6/21/2009

父の日

6月の第3日曜日は父の日である。僕が初めて父の日を意識したのはたぶん6歳頃のことだと思う。母親の計らいで兄と2人で近所の商店にお金をにぎって赴き、父が愛用していたタバコ用の水パイプをプレゼントに買ったのを覚えている。

それ以後、父の日や母の日に贈り物をしたことはほとんどなかった。自分が親不孝な子供だったとは思っていないが。やはりいまとなってはそのことを考えるとなんとも寂しい気持ちになる。そうやってつながりを確かめようにも父や母はもういないから。

44歳の今日は僕にとって初めての父の日だった。自分が父親になってはじめての6月の第3日曜日だったということ。子供は今日で満3ヶ月になった。このところ変化が著しく、うれしいときや楽しいときにはっきりと笑顔を見せるようになったのは、ここ10日間ほどのことだったのだが、今日はそれに加えて初めて笑い声を聞かせてくれた。

目の前にあるものをしっかりと見るようになったばかりか、いつの間にかそれに手を出して触ったりするようにもなった。周囲にあるいろいろな刺激から、少しずつそれを吸収して振る舞いを身につけてゆく。


仕事は相変わらずである。先週である案件にひとつの区切りがついたのだが、それは区切りというにはあまりにも薄く細い線だった。それが自分の実力なのだと思うしかなく、実体は自分から遠ざかってゆき自分の影は薄くなる。金曜日にはボーナスが出たが、なんとなくもらうのが後ろめたい気持ちになった。

金曜日の夜、妻の会社で知り合った友人と恵比寿駅前の居酒屋「えびす村」で呑んだ。お互いの仕事の話やら音楽の話、家族の話などで楽しく時間が過ぎた。生ビールにホッピーのジョッキを次々に空け、お店の名物トンカツやホルモン炒めなどを平らげた。久々にリラックスした飲み会で満足だった。

その後、渋谷でもう一軒はしごして赤ワインを飲んで渋谷から東横線で帰ったのだが、やはりしこたま飲んで渋谷から山手まで帰るのは少々辛いものがある。ビジネスシューズが窮屈でたまらなかった。

土曜日にまた妻の友人が子供を連れて遊びに来てくれた。簡単なお昼を用意して3時間ほどを過ごしていった。2歳になる男の子が一緒だった。うちの子供があのくらいになるのはずいぶん先のようでもあり、すぐ先のことのようにも思えた。

その後、近所の家電量販店に出かけエアコンを買った。さすがに蒸し暑さが感じられるようになり、そろそろ取りつけておかないといけないなと考えていた。まだ売り場には人はまばらだった。安い買い物ではないがそこそこ満足な買い物ができた。火曜日には取り付けに来てくれるそうだ。

お店には家電とは関係のないものもいろいろ売っているのだが、妻が明日は父の日なのでウィスキーを1本買ってくれるという。お言葉に甘えて、サントリーの角瓶を1本買ってもらい、その夜はそれをロックでやった。おいしい。家で飲む久しぶりの角瓶だった。

音楽のおつまみはジャック=ディジョネットの新作「ミュージック ウィー アー」。ベースのジョン=パティトゥッチとピアノのデニーロ=ペレスらと組んだユニットによるもの。内容はいわゆるモダンジャズとは明らかに一線を画す新しいスタイルの音楽である(ジャズと呼ぶのはもはやふさわしくないと思う)。聴き所は新旧2つのジャズの偉業に捧げられた最後の2曲、"Ode to MJQ"と"Michael"である。

全般的にキースのトリオにも通じるアプローチの作品だが、役者が異なるだけに面白い結果になっている。よくよく考えてみるとタイトルがスゴい、そしてうらやましい。自分の証を残したいと思うのは人間の本能なのかどうか、いまの自分にはわからないが、本来は意味のない(なかった)人生に、意味を持たせるべく時間を過ごすのが人の生きる道だということは間違いない。

0 件のコメント: