7/19/2010

父と母の納骨

週末は金曜日に仕事をお休みさせてもらって4連休として、僕の実家がある和歌山に家族3人で帰った。1歳と4ヶ月になった子供にとっては初めての帰省である。

目的は、両親と祖母の納骨を京都のお寺でやるので、それに参加することと、この機会に父母それぞれの兄弟姉妹達に子供をお披露目すること、そして長らく懸案になっている実家の様子を見て、今後の処分についての算段をすることの3つである。幸い家族3人とも体調に大きな問題もなく、無事に予定を過ごすことができた。

親戚達との交流では、やはり子供が懐くのが他の人に比べて早かった。僕らが気楽に接しているので、子供にもそれが伝わるのだろう。初日の夜には母方の親戚達が、和歌山市内の料亭で宴席を持ってくれ、とてもくつろいだ一時を過ごさせてもらった。

母の兄弟姉妹3人とその家族が集まってくれたが、70歳を過ぎてなお元気に酒を飲む彼等を見ていると、うちの酒呑みはこちらの家系からなんだなと、いまさらながら実感した。

実家の方は、家の中は閉め切っていたせいで、重く澱んだ空気に少しカビ臭さが漂っていたが、特に大きな変わりはない。家の外はやはりいろいろな植物が元気に茂っていて、見た目は少し荒れた感じだった。まあ2年近く放ったらかしだったのだから、この位は仕方ないだろう。

今回は親が買い集めていたちょっとした品々の整理をして、これから家の処分に向けてどう進めて行くかを兄と話し合った。子供はあまりきれいでない空気に触れさせるのも良くないので、エアコンのかかった応接間でおやすみしてもらった。

今回、和歌山に2泊したが、実家はそんな状態なのでもはやとても泊まるわけにはいかず、市内で宿を探したのだが、限られた条件のなかで考えた結果、ウィークリーマンションを日貸ししてくれるサービスがあったので、それを利用させてもらった。ホテルに比べて部屋が広々としているので、結果的にはとても快適だった。やっぱり子連れの旅行には、床で暮らせるところがいい。

2日目の夜は兄と4人で市内の居酒屋で食事を楽しみ、子供もすっかり兄には懐いているので、のんびりじっくり酒を楽しむことができた。結構呑みましたよ。

最終日は朝から列車を乗り継いで、京都の長岡京市にあるお寺「光明寺」に向かった。

納骨をしたのは、3年前に亡くなった父と、4年前に亡くなった祖母、そして11年前に亡くなった母、という3人のお骨である。納骨というのは、なじみのない人も多いかもしれない。僕自身も初めて参加する行事だった。

一般的には今回の父のタイミングで行なうものらしい。つまり亡くなって3年間はお骨は遺族の仏壇に供えられ、いわゆる3回忌の仏事が済んでから行うものなのだそうだ。このあたり地方や宗派によっていろいろな考え方がある。

祖母のお骨については、彼女が92歳の大往生の末亡くなった翌年に、父が逝ってしまったので、父の妹たちは祖母の納骨については便宜上父と一緒にと考えた結果こうなったまでである。納骨とはそういうもののようだ。

問題は母のお骨である。11年前に亡くなった母の骨はそのまま、残された父の手元に委ねられたわけだが、母の死に際して決定的な本人の信条であることが明らかになった母の信仰の問題が、それまでの父にとっての常識的な観念であったあらゆる形での埋葬を拒んだ結果、父は結局、生きている間にその母の骨をどうすることもできないままに逝ってしまったのである。

その間の父の苦悶は、本人以外には解り様のない程に壮絶なっものであったと思う。もちろん兄や私に対しても時折そのことをくちにはしたし、死に至る病床においても時折その悩みは父の口をついて現れた。

今回、父の納骨に際して母のお骨も同じ仏教の習慣に従って施すことに関しては、両家の親族を含め、近親者の誰からも異論は出なかった。僕自身も母の信仰には多少の理解はあったつもりだが、やはりこうするのが一番いいという考えに揺らぎはなかった。

納骨の仏教的な意味合いはさておき、たとえ散骨の様な方法を選んだにせよ、残された者どもにとって現実的に意味するところはそれなりに切ないものがある。つまり亡き者の肉体に由来する最後のものを手元から放すということだからだ。

光明寺は西山浄土宗の総本山として法然上人を祀った聖地とのこと。そういう意味合いは別にしても、広大な寺の境内はひとつの神聖な場所としてとても美しいところだった。京都の市内から少し離れた長岡京という場所にあることも、父母それぞれの実家ではないという点でいい場所だ。

境内の一番奥の高みにある納骨堂の入り口まで、兄と父の妹と僕ら3人の5人で、3人の骨壺に付き添った。納骨堂の入り口に通じる長い廊下の手前で、若い僧侶がお経をあげてくれるなか最後のお焼香を済ませ、両親の骨は揃って納骨堂の奥に消えていった。

僕の子供に会ってくれた親戚たちは、みんな決まって、父や母が生きていたらどんなにか・・・という意味のことを口にしてくれた。しかし、そんなことを嘆いてもやはりどうにもならないことは変わらない。

今回の納骨にどうしても子供を連れて来たかったのは、たとえ生きた姿でなくとも、僕の父と母それぞれの肉体に由来する最後のものを見送るその機会だったからである。

父母の兄弟姉妹達に可愛がってもらい、父母が暮らした家を訪れ、そして父母のお骨がこの世で最後にたどり着く場所に納まるのを見送る。わが子にせめてそれだけのことをさせてあげることができたこの3日間は、僕にとってとても幸せで充実した毎日だった。

子供の記憶にもしっかりとこの日々のことが刻まれたと思う。

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