12/29/2010

自衛隊見学記

仕事の関係で参加させてもらっている政府や企業の交流会がある。研究会と称する定期的な集まりのほかに、いろいろな研修(ということにしておく)プログラムがあるのだが、先週の平日2日間を使ってそのひとつに参加させてもらった。

テーマは「自衛隊見学」なのだが、参加団体でもある防衛省の全面的なご協力のもと、通常ではあり得ない充実した内容になっている。

初日の朝は埼玉県の入間基地前に集合。そこから航空自衛隊C1輸送機に搭乗させてもらって長崎空港に飛ぶ。

初めて乗った自衛隊機。輸送機なので内部は貨物トラックのコンテナのようなもの。そこに壁に沿って通勤電車のような折りたたみ式パイプ座席がついている。当たり前だがクッションなどはない。

通常の飛行ではかなり効率性を重視した操縦をするのだろうが、今回は我々外部の人間を運ぶ事実上の旅客業務なので、離発着などは一般の旅客機と同じやり方だ。

同じ交流会で知り合った防衛省の人が、イラクに派遣された時の体験を聞いたことがあるのだが、敵の攻撃を少しでも回避するため、着陸時は滑走路上空から錐揉み旋回で降下するらしく、それはもう生きた心地がしないとのこと。少しだけ期待していたのだが、今回はまったくの安全飛行だった。

その日は、海上自衛隊の佐世保基地に入り、停泊しているイージス艦「こんごう」に乗船させてもらって、内部の見学をさせてもらう。旧日本帝国海軍の艦船を象徴する大砲や対空砲は数基しかなく、代わりに32基の発射口を備えたミサイルランチャーが艦橋の前後に1門ずつ配置されている。実際にそれらがフルに稼働する様を思うと恐ろしい。

隣接する米軍佐世保基地には、強襲揚陸艦のエセックスが入港していた。こちらはとんでもなくデカイ。艦長は戦艦大和とほぼ同程度とのこと。戦艦と駆逐艦と空母を一緒にしたようなもので、艦艇兵器としては最強の部類に属するものらしい。コワッ。

その日は佐世保市内に宿泊。夜は基地の皆さんとの懇親会が催された。詳しくは書けないが、皆さんとの会話はそれなりに楽しいものだった。

翌日は海自のヘリポートからCH47輸送ヘリに乗せてもらい、福岡にある航空自衛隊芦屋基地に向かう。初めてのヘリコプター。前後にあるエンジンの音がハンパなくけたたましい。搭乗者はイヤーパッドの装着を義務づけられる。

それでもクセナキスの電子音楽のような金属音が終始耳から脳に入ってくる。先のC1もそうだが、機には外部を確認できる最小限の窓しかない。座席はもちろん横向き。なので搭乗中はじっとうつむいて考えごとでもするしかない。それだけ精神的なタフさが求められるということだ。それを除けば40分間の飛行は快適なものだった。

芦屋基地では、空自の機構と基地についての説明を受けたあと、同地に配備されている弾道迎撃ミサイルPAC3を見学。その日まで知らなかったのだが、迎撃ミサイルは航空自衛隊の所属なのだ。あいにくの雨模様だったが、ミサイルランチャーやレーダー装着などの実機を前に、丁寧に説明を受けた。

このミサイルが稼働する時は、日本に対する他国からのミサイル攻撃が行われることを意味する。解説でうかがい知るPAC3の性能は頼もしい限りだが、実際にこれが動くことは絶対にあって欲しくない。

大村基地、芦屋基地では実際に部隊で食べられている食事をいただいた。内容は体育会系の合宿所で出されるものと似ている。同席した基地の総務課長は「これを若い隊員たちと毎日きっちり食べていたら、身体が大変なことになる」とこぼしていた。

入間への帰途はかつて民間でも活躍していたYS11の航空自衛隊配備機だった。僕は民間機で過去に2回搭乗したことがあるのだが、永久の耐久性といわれる整備が行き届いた機体での飛行は、とても快適なものだった。先の経験からかエンジン音もほとんど気にならなかった。

日の丸がつけられたYS11の翼の下方に、日本の美しい景観が次々に通り過ぎて行く。それを眺めながら今回の一連の体験を思い起こしてみて、国を護るということのいろいろな意味合いが頭の中を巡った。

それはまだ当面はなくてはならないものだし、また実際に稼働することは望まれないもの。そして、そこには大きなお金や技術、そして人間がつぎ込まれる。矛盾を嘆いても何も始まらない、人の世は不思議なものだ。


本年のろぐはこれが最後です。この1年間えぬろぐを読んでいただいて、ありがとうございます。皆さんも、よいお年をお迎えください。

平和な世の中でありますように

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