9/27/2009

独り音楽 独り酒

シルバーウィーク開けの2日間は、会社に行っても鉛のような時間を過ごしただけだった。

木曜日は今年からメンバーになったお役所など社外の人との交流会があり、夜には宴席までついていたのだが、まだ初顔合わせだからということもあって、同じ年頃の似た様な人が集まっているだけという印象で、つまらない酒だった。

金曜日の夜は、翻訳会社をやっている幼馴染みとその同僚と総勢3名で、新宿の丸港水産という漁港近くの居酒屋を再現した様な、海鮮居酒屋で呑んだ。粗末な木のテーブルそれぞれにカセットコンロが置いてあって、その上で注文した海産物を焼いて食べるという趣向。蛤などはそのまま火にかけ、イカや魚はホイルに包まれて出てくる。

ビールに加えてこのメンバーならではのホッピーもたくさん飲んで(一昨夏のホッピー事件の教訓からセーブはした)、話もそこそこに楽しかった。ただやはり家に帰って独りというのは気分的になんとも言えない空洞をつくる。

週末はウォーキングをしたり、最近ではめっきり食べる機会の減ったラーメンとか韓国料理(カルビー麺だったが)などを食べ、夜はもっぱら(これも久々にじっくりと)CDを聴いてウィスキーを飲んで過ごした。バルコニーで飲んでもよかったのだが、せっかくオーディオセットで音楽が聴けるので今回は部屋の中でしみじみと味わった。

先日、アランの店から届いたDMにまんまと乗っかってしまい、1981年のウッドストックジャズフェスティバルでの、チック=コリアを中心としたグループの演奏を収録したライヴ盤"The Song is You"を購入した。ディジョネットとヴィトウスをリズムに、フロントをコニッツとブラクストン、そして1曲だけメセニーが客演するという変わった内容である。

ブラクストンとコリアは合わないというのが、1970年代のユニット「サークル」での教訓だったはずなのだが、何故か両者を再び共演させて、やはり合いませんなあということを確認した様な内容になっている。

冒頭の"Impressions"ののっけから聴かれる、コリアの安っぽい不協和音の連打にブラクストンが「おい、やめろよ」とばかりに演奏を中断するくだりに、その不調和の象徴を聴くことができる。"All Blues"ではいまや化石とさえ感じられるメセニーのシンセギターもあって、いやあ古めかしいですなあという感じである。

もちろんそうした内容もこのドキュメンタリー作品の一部であって、演奏全体がしょぼいということではない。コニッツがこの手のセッションに参加するのは珍しいと思うが、このメンバーの中にあっても、あのコニッツ節はそのままでなかなか堂々たる演奏である。

試しに「サークル」分解後に、ブラクストンがコリアに代えてトロンボーンのジョージ=ルイスを入れて録音した1976年の"Quartet (Dortmund)"では、もうこれ以上はないというブラクストンミュージックの傑作を聴くことができる。

いやはや困ったことにまたCDとオーディオセットで音楽を聴く楽しみを思い出してしまったようだ。週明けからの仕事のことを考えると憂鬱で仕方ないが、とりあえず今宵は、いままで撮りためた子供の映像を眺めながら、独り寂しくせめて音楽と酒を楽しませてもらうことにしよう。

9/23/2009

初めての新幹線

子供が満6ヶ月を迎えた今週、初めて3人で妻の実家がある広島に帰省した。子供にとっては初めての新幹線を使った長旅。大丈夫だろうかと気を揉み過ぎて、新幹線乗車前の在来線に僕がカバンを忘れてしまうハプニング。車中で子供に飲ませるミルクの用意の他、デジカメやら僕の身分証、定期券などが入っていたので、かなり焦ってしまった。

幸い、新幹線車内からすぐさま鉄道会社に連絡をとったおかげで、それは無事に駅の遺失物係に届けられ、4日後に先に横浜に帰省した僕の手に戻った。

心配された新幹線の4時間、子供はかなりいい子でいてくれた。のぞみ号には11号車に多目的室というのがついており、赤ちゃん授乳などに利用できてとても便利である。途中、何度か授乳やら気を紛らわせるためにデッキやグリーン車に抱きかかえて連れて行ったりしたが、最後の10分くらいでぐずり始めた以外は、途中30分の睡眠含めとても落ち着いていてくれた。やはり自由に歩き回れる列車の旅はいい。

妻と子供は2週間を広島で過ごす。義父母は大層待ちこがれてくれていたようで、わざわざ広島駅まで出迎えに来てくれるなどもう大歓迎だった。その様子を見ているとどうしても自分の両親のことを思い出してしまうのだが、こればかりは仕方ないことだ。僕は4日間広島に滞在し、妻の実家を中心に1泊だけ実兄のマンションで過ごした。

滞在2日目の夜に、兄が妻と僕を招待して広島市内の料理屋で食事会を催してくれた。ビルの中に目立たない様に作られたいわゆる「隠れ家」的お店で、小さな個室で自慢のお刺身を始めおいしい料理を堪能し、妻も大満足だった。せっかく広島に来ていたのだから日本酒を呑めばよかったと後悔した。

子供を実家に預けるのはやや不安だったのだが、案の定その夜は妻が帰宅するまで延々と泣き続けたのだそうだ。妻の妹も含め誰が抱っこしてもダメ。挙げ句には義父が車に乗せて少し周辺を連れ回してくれたらしいが、何の効果もなかったそうである。さすがの義母もその夜はぐったりだったそうだ。

僕は3日目に少しひとりで広島市街をうろうろしてみた。だいぶんこの街の地理がわかるようになった。今回はお好み焼きはもういいやといことで、もうひとつの名物つけ麺を賞味しようと思った。平和公園の無料の無線LANサービスを使ってお店を検索し、八丁堀を少し北に外れたところにある韓国料理屋「一瑞」で食べてみることにした。

ここのつけ麺は比較的有名らしいが、ラーメンをベースにしたつけ麺とはかなり趣が異なり、真っ赤なタレにあっさりと調理された麺とレタスやキュウリ、チャーシューなどの具をつけて食べる独特のもので、僕はかなり気に入った。狭いお店を2人の韓国人のお母さんが切り盛りしていて、他のメニューもなかなか美味しそうである。また行ってみたい。

僕は4日目の朝に広島を発った。これから来週の土曜日までは横浜の自宅で独りで過ごす。何とも寂しいものだが、せっかくの機会なので自分の思う様に時間を過ごしてみたい。連休最終日の今日は市内で見つけた博多ラーメンのお店で食べたりしたが、他に特に出かけるでもなく、家でのんびりと音楽を聴いたりして過ごした。

夜はバルコニーでビールやらウィスキーをやって過ごした。広島にいる間はあまり音楽を聴く時間はなかったが、聴いたのはキースらの"Always Let Me Go"とコルトレーンの"The Complete 1961 Village Vanguard Recordings"の2つ。特に前者は、久しぶりに何度か通して聴いてみた。これは以前にも取り上げたが、キーストリオとしてではなく3人の名前をクレジットした全編オリジナルの内容。何度聴いても素晴らしい作品で、このトリオによる演奏を収録した作品の中でも1、2の出来だと思う。

2日間仕事に出たらまた週末である。体調もようやく戻りつつあるので、また朝のウォーキングを再開したいと思っている。

9/13/2009

フリーマン エチュード

さて、バルコニーのウッドデッキで夜にビールを飲みながら聴いた音楽とは、ジョン=ケージの「フリーマン エチュード」という作品。この音楽の詳細はウィキペディア(英語版)に詳しい。作品スコアの一部も掲載されており、非常に興味深いエピソードなので是非ともご一読をお勧めする。

簡単に紹介すると、曲名はケージにヴァイオリンのためのエチュードの作曲を依頼したパトロン、ベティ=フリーマンの名に由来する。ベティはこの作品をヴァイオリニストのポール=ズコフスキーに演奏してもらうことを企図し、そのポールがケージに出した作品の条件は「伝統的な記譜法によって一音ずつ記録された音楽」だった。

ケージがとった作曲スタイルは先に紹介した「エチュード オーストラルズ」と同じ、星図表に五線譜を偶然性に基づいて重ね合わせる手法(Chance Operation)だった。ケージはポールの要望に従って、得られた音列に音の長さや強弱などこまかな指示を書き込み、それを音楽として仕上げたのだが、実際に出来上がったものは極めて演奏することが難しいものとなった。

当初ケージは1巻が8つの作品からなるものを4巻作曲するつもりでいたのだが、ポールがこの作品を「演奏できない」と諦めたこともあって、実際には最初の2巻で作曲は頓挫してしまった。

最初の2巻が発表された数年後、現代音楽専門のアルディッティ弦楽四重奏団のリーダー、アーヴィン=アルディッティがこの作品に興味を示し、持ち前の超絶技巧で本作が、ケージが当初想定した通り(あるいはそれ以上に)演奏可能であることを示した上で、続編の作曲を促したことがケージの創造意欲を再びかき立てたのである。

こうして1990年に4巻すべてが完成し、アーヴィンによる初演が行われた。結果的にこの作品は、最初の2巻がベティに献上され、後半の2巻はアルディッティに献上される形になったのである。今回僕が購入したのはアメリカのモードレコードから発売されている、アーヴィンによる本作品の全曲演奏であり、CD2枚に全4巻が収録されている。

先の「エチュード オーストラルズ」を聴いてその素晴らしさに驚嘆した僕は、すぐさま本作の購入を決めてモードレコードに注文を出したのだが、同社のオーナーでプロデューサのブライアンから返って来た連絡は、残念ながらこれらの作品は現在廃盤でストックもないという意外なものだった。

ブライアンが僕にくれた提案は、マスターディスクをCD-Rにコピーしたものを安価で販売するという、インディーズレーベルならではものだった。しばらく考えた僕は彼の提案に同意したが、条件としてCDに添付されるブックレットのPDFファイルか紙のコピーをつけてくれと頼んだところ、結果的にブックレットだけは少しの余部があるということだった。

かくして、モードからは本作品ともう1枚のケージのオーケストラ作品(これもやはり廃盤だった)の3枚のCD-Rが、オリジナルのブックレット付きで送られて来たのである。CD-Rには作品のタイトルとモードの作品であることのクレジットが手書きで加えられて来た。もちろんこれらはそのまま通常のCDプレイヤーで演奏可能だ。
ヴァイオリンの技法の限界に挑んだこの音楽は、ピアノによる作品とはかなり表情が異なる。ピアノには残響を含めた複数の音の持続が可能な特徴がある一方で、ヴァイオリンの特徴はある意味ピアノとは対極的な特性を持っている。ひとつの音につけられる表情は明らかにヴァイオリンの方が豊富である。しかし、それ故に、その表現は演奏する側にもあるいは受け取る側にもかなりの幅を持つものになる。

誤解を恐れずに書くと、ピアノ(あるいはその延長にあるキーボード)による音楽が好まれる理由のひとつに、その表現上の特性としてある不安定さが少ない(ある意味での純粋さとも言える)ということがあると思う。揺らぎのない正確な音程と一定の音色があらかじめ保証されている安心感は、本来の音程から逸脱する揺らぎに対するストレス(一方でそこに例えようもない魅力があるのも事実である)から人々を解放する。

現代のピアノという楽器が持つ構造は実は極めて複雑で、先の「エチュード オーストラルズ」は音の持続性と響きという観点で、その特性をうまく使った作品になっているが、こうした特性に、実際には多くの人が気がついていない。その証拠にさらに現代化されたピアノである電子ピアノでは、そうした特性は完全に無視されている(当然のことだが、ケージのあの作品は電子ピアノでは演奏できない)。

なかなか簡潔に書くのは難しいのだが、一聴するとフリーマンエチュードは非常に表情が豊かである。しかしそれ故に、構造上ただでさえ親しみにくいこの音楽は、一層受け手に様々な揺らぎに対する寛容性を要求することになる。しかし、アーヴィンによって巧みに弾き出されるこの作品の真価はまったくもって素晴らしいものであると僕は思う。

もちろん、「オーストラルズ」が豊かでないと言っているのではない。その豊かさは音の響きという深みにあり、それを体感するにはそれなりの聴き方が必要になってくるということだ。それは一部の人には当たり前のことなのだと思うが、現代の多くの人にとっては忘れられたというかそもそも認識されていないことなのだと思う。先のろぐで僕がオーストラルズの楽しみ方として書いたものは、明らかにそういう現代的な聴き方に当たるのだと思う。

これらの音楽に少しでも興味を持たれた方は、やはりまず「オーストラルズ」を最初に聴いた方がいいと思う。ただその深い魅力を味わうには、それなりの環境でじっくりと向かい合うことが必要になる。一方の「フリーマン」は、ヴァイオリンという楽器の特性上、聞き手は否が応でも音楽の全貌にさらされることになる。あとはそれぞれの感性に従うしかない。

ところで、冒頭にあげたウィキペディアの記述の中で、アーヴィンの演奏がテンポというか速さの点において、ケージの意図を誤解しているかの表記があるが、これは個人的にはあたらないのではないかと思う。なぜならここに記録された演奏がケージ自身の監修の下に行われているからであり、ケージが作品の続編を作るに至った理由も、速さを含めたアーヴィンの技巧によるところがあったのは明らかなのだから。

実はこの週末は少し体調を崩してしまい、土曜日の早朝に目が覚めて、強い喉の痛みを感じた。久々に持病の扁桃腺炎を起こしてしまった。幸い高い熱が出るにまでは至らず、近くの病院でインフルエンザではないことも確認してもらった。いまはまだ少し熱っぽく、喉の腫れも感じられるが、症状はかなり落ち着いている。

皆様も体調に気をつけてください。来週は事情により少し更新が遅れます。

9/06/2009

ウッドデッキ

わが家の2階には南北2カ所に小さなバルコニーがある。宅地の道路に面した南側は幅がたかだか1メートル程度のもので、ここはもっぱら物干し台である。一方の北側には3畳程度のものがあって、ここは元々のプランだともう少し狭いものだったのを、少し追加でお金を払って広くしてもらった。

ここからの眺望はなかなかいい。隣地の大きな樹に視野の半分が遮られているとはいえ、ベイブリッジやマリンタワー、みなとみらいなど横浜市街が一望できる。樹も最初はせっかくの景観の邪魔かと思ったが、一緒に住んでみるとこれはこれでなかなか趣があって、結果的には気に入っている。このバルコニーは小さなわが家では数少ない自慢の(?)場所である。

このたび、そこにウッドデッキを施工してもらった。妻の仕事関係の知り合いにそういう業者の人がいて、その人に見積もりをお願いしてみたところ、なかなか魅力的な内容をそれなりのお値段でと言っていただいたので、もうこの際だとほとんど勢いで作り付けてもらうことになった次第だ。

バルコニー一面に木版を敷き詰めてもらい、壁際には収納を兼ねた小さなベンチと、鉢などが置ける小さな棚も作ってもらった。この週末はそこで朝食を食べてみることにした。まだテーブルなどもないので、電気ピアノの椅子を代わりにした。ちょうど気候が涼しくなって来たところなので風がとても気持ちよい。
ここには元々夜間用にと照明をつけてあったので、夜はひとりでそこに出てiPodを聴きながらビールやウィスキーをやってみた。思ったほど虫が飛んでくるわけでもなく、夜景を眺めながらこれまた心地よいひと時となった。外気の音に触れながらの酒と音楽は格別である。

わが家にお越しの皆様には是非ここの素晴らしさを体験していただきたいと思います。ただしお隣のバルコニーやお部屋がすぐそばなので、残念ながら夜にここで歓談することはできません。悪しからず。

バルコニーで夜に聴いた音楽については、、、また次回(笑)。