3/29/2008

スペアパーツ

比較的暖かい日が続いて東京近郊は桜が満開だ。仕事が片付かないのと、僕ではないが仕事関連で人事異動の話などがいろいろあって、落ち着かない毎日を過ごしている。この時期、ちょうど年末年始の慌ただしさにそっくりである。組織の中で人が動く。移動ではなく異動というのはとても日本語らしい組織指向の言葉だ。嫌な響きだ。

仕事が変わるのだから、やはり本人にはある程度の納得を持ってもらう意味で、受け止めるに十分な時間を与えてあげるべきだ。役割が重要な場合ほどそうだろうと思う。唐突な異動を言い渡された場合、それは現職に対するある種の「ノー」のサインだと受け止めることも必要だろう。そこにある反省について一番気がつきにくいのは当の本人である。

未来の買い物のレポートは無事に終わった。与えられた時間に対するアウトプットとしてはやや不本意な点もあるが、僕個人としては満足している。それでもお客には満足してもらえたかどうか、そこのところはいまひとつ確信が持てないから、僕の仕事はまだ半人前ということだろう。それでもこれをこのタイミングでやれたことは、僕にとってはよかった。

その仕事を納品する直前の数日間は、かなり精神的に追いつめられた感じがあって、以前に渋谷のタワーレコードで買った"Pomassl"というアーチストの作品を、何度も繰り返して聴いた。テクノから派生したジャンルで電子音を中心に構成された「エレクトロニカ」と呼ばれている部類の作品である。"Spare Parts"と題されたこの作品は、正弦波とかノコギリ波、ホワイトノイズといった、アナログシンセで用いられる基本的な電子音を中心に構成されている。

これを楽しむには断然ヘッドフォンがおすすめだ。一つ一つの音の存在が輪郭と定位をもとに実によく考えられていて、さながら金属製の耳掻きで、耳穴から脳みその中を丁寧に掃除してもらっているような感覚が味わえる。冷たく硬い刺激の電子音に慣れないという人にはちょっと辛いかもしれないが、これを心地よいと感じてしまうとやみ付きになってしまう。少なくとも僕にとってはそうだった。

考えてみればヘッドフォンの音像というのは不思議なものだ。頭の中にできる音像、これほどはっきりしたものは他にないと思うのだが、それはどこにあるのかといわれれば、肌で感じることのできる空間とは異なる場所と言わざるを得ない。そこが自分にとって一番確実な場所だということになるのだろうが、そう結論づけるのがなんとなくいけないことの様でコワい気もする。

これを気に少し機械系の音楽をいろいろ聴いてみたのだが、いいものはやはりいい輝きを保つことができることを確認した。歳を重ねるととかく時間の流れを遅らせたり止めてみたりしようとするものだが、流れに身を任せるというか、任せざるを得ない根本があるということは、忘れない方がいいだろう。


Pomassl "Spare parts"


MySpaceのPomasslのサイト(試聴ができます)

3/23/2008

仕事、仕事・・・

こうなることはほぼわかってはいたのだけれど、今月後半は仕事がかなりタイトな状況に追い込まれている。この週末も家で仕事。パワーポイントでせっせと「未来の買い物」についての資料を作成中である。

明後日の火曜日にこれを終えたら、続いてまた食の安全に関する原稿書きと、業界レポートの作成が待っている。あーあ。。。

時間があってもはかどるとは限らないわけだが、追い込まれてもいいものができない、というわけでもない。「火事場のなんとか」という言葉も少しは真実味はあるが、様はやらなければ何も生まれないということか。しかし、いつまでも自分がやっているようでは、管理職としては失格かもしれないな、などと反省もしたりする。

さすがに頭が疲れてきたので、今回はこの辺で。

3/15/2008

スプリング

 とうとうタートルネックのセータは着られないほどの陽気になった。土曜日の今日は20℃近くまで気温が上がり、半袖のTシャツにスウェットという格好でも十分に外を出歩ける1日だった。春だ。

先週の前半のある日、翻訳会社の幼なじみとその同僚の3人で呑みに出かけた。四谷三丁目にある島根料理のお店。サバを中心としたお魚が美味しかった。今回集まった趣旨は、幼なじみのお嬢さんが無事に公立高校に合格したお祝いというのが名目である。オヤジの飲み会の名目なんて何でもいいだろうと思われるかもしれないが、今回の趣旨はいささか真面目なものだった。

以前のろぐで少しだけ書いたのだが、そのお嬢さんというのはこの1年である問題を発現してしまっていた。いわゆる「不登校」である。不登校というと「いじめ」を連想しがちだが、不登校は必ずしもいじめで起こるわけではないし、彼女にいじめがあったのかどうか僕は知らない。しかし、父親の説明を聞く限りではそういうことではないようだ。

具体的なことはわからないが、「自分の生き方のある部分が周囲のシステムと合わない」、彼女が感じた違和感はそういうことだった。おそらくそれに気づいたのはかなり以前のことなのだと思う。しばらく彼女はそれを我慢し続けたが、これまでなんとか保っていたバランスが自分の心の成長と環境の変化によって崩れ、ある日から学校に行けなくなった。

人間は身も心も進化し続けている。いわゆる進化論では骨格的肉体的な変化ばかりが注目されがちであるが、心も確実に時代とともに変わり続けている。それは重視される価値が変化してゆくというよりも、感じ方が深くなってゆくという方が表現としてはより適当だと思う。その進化に情報は大きな役割を果たしているのは間違いない。

学校に行けなくなった彼女だが、それでも次の進学については自分なりに考え、志をもった。その結果、受験をし、努力の甲斐あって合格したわけだ。だからといって新しい学校に何の問題もなく通うことができるかはわからないのだが、本人は頑張るといっているらしい。環境の変化が人間の考え方や心にもたらす効果は大きい。それで本人が望む方向に生き方を引き寄せることができるのであればいい。とりあえずはその道を自分で選ぶことができたのだから、ある意味一番いい展開なのだと思う。

結局のところ飲み会はその話題で始まったものの、まあ酒と肴がはいればあとは流れに任せるいつもの展開である。熱燗を味わえるのもそろそろかなという想いからか、僕はかなり飲んでしまい翌朝が少し辛かった。まあそれでもいい酒だった。

翌日は京都に日帰り出張だった。京都もすっかり春の陽気だった。僕の会社の後輩が3年間休職をして大学で学位を取得したのだが、その彼が一度本格的に大学に身を置くことになり、正式に退職することとなった。それに伴い、お世話になった先生とこれからお世話になる先生に彼の上司であり、僕の上司でもある部長がご挨拶に伺うことになり、それに何故か僕も同行することになったのだ。

その夜、京都で湯豆腐を食べて最終の新幹線で東京に戻った。なんとも忙しない話だが仕方がない。湯豆腐の季節は終わろうとしていたが、とても美味しいお料理をいただいた。やはり京都はいいものだ。できれば仕事抜きにゆっくりと訪れてみたいものだ。

そんな春だからというわけではないのだろうが、この1週間ほとんどこればかり聴いていたというのが、トニー=ウィリアムスの「スプリング」だ。僕は大学生の頃に初めてこのCDを手に入れて以来、この作品とは常に一定の距離を置いてつきあってきた様なところがある。このCDは聴きたいときに手の届くところに置くようにしているものの、これまではそれに手を伸ばすのは年に1、2回といったところだったろうか。iPodに入れたのも実は今回が初めてだった。

自己名義のアルバムとしては2枚目にあたるこの作品を収録したとき、トニーはまだ若干20歳だった。これが何よりも凄いことである。いまの時代でもこんなに完成された新しさを表現できる20歳はそうそういないだろう。ここで聴かれるトニーのドラミングは、いわゆるポリリズムやパルスビートと呼ばれるスタイルであって、1970年代以降のパワープレイとは異なるもの。競演はサム=リヴァースとウェイン=ショーターという2人のテナーサックスと、ピアノにハービー=ハンコック、そしてベースがゲイリー=ピーコックという面々である。

まあよく言われることだが、この作品に対する好みはかなりはっきりと分かれる。しかし僕が思うにこの作品は、トニーはもちろんここに参加している5人のアーチストの誰に対してでも、何らかの興味を持った人なら一度は必ず耳にするべき作品である。収録された5つの曲はいずれも個性的で極めて秀逸な演奏ばかりで、まさにアルバムと呼ぶにふさわしい作品になっている。

1曲目「エクストラ」の冒頭からして既に異様なテンションが漂い、アルバムの世界観を十分に表現している。リヴァースとショーターはこの曲含め3曲で競演するが、リヴァースの演奏が持つ存在感は時にショーターを凌ぐほど相当な内容のものだ。この曲でリヴァースが登場してしばらくのところ(5:00あたり)で聴かれるフレーズの美しさが、僕がこのアルバムで最も好きな瞬間でもある。

続く「エコー」は5分間にわたるトニーのドラムソロ。ここでアルバムはいきなりクライマックスを迎えると言ってよい。ここにはトニーのドラミングに対する考え方が大胆かつ繊細に表現されていて実に見事だ。もはやスウィングとかフリーとかではなく、現代にも通じるモダンジャズドラミングのお手本と言える神業である。できることなら、いつか最高のオーディオセットで大きな音でじっくりと何度も味わってみたいと思う演奏である。

このアルバムにおいて多くの人が名曲と賞する4曲目の「ラヴ ソング」だが、初めて聴く人は、このタイトルからあまり変な期待やイメージを持たない方がいい。ここでトニーが表現しようとしている「ラヴ」はどういうものか、とか言う話になると喜びそうな人もいるかもしれないが、まあそんなことは置いといて、続く「ティー」とともに後半2曲は明確なテーマを持っている曲だというにとどめておこう。それでももちろんアルバムの世界観では重要な作品に違いない。

トニーがアルバムにつけたタイトルとジャケットデザインは、極めてシンプルなものだがその分普遍的な存在感を持っている。春になって何か新しいことにむけてうずく気持ちを十分に刺激してくれる素晴らしい音楽だ。

3/09/2008

いとこの結婚式

週末、父の妹の娘にあたる人の結婚式に親族代表として出席するため、再び和歌山に赴いた。結婚式は2年前に職場関係のものに出席して以来のこと。今回は特に挨拶やスピーチなどもなく、まあのんびりと披露宴を楽しまえてもらおうと思った。

よく考えてみると、今回の出席はいままで何度も参加してきた結婚式と異なる「初体験」がいくつかあった。まず妻と二人夫婦で参加するのが初めてのことだったし、兄と一緒に参加するというのも意外にも初めてのことだった。生まれ育った街、和歌山で行われる結婚式に参加するのも初めてのことだったし、加えて新婦の側で参加するのも僕にとっては初めての経験だった。

まあそれぞれの初めてに思い感じたことはいくつかあった。印象的だったのは、新婦側の立場から結婚式や結婚披露宴というものを経験したことだろうか。今回結婚した従妹は僕より15歳も年下なので、一緒に遊んだ様な経験はほとんどなく、従妹というより姪っ子のような感覚さえ抱いてしまうほどだ。彼女の母である叔母は彼女を産んだ後、自他にいろいろと困難があり、結果的には自分の実家で独りで彼女を育てることになったという経緯がある。

そうした彼女自身のいろいろな苦労を間接的に理解しているだけに、その従妹が叔母のもとを離れて嫁いでゆくということは、僕にも「お嫁に行く」ということを少しだけ実感させてくれることになった。宴の最後に、母への手紙を泣きながら読む姿は、いままでもいろいろな結婚式で何度も見てきたが、やはり今回感じた想いはいまでにない深いしっかりしたものだった。

宴席に先立って会場に併設のチャペルで執り行われた結婚式は、僕にはやはりキリスト教的スタイルを日本で行うことの違和感を感じるものだった。外国人の牧師の前での宣誓とか賛美歌とか、やはりあれは憧れなのだろうか。僕はどうもあれが未だに馴染めない。賛美歌の歌詞カードを見据えたまま口をつぐんでいる新郎の父の姿が印象的だった。

まあかくいう自分たちもそういうスタイルで結婚式を挙げたのだが。母の遺影を持って参列した父がずっと泣いていたことや、指輪の交換の後に接吻を交わす際に、僕が首を傾けることなくいつものように真っ正面からキスをしたので、後から「おまえはああいう場での正しいキスのやり方も知らんのか」と妻からなじられる結果になった。覚えているのはそんなことばかりだ。神父の説教の内容や賛美歌の歌詞などはさっさと忘れてしまった。

どのような儀式であるかは置いておいても、新しい夫婦が誕生する場に同席させていただくのは非常に光栄なことである。しかし、儀式の有無や内容はその後の夫婦生活にはほとんど関係なく、それがいい思い出になるかどうかは、その後の夫婦生活の方向性でいかようにでも変わる。満足と不満のバランスがちょうど均衡していれば、天秤はどちらに傾くこともない。少しでも不満が上回っていれば、結婚はその方向に傾いてゆくことになるし、もちろんその逆も同じことだろう。そこに程度の差はあまりないように思うのだがいかがだろうか。

3/02/2008

シャンゼリゼ劇場のミシェル=ペトルチアーニ

 春一番が吹いて以降、時折寒い日もあるもののめっきり春らしくなった。仕事は期末が近づき徐々に余裕のない調子に戻りつつあるが、いまのところはまだなんとかというところ。3月の仕事模様はいろいろと荒れそうな予感である。

今日は母親の9年目の命日にあたる。母が信仰した宗教上の理由もあり、この日に関する僕らの過ごし方はいたって平穏なものである。それでもいままでは父がいたので、実家に花を送って父がそれらをまとめて母親の写真の周りに並べて供養の代わりをしていた。昨夏に父が亡くなり、そうしたことは僕ら自身が考えることになった。結局、僕は特に何か目に見える形での行いをするわけでもなく、母のことを思いふけることにした。テレビで人気の占い師からみれば罰当りな子息だということになるのかもしれない。

久しぶりに妻とどこかに出かけようということになり、横須賀の田浦にあるという梅園に出かけることにした。梅園といっても実家がある和歌山のそれとは比較にならぬ程小さなものだったが、景色のよい山の斜面に作られてありちょうど良い運動をかねた散歩になった。梅はまだ木によってはつぼみが堅いものもあり、少し華やかさには足りなかったものの、梅の花というのはこのくらいがちょうどいいように思う。


梅園を降りてそのまま少し横須賀の街に向かって歩いてみることにした。国道16号線は独身のころ何度もバイクで走った道だったので土地勘はあった。ただバイクだとすぐだと思っていた感覚は実際に歩いてみると意外に距離があるものだった。アメリカ海軍の基地がある横須賀の中心部に着いたのは30分かそこら歩いたと思う。

お昼を食べていなかったので何か横須賀らしいものを食べようということになり、米軍基地の近くの通りを歩いて見つけたメキシコ料理店「La Costa」に入ることにした。バイクで走っていた頃から横須賀でこういうお店に入ってみたいと思っていたのだが、なかなか機会がないままだったので、僕もうれしかった。


お店のランチメニューの名物「マンプクセット」のなかから、僕はホットドックとロコモコのセットを、妻はタコライスのセットを注文した。歯ごたえのあるソーセージにケチャップとマスタードたっぷりのホットドックと、ロコモコのハンバーグもふんわりしていてしっかりしたソースがかかっていてウマい。味も量も大満足のメニューである。こういう大盛り料理はとにかく黙々と食べることだ。ドリンクとスープがついて1000円は納得の値段だ。

その後、僕にとって横須賀を象徴する場所「三笠公園」へ妻を連れて行った。三笠とは日露戦争時の日本帝国海軍の旗艦であった戦艦であり、この公園にはその現物がそのまま保管されている、ある意味で非常に貴重な場所である。戦艦といっても本格的な大艦巨砲時代に入る前の話なので、実際にはかなり小さく感じられる。

公園の海はそのまま米軍基地の軍港と海上自衛隊横須賀基地の港に直結している。基地の対岸にあたるJR横須賀駅近くのショッピングセンターからは4隻の潜水艦をはじめ数隻の護衛艦が見られたほか、少し離れた場所には、いま騒乱の渦中にあるイージス艦「あたご」の姿もはっきりと見ることができた(写真下があたご)。仲間の船から離れた場所に停泊する「あたご」はどう見ても処分待ちで謹慎中の身分という感じであった。



戦艦三笠がロシアとの海戦で活躍していた時代から1世紀を経た現代においても、やはりこうした船は存在している。その是非についてはともかく、こうしたものが存在するにはそれなりの理由があるのだ。平和とは1人の人間が心の中で願うほど簡単なものではないのだ。そんなことを考えながら帰りの電車に乗り横須賀を後にした。

今回はフランスのジャズピアニスト、ミシェル=ペトルチアーニのソロコンサートを収録したライヴ盤を取りあげてみた。以前からたまに気が向いたら聴いていたのだが、このところ急に気に入ってしまい何度も繰り返し聴くようになった。母国の首都パリにあるシェンゼリゼ劇場で1994年に開催したソロコンサートの模様が、まるまる2枚のCDに収録されている。

素晴らしいのは冒頭に演奏される「メドレー オブ マイ フェイバリット ソングズ」。内容はタイトルの通りだが、「処女航海」から「A列車で行こう」まで続く40分の演奏は圧巻である。見た目からはなかなか想像できないパワーと楽しさにあふれた音符がシェンゼリゼの場内に溢れ出し、聴衆をジャズの興奮に導いてゆく様子がしっかり伝わってきて感動的だ。

キース=ジャレットやビル=エヴァンスのソロピアノとはまったく異なる、あまり難しいことを考えずにジャズ本来の楽しさが存分に味わえる。最近の上原ひろみの様なテクニックをにじませつつ、繊細さとストレートさを持ち合わせたジャズピアノを求める方にはかなりお勧めの作品だと思う。

さて、5年目にはいったこの「えぬろぐ」であるが、最近少しやり方をどうしようか考えるようになった。まだ結論はでていないのだが、もしかしたら近いうちに少し何かが変わることになるかもしれない。