今日、妻と外出しているときに、また突然にある音楽が頭の中によみがえって何度も繰り返された。それはずっと昔、僕が小学生か中学生の頃に聴いていた深夜放送の主題歌で、大阪の朝日放送ラジオの人気番組だった「ABCヤングリクエスト」のテーマだった。もう30年以上も前の記憶である。
なぜこれが突然頭に鳴り始めたのか僕にはわからない。こういうときにいつもそうであるように、急に何か引き出しの様なものが開いてその音楽がひゅっと姿を現す。僕はその歌をほとんどそらで歌うことが出来るのだが、途中に「聞きましょう、夢のリクエスト」という部分があって、そこの雰囲気を思い出すと思わずグッときてしまった。
Wikipediaによるとこの主題歌は20年間続いた番組のなかで、何人ものアーチストに引き継がれて歌われたらしい。僕の記憶にあるのは2代目の岡本リサによるもののようだ。家に帰ってネットで調べてみると、もう二度と聴くことは出来ないと思っていたその歌が、なんとニコ動にアップされていた。(初代の奥村チヨのバージョンに続く2曲目の方である)
これには本当に驚いた。いまこれを書きながらその歌を久しぶりに耳にしている。うーんやっぱりちょっと涙腺がうるうるきますなあ。このストリングスとホーンの感じが、僕の深夜ラジオのイメージそのものである。なんとも懐かしい。その頃住んでいた社宅部屋の様子や、古いナショナルのラジオのこととか、隣の部屋で寝ていた父や母のことまでが思い出される。
歌詞にまつわるエピソードはウィキを読んで初めて知った。そしてメロディーを書いたキダ=タローさんはやはり偉大な人である。
もうすぐ2008年も終わりである。無事に仕事納めもすませ、今年は9日間の年末年始休暇である。しばらく家を空けて妻とそれぞれのふるさとに帰省する。前にも書いたように、これから年末は居場所を転々とすることになる。体調に気をつけつついろいろな人との交流を楽しみたいと思っている。
2009年は僕にとって人生の大きな節目を迎える年になるだろう。そのことを考えると、自分がいままで生きてきたことを、少し振り返ってみようかなという気になっている。年末に自分の実家に帰って、僕が学生時代を過ごした場所を巡ってみようというのも、少しそうしたことを意識しているからかもしれない。急にヤングリクエストの音楽がよみがえってきたのも、何かそういうつながりなのかもしれない。
さて、今回でこのえぬろぐはまる5年を経過することになる。僕がなぜこれをここまで続けてこられているのか、音楽が好きというのももちろんだが、やはりこうして何かを言葉にしたため、「表現する」ということが好きというのが一番の理由なのだろう。
このろぐはこういう調子で来年以降も続けて行きたい。運営しているGoogleのシステムの都合で、年明け早々には少しサイトのリニューアルを行うことになりそうだが、それについてはまたあらためてお知らせしたいと思う。
ここまで5年間の書き散らかしを読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。これからもたまに覗きに来ていただければうれしいです。
では皆さん、よいお年を。
(追伸)ABCヤングリクエストのテーマソングはニコ動と同じものをYouTubeでも聴くことができますよ。
12/23/2008
天空 曇りのち晴れ
このところ職場の人間的なことでちょっとしたトラブルがあり、それに少々手を焼いていた。上司や同僚などとも対応を話し合っていたのだが、皆頭を抱えるばかりという状況だった。そんななか先週のある日に僕は気分転換もかねて、たまたま申し込んであったセミナーに参加した。
ところが思いもかけず、そのセミナーの内容から悩みに対するひとつの対処法が突然もたらされたのである。具体的な内容は書かないが、何とも不思議な偶然を感じずにはいられなかった。もちろんそれを知ったところで実質的な業務上の課題解決にはならないのだが、少なくとも閉塞的な悩みに客観性が加わることで、気分的にはずいぶん楽になった様な気がする。
朝、渋谷のセミナー会場に向かう気分は今ひとつもやもやしていたのだが、お昼前に会場を後にするときの気分は、その日の冬空同様晴れ晴れとしていた。気分が良くなった僕は、会社がある田町駅で降りて少し早いお昼を少し以前に友達から教えてもらったつけ麺ラーメン屋「天空」で食べた。
ここのつけ麺は旨い。昼時は混雑していて早い時間から店内にかなりの行列ができるのが難点だが、それでも並ぶ価値は十分にあると思う。この日は初めてつけ麺の大盛りを食べてしまった。相当な分量だと思ったのだが、心地よい満腹感であった。
さて、前回のろぐで触れたマーシュ、コニッツ、エヴァンス等によるハーフノートでのライヴ作品について補足しておきたい。その後何度か聴いてみて、これはとんでもない名演だなあと改めて感心してしまった。このメンバーから演奏に興味を持った人はもちろん、そうでない人も是非ともチェックして損はない作品である。
コニッツのソロ部分を聴いていると、ヴァーヴの名作「モーション」を彷彿とさせる場面が何度もある。両作品のリズムセクションは、ジミー=ギャリソン&モチアン(ハーフノート)とソニー=ダラス&エルヴィン(モーション)であり、ベースもドラムもそれぞれかなり異なるスタイルの持ち主なのだが、コニッツやマーシュの音楽のもとではそのことをあまり感じさせないのが不思議である。
さらに、ギャリソンとエルヴィンがその後コルトレーンの下で全く異なるスタイルのリズムセクションとして組むことになるというのも不思議な縁である。ジャズの世界におけるフロントというかリーダーの役割とその重要性について考えてしまった。
ここでのエヴァンスはもう完全なサイドマンであり、主役はあくまでもマーシュとコニッツである。再発売に際してエヴァンスの名前が一番始めに掲げられているのは、発売者の商業的な意図でしかない。ただそれでこの作品の素晴らしさをより多くの人に知ってもらえるのなら、まあさほど責められることでもないのだろう。
また追加収録された演奏について、マーシュやコニッツについてはそちらの演奏の方がいい云々と前回は書いたが、あれは素直に早とちりだったと訂正しておきたい。それはもう一重にリズムセクションの力量の差と言えるだろう。技巧と表現の微妙な関係の事例がそこにはある。
先週末には今年のCD購入を締めくくる(?)大物商品がアメリカから到着し、週末からじっくり楽しませてもらっている、コニッツ&マーシュの音楽とはまた趣向の異なるジャズであるが、いまの厳しい環境にあっては、聴くものを励ましてくれる様なパワーのあふれる内容である。それについてはまた次回に触れ、今年のログの書き納めとしたいと思う。
ところが思いもかけず、そのセミナーの内容から悩みに対するひとつの対処法が突然もたらされたのである。具体的な内容は書かないが、何とも不思議な偶然を感じずにはいられなかった。もちろんそれを知ったところで実質的な業務上の課題解決にはならないのだが、少なくとも閉塞的な悩みに客観性が加わることで、気分的にはずいぶん楽になった様な気がする。
朝、渋谷のセミナー会場に向かう気分は今ひとつもやもやしていたのだが、お昼前に会場を後にするときの気分は、その日の冬空同様晴れ晴れとしていた。気分が良くなった僕は、会社がある田町駅で降りて少し早いお昼を少し以前に友達から教えてもらったつけ麺ラーメン屋「天空」で食べた。
ここのつけ麺は旨い。昼時は混雑していて早い時間から店内にかなりの行列ができるのが難点だが、それでも並ぶ価値は十分にあると思う。この日は初めてつけ麺の大盛りを食べてしまった。相当な分量だと思ったのだが、心地よい満腹感であった。
さて、前回のろぐで触れたマーシュ、コニッツ、エヴァンス等によるハーフノートでのライヴ作品について補足しておきたい。その後何度か聴いてみて、これはとんでもない名演だなあと改めて感心してしまった。このメンバーから演奏に興味を持った人はもちろん、そうでない人も是非ともチェックして損はない作品である。
コニッツのソロ部分を聴いていると、ヴァーヴの名作「モーション」を彷彿とさせる場面が何度もある。両作品のリズムセクションは、ジミー=ギャリソン&モチアン(ハーフノート)とソニー=ダラス&エルヴィン(モーション)であり、ベースもドラムもそれぞれかなり異なるスタイルの持ち主なのだが、コニッツやマーシュの音楽のもとではそのことをあまり感じさせないのが不思議である。
さらに、ギャリソンとエルヴィンがその後コルトレーンの下で全く異なるスタイルのリズムセクションとして組むことになるというのも不思議な縁である。ジャズの世界におけるフロントというかリーダーの役割とその重要性について考えてしまった。
ここでのエヴァンスはもう完全なサイドマンであり、主役はあくまでもマーシュとコニッツである。再発売に際してエヴァンスの名前が一番始めに掲げられているのは、発売者の商業的な意図でしかない。ただそれでこの作品の素晴らしさをより多くの人に知ってもらえるのなら、まあさほど責められることでもないのだろう。
また追加収録された演奏について、マーシュやコニッツについてはそちらの演奏の方がいい云々と前回は書いたが、あれは素直に早とちりだったと訂正しておきたい。それはもう一重にリズムセクションの力量の差と言えるだろう。技巧と表現の微妙な関係の事例がそこにはある。
先週末には今年のCD購入を締めくくる(?)大物商品がアメリカから到着し、週末からじっくり楽しませてもらっている、コニッツ&マーシュの音楽とはまた趣向の異なるジャズであるが、いまの厳しい環境にあっては、聴くものを励ましてくれる様なパワーのあふれる内容である。それについてはまた次回に触れ、今年のログの書き納めとしたいと思う。
12/14/2008
居酒屋ジャズ
忘年会シーズンだが、今年は公的な忘年会はすべてパスして、私的な忘年会しか出ないことにした。懐が寒いという訳ではないが、公的なものとなると、どういう訳かお金はたくさん払わされるし、いまはそれに出てもあまり楽しくない。別にそういう想いまでして出る義理もなかろうというわけだ。
年末には大晦日に向け、京都、和歌山、神戸、広島と西日本で4連続飲み会を予定している。実家の様子を見がてら和歌山に帰郷し、その後妻の実家へと向かう旅程のなかで、こういうスケジュールを組んでみた。
日頃、4連荘で飲みに行くいうことなどとはすっかりご無沙汰であるのに、毎夜転々と寝泊まりする場所を変えて飲むわけだから、果たして体が持つのか少々気がかりではある。インフルエンザ流行も話も聞かれるこの頃なので、気をつけたいと思う。
なのでその前に関東でやる年末飲み会は、気心知れた人とこじんまり楽しくやりたいと思った。そんなわけで先週は2回の飲み会があった。
ひとつは会社関係の同僚で妻もよく知る2名の女性たちとの飲み会。お店は会社近くの田町にある「塚田農場」というところ。いろいろと珍しいものを食べさせてもらったのだが、どれもおいしかった。この2人はとにかくよく飲む。話も豊富で楽しいのだが、いずれも独身というのが僕らにはどこか気がかりである。
もうひとつは、妻の会社関係のつながりで結成している男3人の会。1人はその会社の社員だが僕ともう1人はそこの社員の夫というつながりである。いままにでも何度も宴をともにしている。今回の会場はその会社がある恵比寿の老舗居酒屋「さいき」だった。
早めの集合が功を奏してなんとか予約なしで陣取ることが出来た。有名なお店なのでネット上にもいろいろな情報がある。お店の雰囲気はいいし料理の具合もいい。店主のさりげなく一本気なこだわりがしっかり反映されている。常連客が多い店というのが好みの判断の分かれ目だろう。
話題に花が咲きとても楽しい飲み会だった。勢い2軒目に行こうということで、その筋並びの居酒屋「えびす村」に入る。ここは以前にもそのうちの1人と訪れており、今回は店主自慢の「トンカツ」を目当てに入ることにした。もうかなり酔っぱらっていたのだが、何かパンチのあるものが食べたかったのだろう。僕は生ビールとホッピーを飲んで、案の定酩酊の帰宅となった。
事前に酔いを抑えるために飲んだアミノ酸のおかげで、二日酔いはなんとか回避されたのだが、妻によると帰宅するなり、ふらつきながら服を脱いで「ああ、やっぱり酒はアカン」とか言ったらしい。飽くなき反省は酒につきものである。
円高のおかげでCDが安く買えるというのも、無駄遣いを抑えようという心理をより強くしているのかもしれない。もちろん時と場合にもよるのだが、建前は明らかに無駄遣いである。このところ海外サイトでの音盤購入が増勢を強めているが、さらなる円高が進行していることが、(別に投資家ではないのだが)一層の大物狙いを煽ってくる。
最近届いたCDから、今回は心地よい居酒屋での一夜の様な(?)ご機嫌なジャズをご紹介しておこう。
このアルバムは従来はヴァーヴレコードからリー=コニッツ名義で発売されていた演奏である。今回、復刻専門のジャズリップスというレーベルから、別の未発表音源を加えて再発されている。テナーのウォーン=マーシュとコニッツは白人フロントの双頭として、いくつもの演奏を行っており、この作品もその中のひとつである。
目玉はもちろんエヴァンスの参加であるが、ここでの彼はあくまでもサイドマンである。そして当時リヴァーサイドで彼とジャズ史に残る名トリオを結成していたポール=モチアンも、まるで別人のようにステディなリズムセクションとしての演奏を聴かせる。その違いを生み出しているのは、明らかにこのユニット唯一の黒人であるジミー=ギャリソンの存在だろう。そこがある意味この作品の聴き所かもしれない。
なお、オマケで収録された1976年のロンドンの未発表音源は、その約20年後のマーシュ、コニッツユニットの活躍を収録したもので、これはこれで非常に優れた演奏である。2人のフロントの演奏に関して言えば、こちらの方が優れているかもしれない。これがずっと未発表だったというのも驚きである。
この演奏の10年後にマーシュは世を去るが、最初のセッションから半世紀を経たいまもこれらの演奏はもちろんまったく色褪せるものではない。そしてコニッツは80歳のいまも健在である。
僕はこの演奏に、最初に紹介した恵比寿の居酒屋の居心地に通ずるものを感じる。確かな腕を持った職人が気取らずさりげなく、偶然とも必然ともいえない日常に、当然のように提供する逸品とでも言えばいいだろうか。こんな演奏が毎夜のように街のあちこちで起こっていたこの時代から半世紀。その伝統はいまも世界中のクラブで受け継がれている。
ジャズは素晴らしい。
ビル=エヴァンス、ウォーン=マーシュ、リー=コニッツ
「ライヴ アット ザ ハーフ ノート」
年末には大晦日に向け、京都、和歌山、神戸、広島と西日本で4連続飲み会を予定している。実家の様子を見がてら和歌山に帰郷し、その後妻の実家へと向かう旅程のなかで、こういうスケジュールを組んでみた。
日頃、4連荘で飲みに行くいうことなどとはすっかりご無沙汰であるのに、毎夜転々と寝泊まりする場所を変えて飲むわけだから、果たして体が持つのか少々気がかりではある。インフルエンザ流行も話も聞かれるこの頃なので、気をつけたいと思う。
なのでその前に関東でやる年末飲み会は、気心知れた人とこじんまり楽しくやりたいと思った。そんなわけで先週は2回の飲み会があった。
ひとつは会社関係の同僚で妻もよく知る2名の女性たちとの飲み会。お店は会社近くの田町にある「塚田農場」というところ。いろいろと珍しいものを食べさせてもらったのだが、どれもおいしかった。この2人はとにかくよく飲む。話も豊富で楽しいのだが、いずれも独身というのが僕らにはどこか気がかりである。
もうひとつは、妻の会社関係のつながりで結成している男3人の会。1人はその会社の社員だが僕ともう1人はそこの社員の夫というつながりである。いままにでも何度も宴をともにしている。今回の会場はその会社がある恵比寿の老舗居酒屋「さいき」だった。
早めの集合が功を奏してなんとか予約なしで陣取ることが出来た。有名なお店なのでネット上にもいろいろな情報がある。お店の雰囲気はいいし料理の具合もいい。店主のさりげなく一本気なこだわりがしっかり反映されている。常連客が多い店というのが好みの判断の分かれ目だろう。
話題に花が咲きとても楽しい飲み会だった。勢い2軒目に行こうということで、その筋並びの居酒屋「えびす村」に入る。ここは以前にもそのうちの1人と訪れており、今回は店主自慢の「トンカツ」を目当てに入ることにした。もうかなり酔っぱらっていたのだが、何かパンチのあるものが食べたかったのだろう。僕は生ビールとホッピーを飲んで、案の定酩酊の帰宅となった。
事前に酔いを抑えるために飲んだアミノ酸のおかげで、二日酔いはなんとか回避されたのだが、妻によると帰宅するなり、ふらつきながら服を脱いで「ああ、やっぱり酒はアカン」とか言ったらしい。飽くなき反省は酒につきものである。
円高のおかげでCDが安く買えるというのも、無駄遣いを抑えようという心理をより強くしているのかもしれない。もちろん時と場合にもよるのだが、建前は明らかに無駄遣いである。このところ海外サイトでの音盤購入が増勢を強めているが、さらなる円高が進行していることが、(別に投資家ではないのだが)一層の大物狙いを煽ってくる。
最近届いたCDから、今回は心地よい居酒屋での一夜の様な(?)ご機嫌なジャズをご紹介しておこう。
このアルバムは従来はヴァーヴレコードからリー=コニッツ名義で発売されていた演奏である。今回、復刻専門のジャズリップスというレーベルから、別の未発表音源を加えて再発されている。テナーのウォーン=マーシュとコニッツは白人フロントの双頭として、いくつもの演奏を行っており、この作品もその中のひとつである。
目玉はもちろんエヴァンスの参加であるが、ここでの彼はあくまでもサイドマンである。そして当時リヴァーサイドで彼とジャズ史に残る名トリオを結成していたポール=モチアンも、まるで別人のようにステディなリズムセクションとしての演奏を聴かせる。その違いを生み出しているのは、明らかにこのユニット唯一の黒人であるジミー=ギャリソンの存在だろう。そこがある意味この作品の聴き所かもしれない。
なお、オマケで収録された1976年のロンドンの未発表音源は、その約20年後のマーシュ、コニッツユニットの活躍を収録したもので、これはこれで非常に優れた演奏である。2人のフロントの演奏に関して言えば、こちらの方が優れているかもしれない。これがずっと未発表だったというのも驚きである。
この演奏の10年後にマーシュは世を去るが、最初のセッションから半世紀を経たいまもこれらの演奏はもちろんまったく色褪せるものではない。そしてコニッツは80歳のいまも健在である。
僕はこの演奏に、最初に紹介した恵比寿の居酒屋の居心地に通ずるものを感じる。確かな腕を持った職人が気取らずさりげなく、偶然とも必然ともいえない日常に、当然のように提供する逸品とでも言えばいいだろうか。こんな演奏が毎夜のように街のあちこちで起こっていたこの時代から半世紀。その伝統はいまも世界中のクラブで受け継がれている。
ジャズは素晴らしい。
ビル=エヴァンス、ウォーン=マーシュ、リー=コニッツ
「ライヴ アット ザ ハーフ ノート」
12/07/2008
鏡の中の鏡
12月になった。今年もあと3週間と少しである。この週末はかなり寒くなるといわれていたが、実際にはそれほどでもなかった。
10月半ば以来で髪を切ってもらいにお店に行った。自宅近くの安いヘアサロンで、もうかれこれ2年間同じ人に担当してもらっている。その人がこの年末で結婚を機にお店を辞めるのだと聞いていた。
僕は自分の髪についてはあまり気に入ってはいない。生まれながらの太い髪質もそうだし、中学校で丸坊主を3年続けた後で伸ばしてみたらかかっていた天然ウェーヴもそうだ。おまけに仕事で猛烈な苦労をした訳でもないのに、二十歳代後半からかなり白髪が出始めた。
髪質を変えるのは容易なことではない。天然ウェーヴは一度だけストレートパーマを試してみたが、僕の太い髪にはあまりいい結果をもたらさなかった。白髪は家庭用の白髪染めを一度試したら見事にハマってしまい、以後ずっと髪を切るたびに自宅で続けてきた。
それが3年ほど前にいまのサロンに行くようになってから、お店で染めてもらうことの素晴らしさを知り、それからは自分でやることはなくなった。やはり仕上がりの美しさはプロにはかなわないし、冬に洗面所で寒い思いをしなくてすむ。
髪が太いと、髪の長さがある一定のレベルを超えると急激にヴォリュームが膨張し始める。おまけに強いクセが出るので頭の上に何かの巣か森をのせている様な感じになる。さらには生え際が白いので前髪を上げていると、その巣か森が頭の上で浮いて見えるようになる。頭が小さい方ではないし、身体は華奢な方だから、ますます格好が悪くなるわけだ。
僕の祖父は理容師だった。僕が大学4年生の時に病気で亡くなる少し前まで、娘である僕の叔母と2人で田舎で散髪屋をやっていた。僕は大学生になるまではその2人にしか髪を切ってもらたことがなかった。
そして大学生の間はほとんど自分で髪を切っていた。ストレートヘアの人には信じがたいことかもしれないが、くせ毛の場合、ある程度うまくやれば結構どうにかなってしまうものなのである。
社会人になって上京して寮生活を始めるとさすがにそうはいかなくなり、迷ったあげくに僕が足を踏み入れたのは、いわゆる散髪屋ではなく美容室(いわゆるヘアサロン)だった。なぜそうしたのかははっきり覚えていないが、おそらくはある種のあこがれの様なものを抱いていたのと、祖父や叔母に対する気兼ねの様な気持ちがあったのだろうと思う。
以来、僕を担当してくれる人は、必ず一度は「髪が太くて硬いので切るのが大変だ」という主旨のことを、別の言い回しでにじませてくる。そして大抵は担当してもらうのは女性である。理由は簡単でその方が僕にはいろいろな意味で気が楽だから。
いま通っているお店は担当者を指名するのに料金がかからないので、気に入った人がいると必然的に同じ人を指名することになる。今回で最後になる彼女の前はやはり結婚で退職した女性だった。
途中からうちの妻も同じ人に担当してもらっていたこともあって、僕も打ち解けていろいろな話をしてきたと思う。レスポンスはいまひとつな場合もあったのだが、それが意図的なものなのか天然なものなのかはわからない。
美容師さんというのは鏡を通して人と接する不思議な職業である。お客である僕らもほとんどは鏡で向き合いながらその人と接することになる。そして仕上げの最後に「後ろをお見せします」と言って、後頭部を映した鏡を目の前の鏡の中に見せてくれる。何とも言えない瞬間だ。
2年間も夫婦でお世話になったので、僕は彼女に何かCDをプレゼントすることを思いつき、それはすぐにアルヴォ=ペルトの「アリーナ」に決まった。
彼女のお相手も同じ系列店の美容師さんで、2人は同郷でもあり美容学校の同期だったのだそうだ。結婚のお祝いの意味と美容師という職業を考えると、このアルバムに3つのヴァージョンが収録された作品「鏡の中の鏡」は、とてもいい語呂だと思った。
これほどまでに無駄のない単純なストラクチャのなかに織り込まれた繊細な音の美はないと思う。このアルバムの美しさと素晴らしさを表すのにあまり余分な言葉は要らないだろう。ここに収録された音楽は、すべての人の心を落ち着かせ静かにその心に自身を向かい合わせてくれるはずだ。
音楽が人間に与える境地にはいろいろなものがあるが、この音楽の与えてくれるそれは、最も単純でありながら極めて深遠なものだと思う。
アルヴォ=ペルト
「アリーナ」
10月半ば以来で髪を切ってもらいにお店に行った。自宅近くの安いヘアサロンで、もうかれこれ2年間同じ人に担当してもらっている。その人がこの年末で結婚を機にお店を辞めるのだと聞いていた。
僕は自分の髪についてはあまり気に入ってはいない。生まれながらの太い髪質もそうだし、中学校で丸坊主を3年続けた後で伸ばしてみたらかかっていた天然ウェーヴもそうだ。おまけに仕事で猛烈な苦労をした訳でもないのに、二十歳代後半からかなり白髪が出始めた。
髪質を変えるのは容易なことではない。天然ウェーヴは一度だけストレートパーマを試してみたが、僕の太い髪にはあまりいい結果をもたらさなかった。白髪は家庭用の白髪染めを一度試したら見事にハマってしまい、以後ずっと髪を切るたびに自宅で続けてきた。
それが3年ほど前にいまのサロンに行くようになってから、お店で染めてもらうことの素晴らしさを知り、それからは自分でやることはなくなった。やはり仕上がりの美しさはプロにはかなわないし、冬に洗面所で寒い思いをしなくてすむ。
髪が太いと、髪の長さがある一定のレベルを超えると急激にヴォリュームが膨張し始める。おまけに強いクセが出るので頭の上に何かの巣か森をのせている様な感じになる。さらには生え際が白いので前髪を上げていると、その巣か森が頭の上で浮いて見えるようになる。頭が小さい方ではないし、身体は華奢な方だから、ますます格好が悪くなるわけだ。
僕の祖父は理容師だった。僕が大学4年生の時に病気で亡くなる少し前まで、娘である僕の叔母と2人で田舎で散髪屋をやっていた。僕は大学生になるまではその2人にしか髪を切ってもらたことがなかった。
そして大学生の間はほとんど自分で髪を切っていた。ストレートヘアの人には信じがたいことかもしれないが、くせ毛の場合、ある程度うまくやれば結構どうにかなってしまうものなのである。
社会人になって上京して寮生活を始めるとさすがにそうはいかなくなり、迷ったあげくに僕が足を踏み入れたのは、いわゆる散髪屋ではなく美容室(いわゆるヘアサロン)だった。なぜそうしたのかははっきり覚えていないが、おそらくはある種のあこがれの様なものを抱いていたのと、祖父や叔母に対する気兼ねの様な気持ちがあったのだろうと思う。
以来、僕を担当してくれる人は、必ず一度は「髪が太くて硬いので切るのが大変だ」という主旨のことを、別の言い回しでにじませてくる。そして大抵は担当してもらうのは女性である。理由は簡単でその方が僕にはいろいろな意味で気が楽だから。
いま通っているお店は担当者を指名するのに料金がかからないので、気に入った人がいると必然的に同じ人を指名することになる。今回で最後になる彼女の前はやはり結婚で退職した女性だった。
途中からうちの妻も同じ人に担当してもらっていたこともあって、僕も打ち解けていろいろな話をしてきたと思う。レスポンスはいまひとつな場合もあったのだが、それが意図的なものなのか天然なものなのかはわからない。
美容師さんというのは鏡を通して人と接する不思議な職業である。お客である僕らもほとんどは鏡で向き合いながらその人と接することになる。そして仕上げの最後に「後ろをお見せします」と言って、後頭部を映した鏡を目の前の鏡の中に見せてくれる。何とも言えない瞬間だ。
2年間も夫婦でお世話になったので、僕は彼女に何かCDをプレゼントすることを思いつき、それはすぐにアルヴォ=ペルトの「アリーナ」に決まった。
彼女のお相手も同じ系列店の美容師さんで、2人は同郷でもあり美容学校の同期だったのだそうだ。結婚のお祝いの意味と美容師という職業を考えると、このアルバムに3つのヴァージョンが収録された作品「鏡の中の鏡」は、とてもいい語呂だと思った。
これほどまでに無駄のない単純なストラクチャのなかに織り込まれた繊細な音の美はないと思う。このアルバムの美しさと素晴らしさを表すのにあまり余分な言葉は要らないだろう。ここに収録された音楽は、すべての人の心を落ち着かせ静かにその心に自身を向かい合わせてくれるはずだ。
音楽が人間に与える境地にはいろいろなものがあるが、この音楽の与えてくれるそれは、最も単純でありながら極めて深遠なものだと思う。
アルヴォ=ペルト
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