予想通り、この1週間は明けても暮れても、前回ご紹介したエヴェンスのライヴ盤をひたすら聴きまくった。たぶん全体を通して10回は聴いたはず。そうして見ると、演奏は時を追うごとに凄みを増していくのがよくわかる。5枚目6枚目になってくると、それはそれは凄まじいエネルギーである。
ラストの"My Romance"は演奏が終わっても熱の冷めやらぬエヴァンスが、クロージングテーマで演奏する"Five"をそのまま次の演奏曲としてなだれ込んでしまい、テープが足りなくなると判断したエンジニアが、やむなくフェードアウトする様で終わる。本来なら不満の残る終わり方だが、何か「この凄まじい演奏は永遠に続きましたとさ」と思わせるようで、それさえも許せてしまう気分だ。
ここまで来ると、このトリオに対する興味は否が応でも高まる。このトリオでの他の作品といえば、過去にご紹介した"Paris Concert"の他に、死の2週間前に収録されたキーストンコーナーでのライヴ盤がある。このときの録音は2種類のCD8枚組で発売されている。しかし、僕はこのセットは買わない。
確かに聴いてみたい気はするが、既に多くのレビュー等で書かれている通り、演奏時のエヴァンスの状態はかなり悪い。当初はその中から厳選した演奏がアルバム"Consecration I, II"という2枚にわけて発売されたが、2000年以降8枚組のボックスセットが相次いで発売された。
そのことを知ったベーシストのマーク=ジョンソンは「反則だ」と叫んだという。案の定、世の中には「自らの死を予感したかのような鬼気迫る演奏が感動を呼ぶ」とかいった、宣伝文句やレビューが溢れている。僕は正直なところあまりそれを信用する気にはなれない。
こういう作品のことで僕の脳裏を横切るのは、チャーリー=パーカー絶不調時の演奏で有名な"Lover Man"とか、ディープ・パープル最後の日本公演時における、トミー=ボーリンの悲惨なギター演奏を収録したライヴ盤といったものだ。最近では少し前に触れたスタン=ゲッツの"People Time"のコンプリートセットもそうだと思う。
もう何度も書いていることだが、アーチストの意向を無視して発売された音楽には気をつけなければならない。それが死の直前の演奏だとか、ある種の苦境に苛まれている時の演奏であれ、アーチストにとって満足のいくものであれば構わないが、多くはアーチストのコントロールが及ばない状況で、権利者とある種の取引の結果として発売されるケースがほとんどである。
そして、そういう演奏を売り込む手段として、お涙ちょうだい的な文言が飾り立てられることになる。確かにその話を聞いて演奏を聴けば、そういう気持ちになることができる場合もある。そこに芸術本来のものとは別の種類の感動が生まれることも否定はしない。
しかし、確実に言えるのはそうした音楽は決して長く顧みられることはない。つまり、買った人の元でも結局は「お蔵入り」になるのである。それらはパフォーマンスでありドキュメンタリーなのだから。
ちょっと話題がそれてしまったが、僕はとりあえずこのトリオのライヴ映像を収録したDVDがあったので、それを注文することした。内容が素晴らしければまたこのろぐでご紹介したいと思う。
いまもこれを書きながらその演奏を聴いている。エヴァンスがこのトリオを当時から20年前のトリオに引けを取らないとした言葉は、ますます強く実感される。本当に素晴らしい演奏だ。来週もまだ十分楽しめるような気がする。「聴かずに死ねるか」とは、まさにこういうアルバムのことを言うのだろう。
(追記)
文中で触れたディープ・パープルのライヴアルバムは、最近になってサウンド面での問題とドキュメンタリーとしての本来の内容(往年のヒット曲ではない当時のバンド本来のレパートリー)を復元することで、一定の評価を得るものとして再発されていることを知った。しかし、それとてトミー=ボーリンの意志には反したものであることには変わりないだろう。