このところ、従来にも増してまたフリー系の音楽を聴いているのだが、どうも今回は、自分の音楽に対する姿勢に大きな変化が起こっていると思う。
これだけ集中して、その手のいろいろなアーティストの演奏を聴いたことはいままでないというくらい。朝晩の通勤電車はもちろん、家に帰って寝る前のひと時もほとんど毎晩である。
フリーインプロビゼーションは以前から好きで、そういう気分になれば折々聴いていた。あまり書くべきことではないかもしれないが、こういう音楽の楽しみ方もここ数年でだいぶん自分のものになってきたし、このろぐでも時折この種の音楽に関する持論として書いてきたつもりだ。
今回、おそらくは先に紹介したヘンリー=グライムスの音楽や、デヴィッドS.ウェアのソロ演奏などを聴く様になって以降、そういう意識がさらに一段深まったように思う。そして最近では自分の音楽に対する感覚が、何か新しい段階に移行したと感じる様になった。
少し大げさに言えば、お前はこの先もうこの手の音楽だけを聴け、というお裁きが出たとしても、それを受け入れてもいいと思えるくらいなのである。
いま聴いている大半はベースによるもので、多くはソロまたはデュオである。デュオといってもベースデュオ、つまり2人のベーシストによるものが中心。かなりマニアックなものであることは認めざるを得ないが、これがかなり面白い。
ピーター=コウォルド、バール=フィリップス、ウィリアム=パーカー、ジョエル=レンドル、吉沢元治、菊地雅晃といったベースプレイヤーたちのソロやデュオアルバム。そこにデヴィッドS.ウェア、デレク=ベイリー、アンソニー=ブラクストン、スティーブ=レイシーといった人たちの音楽が絡んできている。どの演奏も僕のなかでいままで以上に深く、そして身近なところで鳴り響く。
ひとつ強く感じるのは、以前にも増して演奏する側の立場で聴く様になっているということ。ベース作品が中心になっているのはその証だと思う。
特にピーターは、自分の中でとても大きな存在になった。あたかも、若い頃にジャコで始まった僕にとってのベースのアイドルが、十数年前にデイブ(=ホランド)へと移って今日まできていたところへ、ここにきて新たにピーターにその位置を譲り渡したように感じている。
もちろんこれからもいろいろな音楽を聴くには違いないが、僕がいろいろな音楽に向かう際の立ち位置となる領域ーホームジャンルとでも言おうかーそれがいわゆるモダンジャズから「フリーミュージック」に移ってしまったのかもしれない。
ちなみに「フリーミュージック」という言葉は「無料の音楽」と受け取られそうであまり使いたくないのだが、「フリージャズ」や「フリーインプロビゼーション」は僕にとってはちょっと違和感がある。あまりぐだぐだ書いてもしょうがないか。
この状況がいつまで続くかはわからないが、興味の続く限りは自由な音楽の世界を謳歌したい。聴くだけでなく、弾くことにおいても。
0 件のコメント:
コメントを投稿