3/07/2010

軽い風邪のなかの「夜想曲集」

金曜日の朝早くに目覚めてみるとやたらと喉が痛い。痰がかなり喉に溜まっている感じで肩も張っている。熱はあまりなさそうだったが、このまま放っておくといつもの発熱パターンに発展するのはほぼ確実の様子だった。

トイレに起き上がってみると、会社に行けなくはない具合かなとも思った。だけど、前回のおなかの風邪—というか医者からは違うと言われたものの、あれはほぼ間違いなくノロウィルスだろう—の時は、隣の席に座っている同僚に感染させてしまったので、それは避けたかった。インフルエンザではないという確証もまだなかったし、やはり咳や痰や鼻水を出しながら出かけるのはよくないことだ。

しばらく布団の中で体調を感じて様子を見守り、結局仕事を休むことにした。本当はいけないのだが、部下2名に携帯メールで連絡をしただけで済ませてしまった。幸い熱が上がるなどの事態には至らず、家でじっとしているとさほど悪くはならずに済んだ。

地区センターでケルアックを返却した後に借りていた本を読むことにした。カズオ=イシグロの「夜想曲集—音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」。ケルアックに比べれば非常に読みやすく、時間も十分にあったので2日で読み終えてしまった。内容は悪くないと思った。同時に最近評判の小説だということもよくわかった。酒に例えるなら口当たりの良さといったことだろうか。

人が生きるうえでの意識は複雑になる一方、それを表現する手段はシンプルであることが求められる。文学のたどる路はいまそういう状況なのかなと思う。音楽も一時はそうなるかもしれなかった状況にあったのだろうが、僕が知る限りでは、現在はそうはならずに着実にその世界を深めていると思う。ただそのことを知るにはその様を自身の耳で確かめることが必要なのだが。

もしかしたら文学についても、僕が同じことを出来ないでいるからわからないだけなのかもしれない。ただひとつ言えることは音楽は容易に国境を越えて伝えられるが、文学はそうはいかないということ。この違いがそれぞれの現在の状況に少なからず影響しているのは事実だろう。

文学もこれからしばらくして(おそらくは電子書籍が普及するにつれて)急激に同じ方向に進むのかもしれない。だがもう一方で世界の言語が表現上の共通項を奥行きを同時に拡げるというのは、なかなか容易なことではないかもしれない。そしておそらくはそれを補うものとして、音楽や映像といった普遍性を持つ表現があるのだろう。だとすれば小説というものの将来はやはり厳しいということになるのだろうか。

僕も小説を書いてみたいと思ったことがこれまでにも何度かある。誰でも一生に1つは優れた小説を書くことができると誰かが言ったそうだが、それはわかる様な気がする。ベースのソロ演奏もまとめてみたいけど、何か書くのも悪くない。もちろんこのろぐもそのひとつではあるが。

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