10/31/2010

バド=パウエルの芸術

手持ちのミンガス作品をいろいろと聴き回してみた。どれもいい。特にあらためて素晴らしさを認識したのは、アトランティックから出ている"Mingus at Antibes"だ。

ドルフィーを含む3管編成のフロントにミンガスとリッチモンド、絶頂期と言ってもいいノリにのった演奏が楽しめる。しかも現在は比較的安価にダウンロードやCDで簡単に入手できる。ミンガスを初めて聴くにもちょうどいい作品ではないだろうか。

このアルバムのひとつの聴きどころが、"I'll Remenber April"だ。

お馴染みのテンポでも、しっかりとミンガスのアレンジが施されたテーマで始まるのだが、ピアニストが演奏に加わっていることに気づく。そして耳覚えのある人にはクレジットを見なくとも、すぐにそれがバド=パウエルだとわかる。最初にこれを聴いたときの感動はいまも忘れない。

バドはこの日のミンガスグループのスペシャルゲストだったのだ。

ピアニストはそれぞれ個有の音色を持っている。それが楽器固有の音色を超えてしまうのだから本当に不思議だ。ここで聴かれるバドのそれも、あたかも過去の彼の名盤からそのままオーヴァーダビングしたのかと思えるくらい、そのものなのである(当たり前なのだが)。そこがまたパウエル好きにはグッとくるのだろう。しかもこの人にしてこの曲ありのものだから。

というわけで、僕の耳がしばし寄り道して、バドの作品に駆け込んだのは言うまでもない。いまは5枚のリーダー作を手元に残してある。ブルーノートの作品もいいが、やはり彼の演奏はルーストに残されたあの1枚「バド=パウエルの芸術」に尽きると思う。僕が「これを聴かずして」と思う数少ない音楽作品である。

特に素晴らしいのは言うまでもなく、最初に発表さた1947年録音の8曲。この後のすべてのジャズピアニストに大きな影響を与えたと言われる所以が、当然の様に思える。いまは1950年代以前のジャズはあまり積極的には聴かないが、もちろんこの作品は別格である。

それと結構好きなのがブルーノートの"Amazing Bud Powell Vol.3 Bud"である。「クレオパトラの…」で有名なVol.5よりも個人的には断然こちらの方がいい。前半のトリオはもちろん、後半のカーティス=フラーを加えたセッションもご機嫌だ。

うーん、やっぱりいいなあバドは。

10/24/2010

ミンガスの喜怒哀楽

前々回のろぐで取り上げたヘンリーの作品を聴いているうちに、同じ様な野太いベースの演奏をもっと聴きたくなった。そのとき心に浮かんだのはミンガスだった。

手持ちのミンガス作品を思い浮かべるとほぼ同時に、いま自分が求める音楽はこれだとばかりに主張してきたのが「ミンガス プレゼンツ ミンガス」(原題は"Charles Mingus Presents Charles Mingus")。これまでにも何度も聴いてきたが、iPodでヘビーローテーション的にじっくりと繰り返し聴いたのは初めて。

彼の音楽は玄人筋にもファンが多いが、人によってある程度好みが分かれる音楽ではないかと思う。特にこの作品はタイトルが示す通り、ミンガスの音楽が持つ重要なエッセンスを盛り込んだ代表作には違いないのだが、いろいろな評論のおかげで音楽そのものとは別の側面で語られることが多いのではないだろうか。そしてそのことが結果的に、ミンガスに対するイメージを狭くしてしまっているところがあるのではと、僕個人は感じている。

よく言われるのが、"Original Faubus Fables"に示される政治的側面だ。この楽曲は確かにミンガス音楽のそれを代表する最たるものであるが、だからといってアルバム全体のコンセプトは政治作品ではない。

それから、"What Love"の半ばで繰り広げられるミンガスとドルフィーの「対話」もよく聴きどころとして引き合いに出されるのだが、決まって、「グループ脱退を決めたドルフィーを咎める(あるいは慰留するとかいう人もいるが)ミンガスと、それを退けるドルフィー」というエピソードがまことしやかに言われる。

オリジナルのライナーノートで、プロデューサーのナット=ヘントフ自身がそう書いているので、さもありなんであり、まあ上手いことを言ったものだとは思うが、あまりそういう先入観を持たせて聴き手のイマジネーションを狭めるのは、個人的にはちょっとどうかと思う。

実際、この作品についてふれたいろいろな文章で「欧州行きを決意したドルフィーと、残留を懇願するミンガスのやりとりはあまりにも有名」とか書かれているのを見るたびに、何か虚しいものを感じる。ああいうタイトルなのだから、巷に溢れる恋のやりとりぐらいに聴いておくのがいいのではないか。

一方で、あまり語られないのが、この作品におけるグループの編成である。ジャケット写真でベースを背景にしたミンガスが、ピアノの前に座っているというのに、実際はミンガス、ドルフィー、カーソン、リッチモンドというピアノレスのクァルテットである。

この編成で収録されたミンガスの作品は、これが唯一のものらしいが、その下敷きになっているのは、収録当時のジャズシーンをにぎわせていたオーネット=コールマンのクァルテットであることはあまり知られていない。

もちろん演奏内容はコールマンの様式とはまったく異なるが、インタープレイやアドリブを大胆に織り込んだスタイルは、ミンガスの新しい時代を開くものになっている。ベースがリードするアドリブ主体の音楽というスタイルは、僕個人としてはとても共感できるところが大きい。このカッコ良さこそミンガスミュージックの醍醐味だろう。そしてそれはミンガスというベーシストにしかできないスタイルでもある。

ちなみに「フォーバス」を除く3曲のタイトルには、音楽的な意味合いがある。非常に興味深いものなので、詳しくはナットのライナー(あるいはそれをまる写したにわか評論家の解説でも)をご参照いただきたい。

それにしても4曲目の長いタイトルは、ミンガス自身が「別に深い意味はない」と語ったそうだが、音楽とは関係なしにその意味するところについてはつい考えてしまう。楽曲の冒頭でミンガスが語っている様に、この作品は「すべての母親に」献上されているのだが、もちろん答えはわからない。彼が一体どこでそんなインスピレーションを得たのかわからないが、不思議なタイトルである。

この作品が録音されてから今月20日でちょうど50周年になる。僕自身がアナログ盤を初めて買って聴いたのが25年前。そのときもそこそこは感心したが、いまこうして聴いてみて受けている感動の方が大きい様だ。

いまの僕には、4つの楽曲でミンガス自身の「喜怒哀楽」が、そっくりそのままその順番に表現されていると感じる。アルバムタイトルはまさにそういうことを意味しているのだろう。これも余計な一言かもしれないが。

ミンガスというベーシストが、僕のなかで一層大きな存在になった。

10/20/2010

胃袋騒動

会社では定期的に健康診断を実施してくれる。バリウムを飲んでの検査や心電図などを含めたいわゆる成人病健診も、30歳とか40歳とかの節目節目でやってもらえるのだが、今年から希望すれば少しの費用を負担することで、そういう節目でなくとも受診することができるようになった。

このところ急に便秘体質(いままでが快調すぎたのかもしれないが)になったり、腹部になんとなく違和感があったりという状況でもあり、知人がそういう検査を受けたという話を(呑みながらではあるが)聞くにつけ、自分も受けてみようかなと思いたち、今月の始めに受診した。

その結果が先週返って来たのだが、さすがにオールAというわけにはいかなかった。しかしそれにしても、経過観察とか要再検査とかならまだいいのだが、要精密検査となるとちょっとしたショックを受ける。それもちょうど気になっていた消化器系のところなのでなおさらである。

ということで、近所の専門病院に予約を入れて、本日仕事を休んで胃の内視鏡検査、いわゆる胃カメラを受けて来た。

数年前の成人病検査で同じ様な判定を受けてやったことがあったのだが、そのときは初めてだったこともあってか、珍しい体験をしたという記憶があるばかりで、結果がシロだったことも手伝って、さほど悪い思い出ではない。

今回も軽い気持ちで臨んだ。受診前に軽い全身麻酔で意識を鈍らせることもできるが、いかがでしょうかというお奨め(どうやらそういう「苦しくない」胃カメラがウリの様だ)を受けた。それだけ余分に費用がかかるわけだし、何より自分が何をされているのかわからないのは余計に不安だ。前回受けた際もさほど苦痛ではなかったしというのもあって、丁重にお断りした。

まあ実際にやってみると、それなりに辛いところもあった。特に管が胃と十二指腸の境目あたりの奥の方まで進んで来た時の、何とも言えない圧迫感と気持ちの悪さは、なかなかのものである。それから最後に管を抜く時の、強制的にげっぷを起こさせられる様な感覚も、やっとこれで終わりだという感覚なしにはしのび難い。麻酔の奨めをお断りしたことへの後悔も一瞬よぎる。

若干赤くなっているところがあり、強制的に組織を採取された(同意書にサインもしているしもはやあの状況では断り用もない)が、医師の所見では、とりあえずさほど心配する様なことはなく、あなた位の年齢であればこの程度の症状があるのは珍しいことではない、とのことだった。

ということで、一週間後にまた採取された組織の分析結果を聞きにいくという約束を一方的に作られてしまったが、ひとまず安心というところである。

やはり身体には気をつけないとなあという自戒は、しっかりと残った。前回のヘンリーではないが、やはり生きてこそだから。

とりあえずビールを呑みたいところだが、組織も採取したことだし、今日のところはガマンする。

10/17/2010

ヘンリー=グリムズのソロ

ヘンリー=グリムスのソロアルバム"Henry Grimes Solo"を買った。これはベースとヴァイオリンによる彼の即興演奏を2枚のCDに収録したもので、2時間半におよぶ演奏は一切編集が施されていないという。

そんな奇特な作品があると知るやどうしても気になってしまい、半ば衝動的に買った。おまえは相変わらず物好きだねと思っていただければ幸いだ。そして買ったからにはとばかりに、僕はこれまでにこれを5回通して聴いた。

一聴して、特別に心に響く様なフレーズが奏でられるわけではないし、ハッとする様な技巧が出てくるわけでもない。しかし、聴いてぐっと引き込まれる何かを持った演奏である。このエネルギーというかインスピレーションは一体どこからくるのだろうか。

彼は1960年代を中心に活躍したベーシストで、たぶん一番有名なのはアルバート=アイラー等フリージャズのシーンで活動したことだろう。ESPやインパルスなどに残された多くの作品で、彼の演奏を聴くことができる。

最近になってディスクユニオンのブログなどで彼の新作が発表されたことを知った。それはラシッド=アリとのデュオアルバムだったのだが、それによりヘンリーがまだ音楽活動を続けていること、そして正直に言うとまだ存命であったことを知ったのは驚きだった。

そして、さらなる驚きはネットで調べてわかった彼の60年代以降の経歴だ。詳細は彼自身のウェブサイトなどにあるが、かいつまんで書くと、1960年代の終わりにアメリカ西海岸をツアー中だった彼は、愛用のベースを破損し、その修理代を支払うことができないままツアーメンバー達(その中にはギタリストのアル=ジャロウもいたらしい)と別れ、それっきり消息不明となってしまったのだ。

それから40年以上経過した2002年になって、ソーシャルワーカーでジャズファンだったある人物が、一般には死んだと思われていたグリムズに関心を持ち、彼の消息を調べた結果、奇跡的にロスアンゼルスでその生存が確認される。

彼は壊れた楽器を処分して音楽の世界から去り、その後はずっといろいろな仕事をしながら安いアパートを借りて食いつなぎ、詩を書いていたりして生活していたのだ。発見された当時、30年以上前にアイラーが死んだことさえ知らなかったという。彼はベースを所有していなかったが、演奏することを切に願った。

そして、彼の偉大な過去を知る人間たちーデヴィッド=マレイ、ウィリアム=パーカー、ハミッド=ドレイク等々ーの協力により、ヘンリーは見事に音楽シーンに復活したのである。

まったく信じられない様な話ではないか。そして僕にはどこか勇気づけられるような話だ。40年間のブランクの間も、彼は音楽のことを想い続け、そして音楽によって自分が表現したいもののことを考え続けたのだ。

その想いがこの長いソロパフォーマンスに凝縮されているのだと思うと、僕はますますこの作品に親しみと尊敬を抱くようになった。想いを捨てずに生きてこそ、そんなことをしっかりと教えてくれる作品だ。

10/08/2010

街角のブランデー

金曜日の朝、ある駅で電車を降りて歩いていると、駅近くのコンビニの前で、中年の男が2人で座り込んで楽しそうに談笑している。いずれも周囲を忙しそうに歩いている出勤途中のサラリーマンとはおよそ異なるラフないでたちだが、別にホームレスとかいうわけではなさそうだ。

彼等に目線が流れたのは、あまりにも楽しそうに豪快に笑いあっていたから。地下鉄の駅も近い街角の喧騒のなかで、黙々と歩く周囲の人たちからすると、まだ陽がさしていないにもかかわらず、そこだけがそれはそれは浮いた光景だった。

僕の目を(そしておそらくは他の多くの周囲の景色に敏感な通行人の目も)釘付けにしたのは、2人の間に置かれたニッカの安いブランデーのボトルだった。そこのコンビニで買ったものなのだろう。ボトルは既に半分くらい空いていたが、赤味を帯びた琥珀色の液体が独特の存在感で輝いていた。

2人の間にあるのはボトルだけ。グラスはおろか紙コップすら見当たらない。おつまみらしいものも見当たらない。2人で替わるがわるラッパ飲みなのか、それとも、色褪せた赤いニット帽を被った男か、ほとんど描き様もないほど特徴がないネズミ色の服を着た男か、いずれかのマイボトルなのか、残念ながらそのまま過ぎざるを得ない通りすがりの僕には知ることはできなかった。

こんな街中で、ある秋の金曜日午前7時半の風景としては、久しぶりに刺激的でイカしたものだった。

それから2時間ほどたった後に、用件を済ませた僕が同じ場所を逆向きに通った時には、2人の姿はもうなかった。彼等が座っていた場所は、秋の暖かい日差しにさんさんと照らされていて、何の変哲もない場所に戻っていた。その時そこに目をとめた人間は、おそらく僕一人だけだったに違いない。

10/03/2010

「てっぱん」と「慟哭」

10月になった。気候は普通に初秋である。もちろん真夏日も熱帯夜もない。2、3日晴れては雨が降るという、この時期お馴染みの天候が続いている。

週末のウォーキングは相変わらず朝5時半に家を出ているが、ずいぶんあたりは暗くなり空気も冷たくなった。まだ半袖だが、歩き始めてしばらくすると身体がほてり、かといって汗をだらだらかくわけでもなく、ちょうどいい感じだ。朝日が昇る横浜港は格別だ。

NHKの朝の連続ドラマも新しいお話に替わった。前作「ゲゲゲの女房」は久しぶりにかなり好評だったようで、僕も最終回までほぼ毎回しっかりと楽しませてもらった。しかしながら、「ゲゲゲ・・・」に続く新しいお話「てっぱん」が、これまたとても面白そうで楽しみなのである。

主人公のあかりちゃんが明るくて元気でカワイイし、トランペットとお好み焼きを道具に、尾道と大阪という舞台で展開する設定は、僕にはとって親しみがもててとてもいい感じである。第1週目を終えて、これは毎回見逃せないなと早くも期待を寄せている。いまの僕には家族以外には貴重な平日の楽しみだ。

夜が涼しくなったこともあって、ベッドを処分して小さなテーブルとラグマットだけになった1階の寝室に布団をひいて、家族3人で寝ることにした。やはりリヴィングで寝るのと違って、寝室だなあという感じがして落ち着いて眠れる。

そして、もうひとつうれしいのは、妻が子供を寝かしつけてくれる間、僕にはリヴィングでゆっくり音楽を聴ける時間ができたこと。決して長い時間ではないが、じっくりと聴くことができると「音楽鑑賞」という、いまや使うのが小恥ずかしい言葉にも深みがでる。

こうなってくるともうやっぱり「フリーな気分」である。この手の音楽はスピーカの前で聴く方が、味わいが断然深くなる。

9月最後に買ったCDは、鈴木勲、原田依幸、トリスタン=ホンジンガーによる2009年の作品「慟哭」だった。ディスクユニオンのブログで知ったものだが、評判通りの素晴らしいセッションだった。

原田のピアノ演奏を聴くのはこの作品が初めて。非常に粒の細かいキレイな音を弾き出す人だ。鈴木の演奏は素晴らしいが、音がいまどきのピックアップサウンドなのがちょっと残念である。久しぶりに聴いたホンジンガーのチェロはさすがなものだ。

やや大袈裟なタイトルがつけられた3つのセッションが収められていて、いずれも秀逸なフリーインプロビゼーションを楽しませてくれる。こんな演奏が身近に楽しめる東京や横浜は恵まれた場所だと思う。

フリーという言葉は、最近では「カロリーフリー」とか「アルコールフリー」の様に食べ物や飲み物の成分について使われたり、「ストレスフリー」の様にやや概念的なところでも使われるが、とにかく煩わしさがない気軽さや気持ちのよさを表す言葉としての使われ方が多い。

「フリージャズ」のフリーも考えてみればまったく同じだなといういことに、あらためて気がついた。もちろん僕はいまでもそういう意味だと思っているが、フリーな演奏とはもっと気持ちよく行われるものであって、気軽にたのしめるもののはずだ。何の煩わしさからの解放かと言えば、安定や固定といったものからの逃れたいということ。新しいものとは本来そういうものだ。

一時期フリージャズに政治的な意味合いを持たせたことが、少しこの手の音楽のイメージを汚してしまったところがあるように思う。何とも残念なところである。

即興演奏をするのに極度に感情的になる必要はないし、ましてや怒る必要もない。音が大きく音数が多く旋律が複雑であれば、それは怒りの表現であるとは、あまりにも単純な解釈である。音のあり様は自由であっていいし、それが音楽の始まりでもある。部屋の隅に立ててある僕のベースが何かを待っている様な感じがする。

素晴らしい作品です。是非聴いてみてください。