまでのところは必ずしも相性がいいとは言えない感じだった。今回は彼の方が気を利かせてくれて、小田急ロマンスカーのオモチャをプレゼントしてくれた。功を奏して子どもは終始ご機嫌であった。まあこんなものか。

ホルモンを堪能して妻子は帰宅。僕らは程なくして次のお店「マディ」へ。マスターと3人で何の話をしたのかはあまり覚えていないが、結構呑んだ。高校時代の同窓会をせんといかんなあとか、およそありそうな話である。

土曜日はあいにくの雨模様。前日少し飲み過ぎたこともあって、午後買い物がてら少し散歩に出かけただけで、もっぱら家でごろごろしていた。

自宅の近くに個人宅でやっている天然酵母のパン屋さんがあって、そこでパンを買って少しオカズを用意して夕食にした。スーパーで安いワインを買ってまた飲む。

日曜日は朝ウォーキング。やはり気持ちいい。本牧も桜が満開だ。朝食を済ませて選挙に出かけ、そのままスーパーで少し食料を調達して根岸森林公園でお花見。桜は見事に満開で、たくさんの人が公園のあちらこちらでシートを広げていた。

お店で買った「菊正宗ピン」の180cc紙パックのやつをストローで少しずつやった。ストローで呑むのは初めての経験だったが、本当にチビチビやるには悪くない。満開の桜を前にちょうどいい気候で最高のひと時だった。

近所の子どもたちやご家族も何人か公園でお見かけした。夕方になったいまは、子どもたちが家の周囲で「ドロケイ」に興じている。ルールをめぐってああだこうだ言い合いしながらもゲームは続く。僕はそれを聞きながら植栽の手入れをする。本格的な春を迎えて芽吹きがすごい。

震災から1ヶ月。まだまだ復興には程遠い被災地や原発のことは気がかりだが、買い占めや風評避難で混乱したこの辺りの生活は、ようやく従来のペースに戻りつつあるのを感じる。

子どもが遅いお昼寝から目覚めたのでこの辺で。

4/03/2011

梅小路

2週間ほど広島に「疎開」していた妻と子どもが帰ってくることになった。さすがに広島まで迎えにいく気はなかったが、飛行機に乗せて2人だけで帰らせるのも大変だろうと思い、お互いに新幹線で移動して京都で落ち合うことにした。そこで1泊して京都の街をブラブラして、次の日に横浜まで還ってくる段取りだ。

京都駅のホームで2人を出迎える。最近鉄道に興味を持ち始めた子どもは、飛行機で移動するよりは楽しめたようだ。2週間ぶりに会った子どもは、僕のことを忘れるでもなく(当たり前か)という感じに見えたが、時間が経つに連れて僕が一緒にいることを実感してくれている様に思えた(親バカか)。

初日はホテルにチェックインする前に、円山公園のしだれ桜で有名な八坂神社に行ったのだが、肝心の桜はまだほとんど咲いておらず、しかも東山魁夷の絵で見るよりも明らかに歳をくった老木だった。おまけに境内は花見客を見込んだ出店がずらりと並んでおり、僕らはどこに来たんだっけという興醒めだけが残った。

そのままバスで銀閣寺へ。ベビーカーに妻の荷物もあって移動は大変だったが、ここはやっぱり美しかった。京都駅まで帰るバスがやたらと混雑して辟易したが。

駅前の安いホテルで和室が空いているというので、そこに宿をとった。京都は国内だけでなく世界中から観光客がやってくる街なので、宿泊施設はいろいろな種類がある。やはり小さな子どもがいる僕らには和室が最適だ。部屋にはユニットバスが付いていたが、上の階には大浴場もあり結構のんびりできた。

たかだか子どもを迎えにいくだけにしてはちょっと贅沢かなとも思ったが、子どもの2歳の誕生日もまともに祝ってあげることができなかったので、まあこのくらいはいいかと思った。夕食はホテルの向かいにある居酒屋「京都庄や」で食べた。小さな座敷を用意してくれて食事の内容も予想外に充実したものだった。

翌日は京都に行くことに決めてから思いついた蒸気機関車館で有名な梅小路公園に行ってみることにした。これが思いのほか充実したところで、結局チェックアウトしてから新幹線に乗る午後3時前までの時間を、ここで満足して過ごすことができた。京都駅の近くにこんないい場所があるとは知らなかった。

梅小路蒸気機関車館の名前はそれこそ小学生の頃から聞いていたが、実際に訪れたのは今回が初めて。子どもが電車や機関車に興味を持ち始め、おもちゃや写真を見るたびに「しゅーしゅーぽっぽ」と言っているので、実際に動く本物の蒸気機関車を見せてあげるのはいい経験になるだろうと思った。

蒸気機関車は単なるノスタルジーだけでは決してない、とても深い魅力がある機械だ。展示されている機関車はD51やC62をはじめほとんど70年以上の歳月が経過しているのだが、すべてまだ実際に動かすことができるものばかり。1日3回ある蒸気機関車の列車に試乗することができる「スチーム号」はここの名物らしい。

黒煙を煙突から立ち上らせ、いろいろなところから白い蒸気を勢いよく吹き出す様は、感情とか逞しさといったものを超えた生き物の雰囲気を感じさせる。大きな汽笛の音はまさにその命の証のように力強く空気を震わせる。感動的だった。

子どもも妻も満足だったようだ。園内の売店で昔の駅弁を思わせる弁当を買って、石炭の匂いが漂ってくる屋外で食べた。

その後は、梅小路公園内にある「朱雀の庭」と「いのちの森」に立ち寄った。京都の造園技術を結集したというだけあって、現代的な感覚にもあふれた静かで美しい庭園と森である。僕らが行った時は訪れている人も少なく、静寂の中に時折蒸気機関車の汽笛が聞こえてくるのは風情があった。

気温がかなり高めで初日はかなり暑く感じることもある陽気だったおかげで、気持ちよく過ごすことができた。京都は僕にとって住みたい場所だとは思わないが、何度でも訪れたい場所である。

こうして2週間の独り身生活は終わり、また家族3人での暮らしに戻ることができた。子どもは少しまたコミュニケーション能力が進化した様に感じた。

震災から3週間が経ち、いまだに被害の全容が判然としない状況が続いている。被災された方々のことを思うと、こんな時間を過ごすのは申し訳ないようにも思う。しかし月が替わり、年度が替わり、被災地も少しずつ本格的な復興モードに移りつつある。僕らも情勢を見守りつつ今回の震災で得た教訓を胸に、新しい復興に向けて歩み始めないといけない。

「頑張ろう、日本」の様なスローガンが巷にあふれているが、真の意味が理解されているだろうか。あれは単に被災地の復興を願うだけのものではない。もちろんそれだけでもとてつもない頑張りが必要なのだが、あの震災が日本にもたらした深い影響が実際に姿を現すのはこれからだ。

国際社会の中での日本の産業が経済が国民生活がさらに大変な状況に陥ってしまったことは、これからいやでも実感させられることになる。その意味では阪神の震災の時とは、時代はかなり変わっているところもあるのである。

口先や手先だけの頑張りでは乗り越えられない変化がやってくる。いままで見て見ぬ振りをして先送りにしてきたことをやらなければならなくなる。その意味する内容は広いと思う。

(おまけ)
朱雀の庭に植えられたパンジー

梅小路蒸気機関車館で試乗した機関車