6/28/2009

クリムゾン週間

キングクリムゾンのライヴを収録したボックスセットをずっとCDラックの上に置きっぱなしにしてあった。実はこのボックスは引越しする前からこの状態になっていて、引越しに際していったん他のすべてのCDとともに段ボールに収納され、新居でラックに残されるか、段ボールのまま収納のなかでしばらく過ごすことになるかの、厳しい選抜があったにもかかわらず、果たしてまた前と同じくラックの上で「ペンディング」状態になったのである。

前に住んでいたアパートでいつ頃からそうなっていたのかは覚えていないが、理由は容易に目星がつく。単にiPodに収録できる形式に変換しようと思ったのだが、4枚まとめて作業しなければならないのでやりそびれているうちに、僕の耳が求める旬の時期を逃してしまったということだろうと思う。そして、次にCDを入れ替える作業をする際にも、箱が大きいのでなかなかいい収納場所が見つからないまま、結局その場に抑留される結果になったのだ。

引越しの時はともかく段ボールに収納しないわけにはいかなかったので、他の何かと一緒になったのだろうが、いざ新居で整理を終えてみると結局また同じ場所に戻っていた。とにかく僕の頭の中ではここ数年不思議な位置づけになってきたCDなのである。それをようやく意を決してiPodに入れて聴くことにした。僕をその気にさせたものが何であるか、自分にはよくわかっている。

意外にもこのろぐでクリムゾンの作品を取り上げるのは今回が初めてのようだ。

僕にとってのクリムゾンは1974年の解散までのもので、1980年代以降のいわゆる「新生クリムゾン」は同名異グループだと思っている。クリムゾンには2つのライヴ盤を含む9枚の公式アルバムがあるが、僕が未だに魅了され続けるのは、1973〜1974年にかけてリリースされた最後の3つのアルバム、"Red", "Starless and Bible Black", "Lark's Tongues in Aspic"だ。多くの人がクリムゾンの最高傑作としてあげるファーストアルバムについては、僕のなかではそれらに次ぐ作品という位置づけで、「永遠の旋律」として名高いアルバムタイトル曲にもいまはもう残念ながら飽きてしまった。

僕にとって一番のお気に入りは何と言っても、彼らの最後のトラック「スターレス」である。小学生のときに渋谷陽一氏のFM番組で初めて聴いて以来、もう何度聴いたかわからないが、この作品のスゴさを自分なりに理解したのはもう少し大きくなってからだったと思う。

これ以上の陰鬱さがあるかというイントロに続いて意味深な歌詞が歌われた後、まるでお化け屋敷に連れ込まれたかの様なフリップのモノトーン連弾きが続く中間部で、暗闇のなかでエネルギーが少しずつ大きくなりやがてそれは別の世界に向けて一気に流れ出す。そして曲の冒頭から10分を経過して、これまでの旋律が再現されながら最後には冒頭の陰鬱な旋律が巨大な暗黒の力となって聴くものの感性いっぱいに迫ってくる。この展開はもはや鳥肌を超えて失禁の境地であり、個人的にはピンクフロイドの「狂気」の40分間に匹敵するものだと信じている。

"The Great Deceiver"と題された4枚組のライヴアルバムは、残念ながら現在は廃盤になっているようだが、時折中古CD屋さんで見かけることはある。海賊盤の横行に業を煮やしたロバート=フリップが1992年にリリースを決意した1973〜1974年のキングクリムゾンのライヴパフォーマンスを集めたもの。そしてこの作品は見事に僕の心に作用した。ハマった時の常であるが、なにせこの1週間というもの、僕はこれ以外の音楽をほとんど聴かなかったのだから。たぶん4枚合計5時間の演奏を4回は通して聴いたと思う。あらためて大変な内容のセットだなと感服した次第である。

個人的にはロックやジャズのコピーをバンドで演奏するというのはもうやりたくないと思っているのだが、僕が唯一それなりのメンバーとバンドで演奏してみたいと思っているのは、この時期のクリムゾンの作品である。かなり細かく書き込まれた作品も、集団即興の作品もどちらもやってみたいと思っている。もちろんCDに記録された演奏をそのまま再現などというのはご免だが。どなたか一緒にやりませんかねえ。

6/21/2009

父の日

6月の第3日曜日は父の日である。僕が初めて父の日を意識したのはたぶん6歳頃のことだと思う。母親の計らいで兄と2人で近所の商店にお金をにぎって赴き、父が愛用していたタバコ用の水パイプをプレゼントに買ったのを覚えている。

それ以後、父の日や母の日に贈り物をしたことはほとんどなかった。自分が親不孝な子供だったとは思っていないが。やはりいまとなってはそのことを考えるとなんとも寂しい気持ちになる。そうやってつながりを確かめようにも父や母はもういないから。

44歳の今日は僕にとって初めての父の日だった。自分が父親になってはじめての6月の第3日曜日だったということ。子供は今日で満3ヶ月になった。このところ変化が著しく、うれしいときや楽しいときにはっきりと笑顔を見せるようになったのは、ここ10日間ほどのことだったのだが、今日はそれに加えて初めて笑い声を聞かせてくれた。

目の前にあるものをしっかりと見るようになったばかりか、いつの間にかそれに手を出して触ったりするようにもなった。周囲にあるいろいろな刺激から、少しずつそれを吸収して振る舞いを身につけてゆく。


仕事は相変わらずである。先週である案件にひとつの区切りがついたのだが、それは区切りというにはあまりにも薄く細い線だった。それが自分の実力なのだと思うしかなく、実体は自分から遠ざかってゆき自分の影は薄くなる。金曜日にはボーナスが出たが、なんとなくもらうのが後ろめたい気持ちになった。

金曜日の夜、妻の会社で知り合った友人と恵比寿駅前の居酒屋「えびす村」で呑んだ。お互いの仕事の話やら音楽の話、家族の話などで楽しく時間が過ぎた。生ビールにホッピーのジョッキを次々に空け、お店の名物トンカツやホルモン炒めなどを平らげた。久々にリラックスした飲み会で満足だった。

その後、渋谷でもう一軒はしごして赤ワインを飲んで渋谷から東横線で帰ったのだが、やはりしこたま飲んで渋谷から山手まで帰るのは少々辛いものがある。ビジネスシューズが窮屈でたまらなかった。

土曜日にまた妻の友人が子供を連れて遊びに来てくれた。簡単なお昼を用意して3時間ほどを過ごしていった。2歳になる男の子が一緒だった。うちの子供があのくらいになるのはずいぶん先のようでもあり、すぐ先のことのようにも思えた。

その後、近所の家電量販店に出かけエアコンを買った。さすがに蒸し暑さが感じられるようになり、そろそろ取りつけておかないといけないなと考えていた。まだ売り場には人はまばらだった。安い買い物ではないがそこそこ満足な買い物ができた。火曜日には取り付けに来てくれるそうだ。

お店には家電とは関係のないものもいろいろ売っているのだが、妻が明日は父の日なのでウィスキーを1本買ってくれるという。お言葉に甘えて、サントリーの角瓶を1本買ってもらい、その夜はそれをロックでやった。おいしい。家で飲む久しぶりの角瓶だった。

音楽のおつまみはジャック=ディジョネットの新作「ミュージック ウィー アー」。ベースのジョン=パティトゥッチとピアノのデニーロ=ペレスらと組んだユニットによるもの。内容はいわゆるモダンジャズとは明らかに一線を画す新しいスタイルの音楽である(ジャズと呼ぶのはもはやふさわしくないと思う)。聴き所は新旧2つのジャズの偉業に捧げられた最後の2曲、"Ode to MJQ"と"Michael"である。

全般的にキースのトリオにも通じるアプローチの作品だが、役者が異なるだけに面白い結果になっている。よくよく考えてみるとタイトルがスゴい、そしてうらやましい。自分の証を残したいと思うのは人間の本能なのかどうか、いまの自分にはわからないが、本来は意味のない(なかった)人生に、意味を持たせるべく時間を過ごすのが人の生きる道だということは間違いない。

6/14/2009

スタンド!

子供は順調に育ってくれている。表情が豊かになっているのは、感情が豊かになっていることでもある。最近はいい笑顔を見せてくれるようになり、その分よく泣くようにもなった。その訳を十分に知る由はないのだが、眠いとかお腹がすいているという単純なものではないらしい。そんな様子だからこそ泣かれる側も切なくなるのかもしれない。

最近、妻が授乳のことで少し気を揉んでいる。これは男親があまりとやかく言う性格のものではないと思うが、子供を母乳だけで育てるか、ミルクの助けを借りるのかというのは単純な択一問題ではないようだ。ネット上で検索するとそれはそれはたくさんの主義主張やら悩みの相談があふれているし、書店に行ってみても実に多くの書籍があることがその証である。

以前にも書いた通り、僕は本屋さんが苦手だ。本のタイトルや帯に書かれた宣伝文句などが、歓楽街の客引きのようにまとわりついてくるように感じる。仕方なく入ることがあったとしても、なるべく写真ばかりが載ってそうなものをぱらぱらと見てその場を凌ごうとするのだが、たいていそれは無駄な抵抗に終わり、僕は入ったことを後悔しながらさっさとお店を後にする。

本を読むのはできればやっぱり文学作品だけにしたい。最近は仕事が難しくなって来ているので、少し勉強もしなければいけないと思うのだが、どうも経営とか会計の本は近寄りがたいし、ましてやいわゆるビジネス書の類いはほとんど資源の無駄ではないかと思える。経営も子育てもそれだけ悩み深いものであるがゆえに、いろいろな指南がこの世に存在するのだろうが。

iPod touch用のアプリで青空文庫を読むためのものがいくつかあり、その中のひとつを購入して使っている。青空文庫はご存知の通り日本の文学史上の名作を中心にしたオープン型の文学全集である。

作品の中には文体や思想に関する時代的な特徴もあって、必ずしも取っ付きやすいものばかりではないが、自分好みの作家の作品が手軽にしかもタダで読めるので、通勤電車のなかで音楽を聴きながら読んでみるのは悪くない。

電子書籍と言われると、うーんと構えてしまうこともあったが、実際に使ってみるとこれがなかなかいけるものだ。まだ長編は試していないが、芥川龍之介とか太宰治の未完の作品とか、中原中也の詩集とか、そういったものを思いつくままに楽しんでいる。とても新鮮な気持ちになる。いま話題の村上春樹の新作もこれで読めたらいいのになあと思うのだが。

先週、仕事で疲れた帰りの電車の中でどういうわけか中島敦の「山月記」を読んだ。なぜこれを読む気になったのかはわからないが、高校時代に教科書で習ったことがあり僕には強く印象に残っていた。電車に乗っている40分ほどの時間でさっと読んでみて、それは心のかなり奥深いところに響いた。やはり文学はいい。

それにしても自分が聴いている音楽を再生しているのと同じ機械で本を読めてしまう。飽きたら安室奈美恵のビデオクリップを観ることもできて、お小遣い帳にもなるのだから、やっぱりこれはスゴいことである。

先週に続いて、また週末に一組の来客があった。妻の仕事仲間の女性3人組。スパークリングワインを2本と缶ビールにいろいろな食材を持ってやって来て、うちの子供を代わる代わる抱っこしたり、写真を撮ったりして無邪気にはしゃぎ、酔い覚ましに近所の公園まで散歩に出かけてバスで帰るのを見送った。楽しいひとときだった。しかし昼間にワインを飲むのは時に調子が狂う。

最近話題のピアニスト、エリック=リードの新作「スタンド!」をようやく入手。

前に彼の作品「ヒア」を取り上げたのがちょうど3年前のことだと知って、ちょっと驚きもした。あれも素晴らしいピアノトリオ作品だったが、今回の作品も評判通りの強力な内容である。まだ2回しか聴いていないので詳しいコメントは控えるが、冒頭のタイトル曲の弾き始めから、なんとも贅沢な凄みが滲み出てきて、ちょっと身震いすら覚える。

これはもう明日からしばらく通勤時のヘビーローテーションは確実。ずっしりとしたスゴさを感じさせるピアノを聴きたい方は是非!

6/07/2009

フィクション

暑い日曜日となった今日、2組の家族が午前と午後に我が家を訪問してくれた。いずれの家族も直接的には妻の知り合いなのだが、僕もそれぞれのご主人には以前から面識があった。午前に来てくれたのは、妻が勤める会社で契約しているカメラマンのファミリーで、いまの家から比較的近いところに住んでいる。

ご夫婦は僕らよりも年上で、10歳くらいのお嬢さんがいる。さすがにカメラマンだけあって、我が家に着くなり、すぐさま愛用のキヤノンの一眼レフを取り出し(レンズが大きな明るいズームレンズが装着されている)、うちの子供を中心にパシャパシャと写真を撮ってくれる。相手とコミュニケーションを図りながら躊躇なく次々とシャッターを切り続ける、それが人物撮影の極意だということを目の前で示してくれた。

娘さんは奥様がうちの妻と同じ年に産まれたらしい。3年ほど前にご自宅を訪問した際には、まだ幼い感じだったが、今日会ってみると10歳前後とはいえ、もうお姉さんの雰囲気が感じられるようになっていた。なんでも社交ダンスが特技だそうで、その年齢層では全国大会で順位を争うほどのものらしい。

午後からは、僕の職場の同僚で大学の後輩に当たる男の家族がやってきた。実は妻同志が同じ会社の同じ職場で大の仲良しで、今回の訪問もそちらの縁で話がまとまった。こちらは小学校低学年と4歳になる姉妹が子供にいる。彼女達に会うのは僕は初めてだった。

最初はおとなしくしていた2人だが、まあ基本的にはじっと座っているはずもなく、用意したお菓子や果物を平らげた後は、子供と遊んだり親のiPhoneでゲームをしたりと思い思いに遊び始め、帰る頃には我が家のリビングを走り回って、最後には妹がダイニングのベンチから床に転落してあわやというハプニングになった。幸い大事には至らず、涙を見せることもなく元気に帰って行った。

妻が妊娠したことがわかったとき、僕は女の子だったらどうだろうかと思ったこともある。それはちょっとした願望程度のもので、本当のところはどちらでもよかったし、実際に産まれてくると、そのことはますます重要ではないんだなと確信した。

今日はたまたま3人の女の子が我が家に来てくれた。みんなかわいいしそれぞれに個性的である。だからといって、ああうちにも女の子が欲しいなあとは思わない自分に後から気がついた。そしてもちろんそれは女の子がいたらいたでそれなりに逆のことを考えるのだろう。

引越してからFMラジオをたまに聴いている。そのなかで安室奈美恵の音楽をいくつか耳にする機会があった。巷ではかなりの評判になっているようで、僕もずっと気にしていたのだが、遅まきながら実際に音楽を聴いて、やっぱりこれはいいなと思ったので、昨年発売されたDVD付きのベスト盤「ベスト フィクション」をアマゾンマーケットプレースで取り寄せた。

噂通り内容は素晴らしいものだった。音楽も素晴らしいがやはりダンスを交えた映像が圧倒的なDVDは非常に素晴らしい。邦人アーチストのプロモビデオは、時に見ている方が恥ずかしくなってくるようなものも多いが、このアルバムのDVDは収録曲全曲のPVが収録されていて、それぞれに見応え十分だった。自分の信じた道を一貫して進むのは大切なことだと改めて教えられた。

ひとつ残念だったのはDVDの画質。これはもともと収録された映像のクオリティが云々ということではなく、DVDという規格の問題である。引越ししてテレビを買い替え、デジタル放送でハイビジョンのクオリティを観てしまうと、それがニュース映像やくだらないバラエティ番組であれ、やはり映像の質の高さに目が慣れてしまう。

その点、DVDはもはやかつてのVHSレベルでしかないように見えてしまう。幸い僕はそれほどたくさんのDVDを買い集めてはいないが、やはりお気に入りの作品については、できれば新しい規格のもので再発して欲しいし、この作品もそういうフォーマットで発売されるなら観てみたいと思った。